初対面
彩月は呆然と少年を見ていた。何が『顔は悪くないと思う』だ。
少なくとも兄の十倍は美形だ。身長もそれなりにあって、足が長い。
「新川先生の妹さん……ですか?」
恐る恐る問われて、彩月は我に返る。
「あ、はい、新川です」
「初めまして。高橋蓮です」
小さく会釈した蓮に、彩月はあわててお辞儀を返す。
「突然ごめんなさい。俺がどうしても会いたいって、先生に無理を言って……」
少しはにかんだ笑顔に、緊張していたのは彩月だけではなかったと安堵する。同時に蓮の人当たりの良さに感心した。
バイト先の大学生よりしっかりしているような印象を受ける。しつけの行き届いたおうちの子だろうか。
「いえ、兄が余計なことをいろいろ言ったと思います……」
和希から蓮が何を言われたのか想像すると急に両肩が重くなった。しかし気を取り直して顔を上げる。
「とりあえず、どこか座れる場所へ行きましょうか」
「はい」
彩月の提案に蓮は素直にうなずき、ふたりは場所を変えるために歩き始めた。
お茶代は彩月が出すつもりだったので、混んでいるファーストフードやファミレスではなく少し落ち着いた喫茶店へ向かった。それでも順番待ちの列がある。さすが休日の渋谷だ。
他の店へ行っても待ち時間はあるだろう。しかし待っている間に蓮と何を話せば良いのかわからない。
彩月が迷っている間に、蓮は列に並んでしまった。あわてて後を追う。
「今日はどこへ行っても混んでいるでしょうから、並んじゃいましょう」
十歳も年下の男の子に気を遣わせてしまったと思いながら、彩月はこくりとうなずく。
メニュー表を見て注文するものを考えていると、店員に声をかけられ店の中に案内された。窓際のふたりがけの席に彩月と蓮は向かい合って座る。
オーダーを伝え、店員が去るのと同時に彩月は蓮に向き直る。
「私に聞きたいことって?」
彩月は単刀直入に聞いた。長引かせるほど、互いに言い出しづらくなると思ったからだ。
一瞬、蓮は視線をさ迷わせたが、すぐに意を決したように形の良い唇をきゅっと引き絞る。
「大学って、行った方が良いですか?」
蓮は少し前のめりになってテーブルに両手をついた。澄んだ瞳はかなりの熱量を持ってまっすぐに彩月を射抜く。
「行けるなら、行っておいて損はないよ。声優って役者だから、経験は全部糧になるから」
蓮の瞳がスッと冷めたのが彩月にはわかった。おそらく、これまで誰に話しても同じような内容を言われていたのだと想像がつく。
そしてそれだけ真剣な思いなのだろう。彩月は応援したい気持ちになった。
「だけど若さってひとつの武器だよね。状況が許すのなら早いうちから動くのは悪いことじゃないと思う」
蓮が再び、彩月の言葉に興味を持ったのが視線の動きで感じ取れる。
あまりに素直なものだから彩月は思わず苦笑が出た。同時に選択したい将来を肯定してくれる人の少なさも考えてしまう。
周囲に味方のいない状態は、高校二年生の少年を悩ませるのには十分だっただろう。
お願いしたケーキと飲み物が運ばれて来て、それぞれの前に置かれた。彩月と蓮はそれぞれ、配膳してくれた店員にありがとうと礼を伝えた。
高校生でこれができる蓮を、彩月はえらいと思う。彼の家族も当たり前のようにそうしているのだろう。
「ご家族は大学へ行くように仰ってるの?」
「……直接は言いませんけど、多分行ってほしいと思っていると思います」
「そっか。大学受験がんばるから、高校生の間に養成所へ行きたいって言うのはご両親許してくれるかな? お金が五十万円くらいかかるから簡単な話じゃないけれど」
「俺は、高校卒業したら全日制のところへ行こうかと……」
「首都圏に住んでるって、それだけで結構なアドバンテージになるの。養成所とか専門学校とかの選択肢も多いから。今から私が言うのはこんな選び方もあるってだけだから、これが正解ってわけじゃないよ? ひとつの可能性として聞いてね?」
彩月はスマートフォンの画面にひとつの養成所のホームページを表示させた。直結する声優事務所の所属人数はそれほど多くないが、アニメやゲームで主人公やメインキャラを演じる声優が何人もいるところだ。
「ここはレッスンが週に一回だけで土曜か日曜。四月と十月の二回入所のチャンスがあるけど、十月生なら日曜日がレッスンなの。少し大変だけど、高校と両立できる。二年とか三年通わないといけないところが多いけれどここは一年間しか期間がないから、同じところにだらだらいなくて済むし、この十月から入ることができれば受験本番にもそれほど影響しないと思う。ただ、毎回倍率がすごいからね……。三十人しか入れないところに五百人ぐらい応募があるみたい。経験者も多いらしいし」
彩月がこれほど詳しいのは、最初の所属試験に落ちた時にこの養成所も受けてみようかと考えたことがあったからだ。友人の友人がここに通っていたのでレッスンの内容なども詳しく教えてもらうことができた。
実際のスタジオのような造りの場所でレッスンできるのは魅力的だと思ったが、倍率の高さからオーディションを受けなかった。
蓮は彩月の話に真剣に耳を傾けていた。目の前のケーキにも飲み物にも手をつける気配がない。
「……ごめんね。食べながら話そっか」
「いえ!」
苦笑いの彩月に、蓮は何度も首を横に振って見せた。
彩月の提示は蓮にとって目から鱗が落ちるような思いだった。大きな事務所の養成所しか頭になかった。
彩月はケーキを一口食べて、ほっと息をつく。甘いものは緊張を少し解してくれた。
「もうすぐ募集要項が出ると思うんだけど……。あ、もしかして部活やってる?」
運動部だと日曜日も練習だ試合だと予定が詰まっているかもしれない。そのことに彩月は今さら気づいた。
高校を卒業して十年も経つと、学生の頃の感覚を忘れがちになる。
「やってますけど放送部なんで、休日は休みです。部活も週に二回です」
新たな可能性に蓮の瞳がキラキラと輝いていた。
彩月は少し不安になる。蓮があくまでひとつの案だと言ったのに、丸呑みしそうに思えたのだ。
「そうだ、新川さん。連絡先、交換してもらえますか?」
蓮はまぶしい笑顔で黒いスマートフォンを取り出した。
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