クリスチャンがひっくりかえる聖書物語 ~イエスが本当に言いたかったこと~
賢者テラ
まえがき
もう、9年ほど前になるでしょうか。
私は、キリスト教会で熱心に活動するクリスチャンでした。
若いころに少々道を踏み外し、まともに職にも就かず荒れた生活をしていたところ、ふと聖書に興味をもったことがきっかけで、教会の門を叩きました。
教会へ行った大きな理由のひとつに、聖書という書物を、何の予備知識もなく一人で読むことの難しさがあったからです。いきなり最初から読み始めても、数十ページもいかないところでもうチンプンカンプンとなり、お手上げとなります。ほぼムリゲーです。
教会では当然、牧師さん(プロテスタントだったので。カトリックだと『神父』)が聖書の読み方や解釈の仕方を親切に教えてくれます。聖書研究会という会合もあり、私は積極的にそこで勉強し続けました。
その甲斐あって、私の聖書はアンダーラインと書き込みだらけになりました。ま、男の勲章ならぬ『信者の勲章』ですかね。今でも、その聖書は手元に残っています。
私の通った教会も、時代の波には逆らえず、高齢化していて若者不足に悩んでいました。当時私は、唯一と言ってよかった若者だったので、将来を期待されました。
神学校に通い、二年間さらに聖書の勉強をし、晴れて牧師の資格を取りました。(キリスト教全体の公式な牧師の資格などはなく、あくまでもうちの教派内だけで通用するものですが)
ここまできたら、あとはゆくゆくは高齢の牧師さんの跡を継いで、教会を守っていけばよい。そういう未来の青写真が、もうできていました。
しかし、人生とは何が起こるか本当に分からないものです。
私はある日、非常に特殊な体験をしてしまうのです。
一種の神秘体験なのですが、スピリチュアルな分野では「覚醒」、仏教で言う「悟り」の体験をしてしまったのです。夜中に、布団の中で。(笑)
自分と、自分以外の他人や世界、そんな風に区別できるものは本来なく、すべては実は「ひとつ」である、という境地です。
特殊な用語で、「ワンネス」と呼びます。
自他や分離は本来ない。だからこの現実世界は、テレビの液晶画面に映る映像と同じで、ワンネスが見せる夢であり幻想。
それが、我々が生きる世界の正体だと分かったのです。
これが最もショッキングでしたが、「神はいない」ということが分かってしまいました。仏教では、神様は出てきませんね? ブッダも菩薩様も観音様もみな、もとは人間です。
誤解を生むといけないので厳密に言うと、この世界をデザインし、生み出した創造者としての存在はいます。それを神と呼ぶことはもちろん構いません。しかし、それは宗教がうたってきた「人間を愛する、完全な真実の愛の存在」ではないのです。
昔から問われてきた命題「もしこの世界に神がいるなら、なぜ罪や戦争などを放っておかれるのか。正しい者を守り、悪人を裁かれないのか」という問いの答えは驚くほど簡単で、神はいないから、なのです。別の答えでは、「この世界を生んだ何かはいるが、そいつは特にこの世界に関心がないようだ」ということです。
あと、イエスは普通の人間だった、ということ。
イエスを神の子と言うなら、イエス以外もみ~んな神であり、神の子です!
本当に、あっちゃ~でしたね! 神はいない(いても、人や世界を愛し、見守るようなやつではなくネグレクト)、イエスは罪をぬぐう救世主でもなんでもなく、ただのオッサン(もちろん、大変優れたオッサンでしたが)ということが分かった以上、ウソのつけない私は教会にいてられなくなりました。
私は、ここまで恩を受けておきながら教会を去るということに、人情的には苦痛を感じましたが、自分にウソをつき続けて生きることはできませんでした。だって、教会にいれば、ホンネではいないと思っている神に祈らねばならない。これほど滑稽なことがあるでしょうか!
当時、教会では牧師の次に重要なポスト(伝道師)にいたので、神は愛である、イエスこそ神の子であると皆に教えねばなりませんから。
教会を離れてはや9年近くですが、私はふと思いつきました。今の私が到達した世界観、宇宙観から聖書を読むと、どういう解釈になるんだろう?って。
そこで生まれたのが、本書です。
聖書の言葉を引用し、その内容を解説していく、という形式になっています。
聖書は、そのすべてを理解する必要はありません。聖書には重要でない部分、はっきり言えばどうでもよい部分というのが結構あります。完璧主義で全部理解したいという人は、苦行がしたいのなら結構ですが、言っておきますがぜんぜん面白くありません。
本書は、新約聖書のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネといった『福音書』を中心に、イエスの言葉を解釈しています。まれに、旧約聖書やパウロの手紙などに触れますが、扱いとしては少ないです。
さて、ここから前代未聞、タブーをぶち破ったムチャクチャともいえる聖書の読み方を紹介していきます。信者にはお叱りをうけるでしょうが、偏見なく中立な立場で本書を読む皆さまが、少しでも生きる知恵や勇気・励ましといったものを受け取っていただけるなら、これに勝る喜びはありません。
では、始めましょうか。
賢者テラ
※以下、筆者注
●本書は、聖書の言葉を丁寧に解説していきますので、聖書やキリスト教に関して何の予備知識がない方でも理解できるようになっています。ご心配なく、読み進めてください。
●この本には、「イエスはこう考えていた」「イエスはこういう人物だった」という内容がいくつも出てきますが、その中で互いに矛盾する記事も出てきます。
例えばですが、あるところで「イエスは怒りっぽい人物だった」と書いておいて、別で「イエスは優しい人物だった」と書いてあるようなことです。
この書の目的は、イエス理解における『ひとつの正解』を打ち出すことを目的としたものではなく、「こういう読み方もあるのではないか?」という風に、いくつもの解釈の可能性のバリエーションを提示することに目的があります。
なので読者の皆さんは、「こことこことが、筆者さん言うてること矛盾してる!」と揚げ足を取るのではなく、そっか~そういう捉え方もあるのね~という風に読んでいただけますよう。
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