第3話 Case:2 死にたくないと願った少女

  安楽死法。この頭がおかしい法律が制定されてからもう70年が経つらしい。

 人々の善し悪しを数値で独断的に決めつけ、生を、死への苦しみを、痛みを奪うこの法律がなぜ未だにあるのか私には到底理解できない。


 しかし、周囲は違う。どれだけそりが合わない人同士でも、安楽死法について尋ねると、この法律は誤りを正し、幸せな死を与えてくれる素晴らしいものだと口を揃えて言う。

 その不自然な様子が、私の中のこの法律への不信感をさらに増幅させる。

 なのに、そんな考えを持ってる人は私の他にもちろんいなくて。

 だから私は、上辺だけは取り繕っていても、本当はいつも一人だった。


「おはよー、梨沙」

「おはよう。ねね、今日の予習やった?」

「やったよ。まさか杏果……」

「あたり! やってない! さすが梨沙だね! 写させて!?」

「もー、しょうがないなぁ……」


 はたから見れば間違いなく普通の女子高生の会話なのに、どうしてわたしはあの法律についてみんなと同じように考えられないんだろう?

 杏果は友達、だと思っているけど、私の安楽死法についての考えを聞いたらどう思うんだろうか?

 想像するだけで震える。この世界で安楽死法に異を唱えるものは総じて以上と判断される。

 なのに私はなぜ死なないのか。


 安楽死がおかしいと感じてから、肉体・精神異常レベル検査の精神異常レベルが年々上がっていった。

 精神異常レベル82を診断された小学校6年生の時、次の年に私は死ぬのかと思った。

 兄は私を優しく抱きしめて、大丈夫だよ……と言い続けた。両親は私のどこがいけないのかと困惑、心配して、何度も何度もセラピーに連れて行った。でも、兄の言葉は嘘で、セラピーなんて無駄だと、私はどこか諦めていた。

 なのに。私は。いざ死を目の前に感じると。怖くて。ただ。


 死にたくない。


 そう思った。

 せめて死ぬなら、どうしようもない理由で死にたかった。

 死ぬことは怖いこと。

 死んでしまったら、自分を今まで構成していた全てが思い出せなくなって、まっさらになって、何も感じられなくなる。私が消え去ってしまう。

 それを笑顔で受け入れられる方がおかしいのだ。

 だから、死ぬときは病気や事故で、たとえ痛みが伴うとしても、それが『生』を手放すことへの抵抗だと言うなら喜んで受け入れる。

 そういう考え方をしてもいいじゃない。なのにそれはあの恐ろしいAIに異常と認定されている。

 やめてよ。

 私を勝手に異常者にして、生きることを奪わないでよ。


 そう心の中で叫びつつも生きることを諦めながら受けた最後の検査でのわたしの数値は。


 肉体異常レベル:42  精神異常レベル:21


 私を心配し続けた両親と兄は良かったねと、涙ぐみながらわたしを抱きしめた。

 そりゃ良かった。私は死にたくなかったから。でも、なぜ?

 私はその時も安楽死法は異常だと考えていた。

 なのに、どうせ最後ならと死にたくないあまりその時だけ安楽死法は異常じゃない、素晴らしいと自分に言い聞かせながら検査を受けた。

 だからなのだろうか? 私があの時死ななくて、今も生きながらえているのは。

 そんな簡単なことで検査をくぐり抜けられるとは思えない。

 過去にテロリストをあぶり出したこともあるあのAIがただそれだけで私を見逃すはずがないのだ。

 でも、私が生きていることはまぎれもない事実で。


 困惑したまま、生きたいと願ったまま、私は仮面をかぶって生きている。


「今日あのテストの日だねー。私あの瞬間好きなんだ。最後にリラがニコって微笑む瞬間」

「そう? 私はあの瞬間ようやくおきられるのかぁぐらいしか考えたことないや」

「えー!? リラかわいいじゃん! あんな可愛い子に微笑まれるとか現実じゃなかなかないし……ふふ、たまらん……」


 テスト。国民に年に一度受けるよう義務付けられている検査のことを、なぜか学校ではテストと呼ぶ。

 眠らされて、まるで棺のような機械の中で身体を、頭の中を全て読み取られた上で数値化されるあの検査を。

 杏果はいつも安全水準しかださないからあっけらかんとしているが、少し太っていたりクラスで浮いている子はうつむき気味だ。

 不思議なことだが、未来ある若者には死にたくないという思想が許される。

 そしてもっと不思議なことに、安楽死法に賛同する若者でも、死が怖いという感覚はあるらしい。でも、安楽死法が決まった瞬間に彼らは大抵「まだやりたいことはあった。死にたくない。でも、異常者の僕も苦しまずに死ねるこの世界の優しさに感謝します」

 などと言い残して消えていくのだ。


 わからない。本当にこの世界はわからないことだらけだ。今は親や教師の目もあり無理だが、大人になったらこの世界について調べたいことがたくさんある。

 だから私は、


『お久しぶりです、葉山 梨沙様。貴女には話さなければならないことがありこうして口を開いております』


 まだ、


『5年間も貴女の数値を測り間違えていました。貴女にはが正しく作用していなかったようですね。そういう人がいるということはわかっておりましたのに……大変申し訳ございません』


 死ぬ、


『ですがご安心ください。今回はきちんと正しい数値を測らせていただきました』


 わけには。


『さようなら、葉山様』


 あぁ、リラが笑っている。

 杏果、どうしてこれを可愛いと言えるの?

 こんな、口元だけあげて、目はひどく冷たい笑顔。


 不気味な、だけじゃない。


「葉山さん……去年は、確か精神異常レベル32、だったわよね……?」


 目を覚ますと、先生がいかにも恐る恐るといった感じで聞いてくる。


「はい」


 リラの話と先生の様子で全て分かった。つまり私は。


「何かあったなら、相談してほしかったわ……葉山さん。あなたは精神異常レベルが100を超えたので、この書類に書いてある施設で安楽死を行うこととなります。……残念だわ」


 渡された封筒の上に乗っているのは私の結果が簡素に記された診断書。


 肉体異常レベル:49  精神異常レベル:472


 平均は50、アウトラインは100。去年までの結果がなんだったのだと言いたくなる。


 測り間違いの理由、リラの言った『脳波』とは何か。知りたいことがたくさんできたのに。


 周りが哀れみの目線を向けてくる。

 そうしてあの子が? いい子だったのに。去年まで数値も普通だったし 今年に入って何かあったのかなぁ…… 可愛そう……


「うそ、だよね? 梨沙?」


 杏果が近寄ってくる。その手に握られた診断書にちらりと目を向けると、どちらも平均以下の数値が記されている。


 羨ましかった。杏果が。今私をかわいそうと言っていられるこの世界では正常な人たちが。


私だって。


「……るっさいなぁ」


 別に好きでこんなこと思ってるんじゃない。


「梨沙……?」


 しょうがないじゃない。だって。


「うるさいよっ……!」


 私は、考え方がみんなと違う。たったこれだけの理由で、死にたくなく、ない。


「死にたくない、ずっとそう思い続けてきただけじゃない! なにがいけないの!?」


 あぁ、ダメだ。これを言ってはダメとわかっている。なのに、言葉が溢れてしまう。


「そもそもおかしいのは安楽死法よ! 人の善し悪しを勝手に判断して、それで悪かったら安らかに死んでください? そんなの偉い人が自分の考えに合わない人を殺しているのと同じじゃない!」


 梨沙が、いや、その場にいた全員が私を凝視している。でも、やめない。


「そんなの間違ってる……! 私たちは、人間は、あがいてあがいて惨めになっても、苦しくても、痛くても、それでも見苦しく生を願うべきよ! だって、じゃないと、こんなの」


 誰かに操られて生きているのと、同じだわ。


 最後にそう叫ぼうとした。なのに、言葉が出なかった。

 代わりに私の口からこぼれ落ちたのは、赤い液体。


「ゲホッ……!」


「いやあああああああああ!!!」


 途端、つんざくような悲鳴があちらこちらから上がる。

 体が熱い。胸がひどく痛い。手が、足が、うまく動かない。苦しいのに、息ができない。

 酷く痛む胸に手を当てると、何かが自分の体に刺さっているのを感じた。

 次いで、べっとりと生温かい血が大量に付着するのも。

 血がたくさん流れている。きっと私はこのまま死ぬのだろう。

 そう考えると苦しみながらも、笑みがこぼれ落ちた。安楽死よりよっぽどマシな死に方だ。まさかここまで痛いとは想像していなかったが。

 そうはいっても、どうしてこうなったかは引っかかる。

 多分、胸に刺さっているのは刃物。途切れそうな意識の中では大小はわからないが、人間の体に刺さるのなんて刃物ぐらいだろう。

 ならば、私を刺したのは誰だ? 安楽死法が制定されて以降殺人は減少し続け、今では1年に2、3件しか起こらないというのに。隠れた異常者が私以外にもいたのだろうか?

 苦しむ身体を無理に動かして顔を上げる。

 霞む視界が最後に捉えたのは。


「宮園……?」


 同じ学年の、大人しいがよくモテる男子だった。

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