蛇のように賢く、鳩のように素直に② ~知性なき愛は価値半減~
蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
マタイによる福音書 10章16節
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一度取り上げた聖句だが、別の角度からもう一度解説を。
その昔、『クイズダービー』という伝説的クイズ番組があった。
(年若い読者には申し訳ない話題。30~40代以上の方向け)
番組の見どころはいくつもあるが、とりわけ注目なのは「はらたいら」さんだった。井森美幸や篠沢教授の珍解答も面白いが、やはり感心するのは彼の正解率の高さ。竹下景子もはらたいら寄りのキャラではあったが、彼ほどの強烈性はない。
なぜこの人は、こんな問題が分かるんだろう? と、子ども心に感心したものだ。
はらたいらと竹下景子だけが正解したんじゃないかと思うが……
(記憶違いだったら、スマソ)
次のような問題があった。
【問題】
たばこの健康上の害がよく叫ばれた、一時期の話。
ある駅に、喫煙家を皮肉るポスターが掲示されました。
「今日も元気だ たばこがうまい」
そこへ、ある会社員が通りかかってしばらく眺めたあと、たまたま持っていたマジックでこの文章のある一か所だけを修正して、もともとの意味とは反対の文章に変えてしまいました。
そして、それが大変面白く、そう書いた気持ちも共感できると話題になりました。
さて、この会社員はどこをどう変えたのでしょう?
こういう問題は、学校で評価される「頭の良さ」では解けない。
それを暗示するかのように、篠沢教授は不正解だった。
金田一少年のような、「頭の回転」が必要なのだ。
さて、ここで言う頭の回転とは……
●かつて見聞きしたある事象が、目の前の問題を解くに当たって役に立ちそうなことに気付き、引っ張りだせる能力。一見関連なさそうに見える二者に、視点を変えることで「共通項」を見出し、自分に役に立つ思考を創造できる能力。
別名、「抽象化」能力とも言う。
一応、この問題の正解を言っておこうか。
【正解】
今日も元気だ
たばこ かうまい
「たばこがうまい」の「が」の濁点をマジックで塗りつぶして——
たばこ買うまい、にしたのである。
「~すまい」という言い方はちょっと古風だが、~しないようにしよう、という意思表示。
今日も元気だたばこがうまい、だったら 「何を言われようとオラぁタバコが好きなんじゃ! 悪いか!」という開き直りのヤな感じがするのであるが、「が」に付いているてんてんを取るだけで、「よし、今日もたばこ吸いたいけど、健康とおこずかい節約のため我慢するぞ!」という健気な決意が伝わってくる。
この問題に正解できるには、おおまかに二つの至り方がある。
①視覚記憶。空間把握能力の高さ。
文字自体をじっと見る (あるいは頭に浮かべる)ことで、そのままアイデアが浮かぶ。「たばこがうまい」という文字配列をじっと見続け、あとは「一か所を変えればいい」という条件フィルターだけをかぶせる。それで、過去の記憶バンクとピンと繋がる人。
こう人は探偵に向いている。または、他人が思いつかないアイデアでクリエィティブな仕事ができる。作家、何かの開発部門、発明家、芸術家など。
ただしこれは、先天的なもの、生まれ持った特性がかなりの部分を占めるので、普通の人が努力して持とうとするのはあきらめたほうがいい。
この能力に恵まれずに今の問題に正解するには、②の方法がベストである。
②文字自体でなく、その意味合いから逆にアプローチする、論理思考型。
問題文に、「一字変えるだけでまったく反対の意味になりました」という情報がある。だから、まず文字を眺めてもうんうん唸るだけで①の人のようにはいかない場合、「たばこがうまい」の逆の意味になる内容とは何か」を考える。
たばこがうまい、の反対は「たばこがまずい」?
いやいや。ここはそんなやぼったい答えじゃない。
まずいんじゃなく、「皆が共感する」という話だから、「吸いたいけどガマンする」とかいう方向性の話じゃない? では、たばこ●●●●と4文字だから、この字数制限で「たばこを我慢する」という内容を表現しようとしたら、どんな言葉が使えるだろう?
買・わ・な・いだったら、1文字どころか2文字も変わってしまう。まてよ、そういえばちょっとカタい言いまわしで、「~すまい」というのがなかった?
じゃあ、「かうまい」だ! これだったら、濁点消すだけでなかなか粋な文章になるよな!
……このように、文字とにらめっこせずに、まずは反対の意味を考えてみて、あとは文字制限に合う表現を吟味していく方法である。これなら、視覚能力が強くなくても、「~すまい」という表現の国語を知っていさえすれば、正解に到達できる。
①だろうが②だろうが、どちらであっても必須な前提はこれ。
最低限、「~すまい」という否定意思表示のバリエーションが頭に入っていないと、いくら考えても正解は出て来ない。最低限、その言い方を知的に「知っていないといけない」。
これは、単に「教養」である。ただ知っているかどうかである。
知っていることがあって初めて、「それを必要な時にうまく引き出せるか、知っているくせに目の前の出来事と結びつかず、応用できないまま残念に終わるか」という戦いになる。
知らなければ、この戦いすらもない。
宗教やスピリチュアルでは、「愛」という言葉に代表されるように、「意識の良好な在り方、質」ばかりが問われる傾向がある。それ(愛)さえあれば、他はそう問題ではない、というニュアンス。
実は、それだけではダメだ。
●知恵の伴わない愛は、無力である。
無力どころか、時としては迷惑になり、よりひどいことが起きる種にもなる。
よく、その人が「良かれ」と思ってやったことが、大変な悲劇を生むことがある。
それは、やった人物に「皆に喜ばれよう」という気持ちはあったが、知恵が足りないばっかりに結果裏目に出た、ということである。気持ちが大事、とは言ってもそれが相応の結果に結びつかないなら(それどころか裏目に出るくらいなら)、やらないほうがマシなレベル。
もちろん、あなたが人格者で、「気持ちさえ本物ならば、結果どんなにひどいことをされても、その気持だけを評価できる」という覚悟と自信がおありなら、私は大変失礼なことを言いましたと頭を下げる。でも、そんな人は滅多にいないという、変な自信がある。
それは、例えば「大事な人を殺害されても、その犯人の成育歴と犯行までのいきさつが理解でき、多少なりとも犯行に至った気持ちが分かれば、ゆるせる」ということだからである。
だから、悪いことが起きたらイヤだし悲しいし、というフツー人は、要らぬ背伸びをしないでこのことを認める必要がある。愛は、知恵を伴わないと他者の迷惑になる。自分とは考え方や価値観の違う他人とうまくやっていくには、自分というものをどう「出力」していけばよいか、を経験から最大限に学んで応用する必要がある、ということを。
学校の勉強のような詰め込み教育とは違う。
これまで経験したことを、新たな状況を迎える上で、どう結び付けて応用できるか。実際に思い出したり結び付けたりできるには、「生きた学び」をしている必要がある。
日本の学校の英語教育で「読んで大体の意味を理解できるけど、自分で言いたいことを即時英語に変換(英作文)したり、スムーズに会話したりはなかなかできない」 という問題がある。
実際、よほど学費が高額で英語に力を入れている学校でもない限り、本当の英語力を付けようと思えば、学校の授業以外に英会話スクールなどに別で通う必要がある。
現に私もそうした。
人生の学びは、「即戦力」にならんもんでは使えない。
ただ日々を過ごしているのも悪くはないが、ゲームキャラとしてのレベルは上がらない。経験値が獲得できないからだ。あなたが頑張っている人生の中では、大事な知恵は獲得できず、結局外部のスピリチュアルに頼らないといけないという状況は、学校教育では役に立たないので外の英会話スクールにわざわざ通う、というバカらしい状況に似ている。
イエスは言っている。「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」。
つまり、思いやりや愛する心など 「気持ち」の部分、それを知恵なくストレートに出したのでは、色々な人間で構成されるこの集団社会ではまずい結果になることもあるので、「それを扱う知恵」との二者が、車の両輪として必要である、という話。
どちらかだけでもいけない。揃っていることが重要。
ただ単に、自己肯定ができ自分好きなだけでは、ただの迷惑者である。
自分のしたいことをし、言いたいことをただ言っているだけでは、愚か者である。
そこに、戦略が要る。あなたなりの「見通し」が要る。
それがあれば、多少の反対や逆境で崩れることはない。
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