Episode01 突如、幻影Ⅴ

「五十嵐さんは何かをしたの?」

「あれ? あっ、そうだったな。お前いなかったな、あんとき」

 目をしばたたく天音の双眸を見下ろして、悠慧は思い起こしたように目線を空中に彷徨わせた。

 天音と少年が関わりを持ち始めたのはおよそ一ヶ月前からだ。天音の立場と境遇を考えて〈PKO〉日本支部は組織の情報を明かすことに決めた。無論むろん、境遇など主観的に善悪を定義してしまうようなもので秘密の組織の底を暴いてみせるわけにはいかない。

 悠慧たちにそうさせたのは、その立場だ。彼女は〈補助機関〉と〈PKO〉の間に機密情報を交換する際に橋梁の役割を担っている交渉人の娘だからだ。

「そうだな、いろいろあったんだよ。今は言うのが面倒だから」

 それに裏で人の悪口を言ってるような気がするし……あははは、と悠慧はわざとらしく内心で笑った。

「まだ今度に教えるよ」

 湊やほかのやつらも一緒にいるときに天音にこのことの詳細を叙述しようと暇を考えた。

 なんと言っても、〈PKO〉が〈新時代計画プロジェクトニューエラ〉、〈安全議会セフティカウンセル〉と〈管理委員会スーパービジョンコミッティ〉の三つの〈補助機関〉をつけられてから、その情報や人事、技術管理のほとんどは〈補助機関〉が見せもしないほどにひっくるめて受け取った。その配慮で、今〈PKO〉が考えないといけないことは作戦、管理しないといけないのはデータベースだけだ。

 おまけに〈管理委員会〉から何か特殊な事件と出くわしたらをするように言われていた。これは明らかに現の人類とって一番価値の高い超能力者の情報をかき集めるために出したであった。この親切な助言に従わなかった場合は〈安全議会〉で何らかの処置を言い渡されるのだろう。

 そんな優しい〈補助機関〉に、超能力者の拘束や機密情報を盗まれたような汚名を負わせないように、悠慧を含め一部の〈PKO〉構成員は一人で事件を解決することにした。

 この度もそうだ。悠慧は一人で人狼を見つければ、誰にもどのように規則にも制限されることはない。

 それに仮に人狼が本当に存在して、悠慧もそれと接触したとしても、悠慧はこの事件に特殊性を感じられなかったと言い張れば、向こうも何も言えないだろう。

 言葉の意味を捻じ曲げれば悠慧はいくらでも自分と〈PKO〉を拘束する規制線からはみ出せる。

 なんでも美しいと感じる天音に理解してもらえるかどうかはさておき、これらのことをきっちり説明するべきだと悠慧は思っている。彼が彼女を理解できないように、彼女も彼の考えを理解できないとしても、口数をけちるべきではない。

 少しずつ入口から離れていき、周りの景色が変わり果てた。

 視線を妨げる木々の間から僅かに朝日が漏れる。冬を乗り越え、新芽をつけようとする樹木が四月の冷たい風に揺れて、幾枚の葉を道ならぬ地面に敷く枯葉の絨毯に重ねる。

「本当は今聞きたいけど……分かった。今度にしょう」

 両手を後ろに組んで、曇りなく笑う顔を向けてくる天音は続けた。

「せっかくこんなふうにお出かけできてるんだから、もっと楽しい話をしよう」

「楽しい話、か……いきなりそんなこと言われてもなぁ。俺、何を言えば……」

 仕方もないことだ。子供時代からなかなか友だち作りに敬遠してきた悠慧に何かギャグ言わせるのは彼自身にとっても、提案者にとっても至難の業である。

「えっと……ある男は焼き肉に使う木炭を買いにホームセンターに行った。そこで彼は買えば買うほど安くなるのポスターを見て、店員に『どれくらい買えば無料になるのか』と言った……終わり」

「ええと? その……あの……」

 苦笑いでなんとかして褒め言葉を探し出そうとしている天音に悠慧は罵声を上げた。

「くそっ! 屈辱的な!」

「楽しいっていうのはそういうのじゃなくて、もっと日常生活的な」

「あっ、この前、俺、チョコパイ買ったんだけど、食べる前にほかの連中に全部食べられて、結局俺はチョコパイのかすしか食べられなかった……それ面白い?」

「なんというか……悲しいエピソード、だね」

「どうして俺はこんなに不幸なんだ、はぁああ」

 ちょっぴり切なく、感傷的な表情で嘆息する。

「ご、ごめんなさい……私、そういうつもりじゃなかったんだけれど」

「いや、大丈夫。ふふっ、どうせ俺は神に嫌われているんだ」

 苦い笑みを浮かばせて、悠慧は顔を反対側に向けた。

「ええと……そ、そういえば、人狼が本当に出たらどうしよう」

 冷たく自嘲する悠慧を見ていられない天音は素早く話題を変更した。

「危険のようだったらまたこっちで手を考えないといけないけど、最終的はあれだ。とにかくは俺らが隠すしかないだろう? 〈補助機関〉やどこかの国に見つからないようにね。てか、結局この話に戻ったな」

 やっぱり俺がコミュニケーションをまともに取るとか、はぁあ、無理だ……

「でも……悠慧の考えはちょっと極端的じゃない? だって〈補助機関〉は悠慧たちを助けてるんでしょ? いまだ公表されていないけど、「超能力者」っていう人たちも各国の政府が保護してるって前に聞い——」

「——『保護』、ね」

 今の悠慧の力弱く、卑小な声のように、「保護」というものは思っているように頼もしくなさそうだ。

 いつからはわからないが、結構昔から人々の中には常識を外れた能力を持って生まれてくる者がいたらしい。

 念動力だの発火能力だの念写能力だの予知能力だの、とにかくその能力の種類が多くていろいろあった。

 魔法使いや霊能者、呪術師、預言者などを総じて、人々は彼たちをもっとも身近な呼び方、「超能力者」で呼んでいた。

 過去では、超能力者たちは自分の能力に歓喜したり、気弱な人は恐怖を感じたり、拍手を得るために奇術に装って大衆の前に出てきたりしていた。

 だが、それはあくまで昔の話だ。

 誰に追われていようと、情報が通じないから遠くへ逃げれば安全だとか、追い手はただの一般人だから、超能力を使えば互角以上戦えるとか、そういうことはこの現代では絶対にありえない。

 ほんの少しだけでも他の国々より優位に立ちたい国々の支配者たちは動き出した。

 最初に狙うのはこういう昔から存在を耳にする「超能力者」たちだ。

 いくら超能力を持っていても、現代のテクノロジーからは逃れられないわけがない。インターネットで繋がるこの現代社会に生きていれば、超能力は隠さないと必ずばれる。

 やがて、超能力は必死に隠そうとする者たちへの拷問、ばれてしまった者たちへの罪となった。

 科学は確かに万能のように思える。しかし、同じ自然法則を理解している上で、自分たちにできることは、相手にもできる。それが、支配者たちが超能力者を奪い合うきっかけとなった。

 どちらにも持っている法則で勝負が決まらないというのなら、未知な法則で勝負を決める。

 超能力者を利用して機先を制する戦争が始まった。

「本当かどうかは知らねえけど、どの国の政府も超能力者を保護してるからこそ、新しいもの観察素材が欲しいんだよ……まだ上辺では保護しなきゃいけない、という扱いになっていない観察素材を」

 戦争はそう長くなかった。

 それもテクノロジーというもののおかげだった。

 超能力者戦争はすぐざま止められた。発達した情報通信技術は超能力者の痕跡を都市伝説にし、真実は未参戦の国々に伝える。そして、真実を知っている未参戦の国々は居ても立っても居られなかった。

 弱いくせに強国に逆らおうとするのが命知らずそのものでも、見過ごせば更なる窮地に追い詰められる。

 超能力者への追求の禁止及び各国の政府からの保護の提供が最終決議だった。

 最後の最後まで捕獲を追求など人聞きのいい言葉にすり替えた。

 今や発見された超能力者の多くは政府からの保護を受け、ボランティアという名目で超能力を貢献している。

 もちろん、相変わらず身分を隠す者や、どう考えているかわからないけれど、政府の保護なんて不要だ、と言い張って普通に生きている超能力者もいる。

「あっ……? ごめん、言い間違えた……いや、間違えてないけど、求めてるのは各国の政府だけじゃない」

 自然法則から外れた「法則」、それは誰もが欲する。

 法則に囚われる世界を振り切るために。

「変な結社とか、変な科学者とか、〈補助機関〉のやつらだって、観察素材の情報が欲しがってるんだ」

「悠慧は〈補助機関〉のことが嫌いだからね」

「いや、そんなんじゃないから。俺はそんな感情的じゃないから。確かに〈補助機関〉そのものは何かをしようとしてないし、できもしないと思うけど、人狼の情報を渡してしまったら何かが起こるんだよ、俺が思うに。だから俺はこんな無計画な探検っ! やべっ」

 思わず以前のように本音を漏らしてしまった悠慧であった。

 涙が零れてしまいそうな目で天音の顔を見てみた。すると、天音は両手を慌てて左右に振った。

「大丈夫だよ。ただでさえ時間をもらう側なのに」

「いやっ、その、それは要因の一つでだけで、別にそんなことがなくても心配でついてきたんだから」

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