Episode02 少女は迷い込むⅡ
「何か言いましたか」
無機質な声が不思議な魔力でも帯びているかのように立ち木を通り抜け、周囲に響き渡る。
違う……何かが違う……この人、いや、こいつには正常な人間の要素がなさすぎる。
額から汗が微かに滲み出し、我にもなく両手で刀を握り締める。
剣ではない、鞘から抜いて初めてそれが刀であることを知る。光をも吸収してしまう漆黒の刀身は光を反射しないためだろう。逆丁子の刃だけが滑らかに研いだせいか、吸収されたはずの光を僅かに漏らしている。
伝統的な日本刀と似たような形をしているが、反りが全くついていない。反りをつけるのが面倒くさかったのか、それともわざとつけなかったのか。ただ「斬り」という動きを難しくしたこの片刃の武器を剣、もしくは直刀と呼んだ方が相応しいかもしれない。
「お前……手品師か何かか」
可能性としてはあるものの、悠慧はあれが超能力者だとは思えない。「異能」を持つ別の「異質」なものだ。
「何か勘違いをしていますね。我々はそのような狡猾なことは決してしません」
悠慧は後ろへ半歩を動かす。まずはなんとかしてこいつの素性を掴めないといけない。確かに自分自身に対して敵意を持っている敵か、それともただばったり会った警戒心を持って危険な気配を撒き散らしている超能力者か……もしくは別の何者か。
「じゃあ何だってんだ! 変な火みてぇなもんを生み出したんじゃねぇか」
ある意味常識から外れている悠慧だけれど、「あれ」の正体を掴む前に情報をなるべく提供しないように常識を口に出す。
「ああ、これですか。我々の魔術です。そうですね……我々の魔術にもその分類はあるが、
魔法だぁ? 信じられねぇ、と悠慧が思う前にもう一つの言葉に気を取られてしまった。
「我々……っ」
魔術など知ったことではない。しかし、我々……こんなのは、ほかにもいるというわけか。
もう半歩、後ずさる。
「一人じゃなかったのか——」
その一語の後にとても恐ろしいことが思考を充満してしまった。
「——あまね……っ」
さっき、あれは「汝等」という言葉を使った。ということは、悠慧のほかに天音の存在を知っているということだ。
気になったというつまらない理由で追いかけるのは馬鹿だった、と今になって改めて思う。
天音は〈PKO〉の構成員ではない。つまり、彼女はなんの戦闘力もない、ただの女の子だ。
「一人ですか……どのような形のことを言っているのですか?」
「形?」
「はい。もし目の前に立っている人のことでしたら一人です。ですが、もし話している相手のことでしたら、数百です」
「……がっ! こいつ何を言ってっ」
完全に想像を超えた答えを告げられた悠慧は簡明な思考を極力試すが、すぐに諦めてしまった。正しくは諦めさせられてしまった。
目の前のやつは今までの常識を遥かに超えていて、かつて触れたこともないものをいくら考えても無駄にしかならない。
でも、悠慧はある意味でのいい知らせを聞いた。ここに立っている人は一人なら、天音のところにまだ危険が及ぼしていない。
「お前は何者だ。人間か? それとも……」
美術館に羅列する彫像のように決して彫られた姿形を変えずに答える。
「我々は紛れもなく人間だった。ただし、我々が我々を保っていられる時間は普通の人間を遥かに超えています」
悠慧が思うような答えを出してくれそうにないあれは話し続ける。
「正確には、我々にうちに一人でも存命していれば、我々に消えることはありません。正しい器があれば何度でも甦ります。汝等からすればそれは無限に等しい時でしょう。何せ、汝等は有限の命しか持ち合わせていないのですから」
「なんだそれ」
喉を震わせる。話がますます分からなくなってきた。莫大の情報と負の感情がまだ悠慧の中に暴れている割には、もはやその全てを「不気味」としてしか感じられなくなっていた。
「簡潔に説明をしましょう。我々はあの方を信じ、あの方の授けで人間が歩まなくてはいけない末期を超えたのです。人格を永久に保ち、持っているすべての知識を全体に共有できるのです」
「あの方?」
「言い忘れましたね。魔術とは、その術を信じることで力を生み出すのです。あの方は魔術に選ばれた唯一無二の存在、すなわち魔術そのものなのです。よって、我々はあの方を信じています」
「なんかの新興宗教か」
口では程好く新興宗教を言っていることと裏腹に、心の中では邪教として定め切っていた。
「宗教、ではありませんが……そう捉えても構いません」
「宗教は本当に素晴らしいね……んじゃ、用がなければここで散っていいか、これ以上お互いの時間を潰したくないもんでね」
作り物の笑顔を見せかけた。
「そうですね……我々も早く用を済まして僧院に戻らないといけませんからね」
僧院だと!? こいつ神父じゃなく、坊さんだったのか?
疑いの眼差しでもう一度目前に直立する白いローブに覆われる人物を観察する。
人間の要素をすべて隠しつくす純白のローブ、機械のように声を出す口、顔を黒く塗りつぶす影、風に関係なく蠢動する灯火、死体のように細くなってしまった骨ばった指、神父と自称していればまだ、信じていたかもしれない。
でも、どこからどう見ても毎日お寺で読経する僧には見えない。
少なくとも悠慧の質問に答えがあった。それに、それは僧侶は何者よりも、遥かに満足のいく答えであった。
「なんだか、やけに幸運だな、今日」
相手から逃してくれるならこれ以上何も言わずにこの場から去るのが一番だ。
こんなふうに企み、悠慧は僧侶を見つめたまま後ろへ下がっていく。僧侶が逃してくれるという意思が消える前に、こいつの見えないところまで逃げる考えだった。
「しかし」
咄嗟に僧侶の声は再び森に響く、「片づけはまだ終わっていません」と冷たく伝えられた。
「……なっ!?」
そう言う瞬間に、背中から焼けるような疼きが伝わる。
「っつ!」
悲鳴を上げると、まるで背後にいきなり蛍光灯でも点けられたかのように、強烈な光が悠慧の背中を照らし、葉っぱで敷く地面にはっきりと影を作る。
僧侶の攻撃であることに悠慧はすぐに気が付く。
思いっきり身体の向きを変え、後ろへ下がっていった。
目の前には光を捻じ曲げる「歪み」はその偽装を落としていく。透明の歪みが割れたガラスの欠片のように剥がれ、その真面目を露にする。
一点に集中する輝きが周囲の光を貪るように、その周りに暗い空間を作り、そのさらに外側には炎が激しく燃え上がる。
次の瞬間、悠慧を中心に数々の空間から歪みが生じ、その偽装を次々と落としていく。
気が付けば悠慧はすでに異常な「焔」に囲まれ、四面楚歌の状況になってしまっていた。
「きっさま!」
さっき走っていたときの熱さの原因が分かってきた。悠慧は白い影を追い始めたごろから、追われる方になってしまっていたのだ。
「敵意を感じますね」
と、軽々しく言葉を零す。
それがもたらした結果は言葉のように気楽に受け取られるものではないのだが。
春の樹林の中、暗雲に遮蔽される空の下、肌を荒らす突然の冷風に揺れるシャツと白いマントとともに、静かに燃え盛っていた火がゆらりと震えた。
静止していた焔は撃ち出された砲弾のように高速に中央に集まってくる。
これなら——
深く息を吸い込み、両足に力を込める。
急速に襲ってくる焔ではなく、悠慧はそれらを作り出した張本人、僧侶に向かって走っていく。
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