Episode02 少女は迷い込むⅠ
からからに乾いたのどを震わせる。
「……ん、だっ……あれは」
白い影が視界の端を掠めるように通り過ぎる。
あれは決して動物の類いではない。自然界の如何なる動物でもあんな純白の毛皮を持つはずがない。それ以前にあのスピードは悠慧が認識する動物の概念を超越している。
普通の動物ではない。かといって人狼という動物の
まっすぐに脳を重撃する尋常ではない、薄気味悪い気配は人狼の可能性を否定した。
あれは人狼ではないことのほかにも、身体の奥底が強く告げていることはある。
——あれは危険だ!
「ゆっ、あっ! 悠慧っ!?」
天音が
「くそっ! あれは普通じゃねぇ」
悠慧には特別と呼べる才能は何一つ持っていない。頭がずば抜けていいとは言えばちょっと違うし、スポーツで何かの賞を獲ったこともない。
でも、彼にはPKOに招かれたときに見込まれた、日常では絶対に使われない「才能のようなもの」なら持っている。
彼は第六感、特に危険への直感だけは桁違いに強い。
命に関わるレベルのことなら、目に見えていなくても、耳で聞こえなくでも分かる。まるで生き延びるだけのために存在する直感かのように。
白い影はまるで現れたことすらなかった幽霊かほかの何かのように、森から姿を消した。
奥歯を食いしばる悠慧の視野に白い影は二度と入らなかった。
だが、それはいまだ近くにあることは分かる。肺臓から空気を追い出す重圧感は消えてはいない。
「……今のうちに」
念のために持ってきた甲斐があったと思い、悠慧は背負っていた黒いソフトケースを背中から下した。その中から普通の中学三年生にあるまじき代物を取り出す。これを日本警察の前に出せば紛れもなく銃刀法違反で即逮捕される。
なんにせよ、それは鞘に収めている一本の黒い剣のような物だったからだ。
剣そのものの正体は知れないが、つや消しを施された鞘は何本かのラインがその表面に走り、顔を近づいてよく見ればラインの奥から夜でもはっきりしない青い蛍光を発していることが分かる。
剣をきつく身体に縛り付け、「ここで待ってろ」とだけ言って、物音を出さないように影が消えた先へ向かっていく。
森の中なら何かしらの野獣が出てくるかもしれないと思って持ってきた。ブラックパンサーだとかイノシシだとか、さすがにブラックパンサーは住んでいないとは思うけれど、イノシシならありえる。ジャガイモのようにイノシシに頭をほじくられ、噛み砕かれたいと思う悠慧ではない。
それに人狼が本当にいたのならこれでもなければ、ひとたまりもないだろう。
けれど、野獣と会わないのはいいが、まさかこんなところにも本来の使い道を果たせるとは考えもしなかった。
「はあ……」
足を止めずに少々呼吸を整えて目を見開く。
嫌な予感がする。
俺としたことは……本当は今すぐに帰りたいのは、どうして逆にこんな危険に身を投げるんだ? それに、あれは……
「……いったい」
一定の速さで走るも、悠慧は周囲の環境の細部まで目を配ることを止めない。
泥と混ぜた葉っぱが落ちている地面から、青苔を根元から上られた木々の間、様々な植物が絡み合ってできた陰まで、直感ではなく、感覚器官で白い影を再び捉えようとした。
恐怖の悪寒よりも悠慧は全身の血液が沸騰したかのように熱さを覚える。
すぐ近くにあかあかと燃えるストーブが大量に設置していると言われても信じるほど異常に熱い。
天音が残された場所を見えないくらいの距離を離れてようやく足を止める。
周りをしっかりと目で確認してから、悠慧は木に寄りかかって次にどう動くかを考える、このまま退くか懲りずに先を進むか。
退くのはこの場におけて最適解に違いない。見えもしない「未確認生命かどうかも分からない体」を目の当たりにしようだなんて考え方が根本的に間違っていた。
単純に危険に対する警戒心と悠慧は不審に寄りたがる性質、言わば物好きの性質が働いたから追いかけることにした。
確かに、悠慧は危険を感じた。それは絶対に間違いない。彼が唯一才能と呼べるその直感は現実を誤認するわけがない。存在するものはたとえ光や物質を通過させることができても、存在しているかぎり悠慧の直感を誤魔化せない。悠慧が危険と判断したものはなおさらだ。
「ここはやっぱり、一旦帰ったほうが……」
危険を感じているのは確かだが、それでも危険止まりだ。実質的なことは何一つ起きていない。
ここで退散するのは確かに卑怯かもしないが、この後にあいつらを集めて、人狼も兼ねて今より遥かに安全に調べられる。日本支部の構成員のほとんどは口の堅い人だから、事情を伝えれば〈補助機関〉を案ずることもないだろう。
スーッという、水が蒸発するような細い音がすぐ後ろから伝わる。
「……ん?」
奇妙な音が気になって振り向こうとすると背後から機械的な声が響く。
「何かお探しのようですね」
「……なっ!」
呆れる余裕もなく悠慧は背負っている武器の柄に手をかけた。だが、すぐに抜刀することはできない。微細の機械が作動する物音とともに鯉口が刀身を出せるほどの広さに展開した。
半秒ほどかかってようやく刀を引き抜き、見もせずそのまま背後を切りかかる。
スーッと、先ほどに似っている音が耳に入ると、空中に浮かぶ炎の欠片のみが切り裂かれた。
やはり、背負うとなると先手を取られてしまうのか……そっちから襲って来なかったのは運がよかったようだが。
切り裂いたその向こうに人の形をした影が、音も立てずにいきなり燃え上がった炎から姿を現す。
「……いいっ!」
小さく嫌らしげに悠慧は喉の奥らか呪いのような唸りを絞り出す。
人工物にしか思えないほど完璧な純白のローブを着る神父と思わせる人物だった。地面に引きずるローブのフードで顔全体すら見せない。対話に使う口と一本の珍妙な白い
とても普通の人間がするような格好ではない。頭のてっぺんから爪先まで包む純白のローブ、箸と同じくらい細さの手に穏やかに燃える蝋燭、それと……蝋燭の明かりに照らせて、口以外ぼんやりと見える影が覆う見えない顔。
もしこんな要素不足のやつが「人間」と呼べるのなら、博物館のそこらじゅうに散らばっている彫像だって人間だ。
悠慧は何か分かったように「あれ」の周囲に消えていく火の残骸に目線を遊走させる。
「……会うってのもレアだけど——」
自分自身しか聞こえないボリュームで独言する。
「まさかこいつ、……火を行使する超能力者じゃねぇよな」
悠慧が知っている知識の中で、こんなふうに超自然的なことができるのは超能力者しかいない。
しかし、どうしてここで姿を表す? 能力まで使って。
思いつく可能性は二つ。この人は、超能力者が圧迫されていることに耐えられず、反社会的行動を為出かし、この人気のないところで人を待ち伏せしていた。これならさっきまで悠慧が危険を感じ続けたことを説明できる。しかし、不合理な点がある。それは、ここは人が出歩かない場所であり、見張る範囲もあまりにも広い。ここで人を一点張りで人を待ち受けるのは馬鹿馬鹿しすぎる。
もしくは、この人の裏には、超能力者であることを知られてもなんの影響も与えられないことを保証できる者がいる。それは、各国の政府しかありえない。
そう、今超能力者が超能力を妄りに行使できるのは国のために「ボランティア活動」をしている者のみだ。
そして、人狼の噂話も考えてみると、抑えきれない心騒ぎが心裏から湧き立つ。
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