第5話 前編

「ふみふみどうしたの?」

 休みが明けて月曜日の朝、榊坂さかきざか里湖理子りこりす棚端たなばたふみの様子がいつもと違うことに気付いた。いつもヘアゴムでまとめているポニーテールに、茶色いリボンが巻かれていた。

「あっリコリコおはよう!」

 文は自由帳に何やら人物を描いている最中だった。

「イメチェン?大部戸君といい雰囲気になっちゃった?」

 土曜日に文は彼に誘われてショッピングモールに行ったのだった。そこで騙されてホラー映画を見せられそうになったわけだが。

「そんなんじゃないよ。それにこれお菓子の包装紙に付いてたリボンだし」

 文は後頭部のリボンにそっと触れた。彼女はその晩に見た夢の事を思い出しながら“彼”を描いていたのだった。



「これを私に?」

 氷の牢獄の中、サイコースは茶色いリボンの巻かれた赤い包みを文から受け取った。

ここは文が眠っている間、時々行ける場所なのだ。

「うん、口に合うか分からないけど開けてみて」

 ショッピングモール地下一階で半時間近く悩みながら歩き回った末に選んだのだった。

 文に言われるまま、サイコースはリボンをほどいて包装紙をめくった。

「キットンコットン?」

 中から現れた白い箱の表面に金字でそう書かれていた。

「それはね、お菓子の作った会社の名前。本当は手作りのが良かったかもしれないけど、サイコースに美味しいの食べてほしくて」

 と文は箱のフタを持ち上げた。中には貝殻やハート、丸い形の中央にチョコやジャムがのった焼き菓子が入っていた。

「あなた私の誕生日にいっぱいケーキをふるまってくれたじゃない?だからいろんな種類のお菓子の詰め合わせにしたの」

「なるほどね。そうだ。」

 サイコースは箱の中を指差してぐるっと回した。

「せっかくだから文ちゃんも一緒に食べないかい?いくらでも取っていいからね。」

「いやいいよ、あの時あなた一口しか食べなかったし」

 あの白い動物たちが同席した誕生日パーティ、文も彼らも何皿もケーキを食べたのにサイコースが口にしたのは彼女に勧められたチェリーパイ一口だけだった。

「私はね、君と幸せな時間を共に過ごしたいんだ」

 彼は椅子の背後に回ると、ティーポットとカップが載った盆を持ってきた。

「私の幸せは君の幸せ。だから遠慮しなくていいんだよ」



 彼の笑みや彼の赤い目に彼の巻き毛、選んでよかったすごくおいしかった可愛いお菓子の味、思い出すだけで口の中が甘くなってきた。

「ねぇってば、何描いて……ってよだれよだれ!」

 リコリコの呼びかけに文はようやく我に返った。文よりも先にリコリコがティッシュを取り出してくれた。

 拭こうとして初めてリコリコは自由帳の中身をしかと見たわけだが、そのページの人物がどこかで見た気がすると気付いた途端、ホームルームのチャイムが鳴った。



「レディース&ジェントルメ~~~~~ン!!」

 昼休憩に二年三組の面々が思い思いの場所に移動しようとしたところ、教卓に上がった大部戸に呼びかけられた。

「なんだ?」「隣のクラス行きたいんだけど」

「お時間はとらないよ」

 大部戸は折りたたんだ紙の詰まった箱を取り出した。

「もうすぐゴールデンウィークじゃないか?このくじを今から配るからあたりを引いた者に我が家のクルーズ船二泊三日の旅ペアチケットを差し上げよう!」

 ワアアアアァァァァァァ!!

 歓声を上げたのは一部の者だけであった。なにせオカルト趣味の大部戸はパーティに招待すると騙してクラスメイトを連れだし、「怪人アンサー」の儀式をやらせた前科がある。

「本当だよな?」

 後学の為に大部戸家の人間に取材してみたい新聞部中畑だが、彼も「怪人アンサー事件」の被害者だった。

「今回は本当だよ!実物を持ってきたのだからね!」

 と彼は懐から水色の封筒を取り出し、中から大型客船が写ったチケットを取り出した。それから黒板に日時と旅行中の簡単なスケジュールを書いた。

「すげぇ!」「マジもんだ!」と教室中が沸き上がる中、御凪佳世はスッと手を上げた。

「あー、折角だけどアタシはパス。ゴールデンウィークでも土日以外はテニス部あるし」

 本当はボーイフレンドの木村君を誘いたいけど、彼もテニス部だ。

「あっしまった!」「練習日とかぶるじゃねーか!」

「ふむ、そうか」

 なら、と大部戸は人差し指を立てた。

「くじが余ってしまうから選出方法を変えよう。僕とジャンケンして勝ったものにこのチケットを進呈しよう。あいこは負け扱いとする」

「よーし!」「おっしゃあ!」

意気込んだ生徒たちが立ち上がった。その中でランチデートする御凪や体育会系部活の者たちは次々と教室を去っていった。野球部の木辺も文系はいいよなーと吐き捨てて出て行こうとしたが、柔道部高槻が残っていることに気付いた。

「おいお前、柔道部は練習無いのかよ?」

「いやあるにはあるけど……」

 高槻は言いよどんだ。彼には何としてでもペアチケットを勝ち取りたい理由があった。憧れのリコリコを誘い、ツアーで仲良くなるんだと決めていたのだ。

「さては仮病使う気だろ?」

「いやいや俺は至極真面目な柔道部員だよ?そんな訳」

 仮病、と聞いて何人かが戻ってきた。

「ふざけんじゃねーぞ!」「なら俺だって!」「抜け駆けすんなや!」

 高槻の背後からため息が聞こえた。

「も~高槻君の所為で敵が増えちゃったじゃん」

「まぁまぁ、勝てばいいんだから」 

出席番号順で並んでいる彼の後ろの席は「棚端」で、「榊坂」リコリコはその隣である。そのリコリコに呆れられてしまった。

「みんな準備はいいかな?」

 気を取り直して高槻は皆と一緒に構えた。

「最初はグー!ジャーンケーンッ、パーッ!!」

 チョキを出したものは歓声を上げ、グーとパーの者たちは悔しがりながら座り込んだ。

「ふみふみ、勝ってアタシの仇とってね!」

「まかせて!」

 文だけでなく高槻も心の中で宣言した。

「次行くよ!あーいこーでっ、グーッ!」

「あーっ負けた!」

 今度は敗者の中に、文が混じることとなった。教室の半分ほどが勝ち残った。

「もういいや、ゴハン食べよ」

 勝ち残り続けていたらその分昼食の時間が減ってしまう。文とリコリコはいつものように机を向かい合わせ、今日は特に男子――高槻の尻が目の前にあるので視界に入らないように離れた。

 その時リコリコは隅っこの漆原がジャンケンに参加せずにずっと座っていた事に気付いた。

「漆原君、ツアー行かないの?」

「あぁ僕?」

 彼は弁当箱から顔を上げた。

「仔猫の世話があるからね、いつもは母さんに任せているけど、拾ったのは僕だから僕が責任持たないと」

「やっさしー!」

 木辺も見習ってほしいわーとリコリコが言うのを聞きながら、文は漆原と出会った時の事を思い出した。あの時弟が猫の声がするって出て行って、彼女は彼を追ったのだった。

「ねぇその子ってどんな」「ちょっと森本さん!」

 漆原の前の席――山之内美穂がヒステリックに叫んだ。

「今後出ししたでしょ!ミホ見たんだからね!」

「山之内君落ち着きたまえ!」



 いよいよ勝ち残ったのは文と同じ文芸部の沼尾、リコリコに思いを寄せている柔道部の高槻に、パソコン研究部の小杉のみとなった。いくら彼らでも空腹には勝てず、大部戸の提案もあって休戦することとなった。

 小杉はカツサンドを咀嚼しながら高槻に尋ねた。

「なぁ高槻、お前誰をツアーに誘う気だ?」

 彼はおかかのおにぎりを頬張りながら答えた。

「そりゃクラスで一番可愛い子だよ」

 二人ともリコリコにチラと目を向けて互いににらみ合い、こいつは恋敵だと悟った。

「輝彦がねぇ、先月新しくできた遊園地に行きたいって言ってるの。」

「へぇ今話題の!あそこ“はちみつペロル”とコラボイベント中だったよね?」

「お父さんの仕事が空いてたらいいんだけど」

 彼女は白熱する男子たちをよそに、文からゴールデンウィークの予定について聞かされていた。

「思ったんだけどさ」

 大部戸はナプキンで口を拭うと、勝ち残っている者たちに提案した。

「もう君たちだけでジャンケンすればいいんじゃないかな?僕一人抜けたところで早く済むか分からないけど」

 ずっと「あいこ」が続いていたので、ペアチケットを貰える者がなかなか決まらずにいつの間にか昼休憩を半ばすぎていたのだ。

「んじゃ、決着つけてやんよ」口の周りに米粒を付けて高槻は立ち上がった。

「望むところだ」小杉もソースまみれの口で応じた。

「最初はグー!ジャーンケーンッ、ポン!!」

 高槻と小杉は二人ともパーを出していた。

「決まったね」

 大部戸の声が教室中に響いた。何をバカな、と二人は彼に抗議しようとしたが、彼の視線の先を見て愕然とした。「チョキ」も形をした右手を握りしめた沼尾が、戸惑いと喜びの入り混じった表情で立っていた。しばらく彼は自らの右手と二人を見交わしていたが、やがてこらえきれなくなって右手を高く掲げた。

「よっしゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 それを聞くや否や、高槻と小杉は自らの席にへたり込んだ。

「沼尾ぉ!」「沼尾テメェ!」

 悔しがったクラスメイト達が沼尾に群がった。

「オレを誘ってくれ!友達だろう?」「いや一番の友はオレだ!」「アンタ沼尾君のこと散々バカにしてたじゃん!」「何をー!」

「みんな落ち着きたまえ!!」

 大部戸と学級委員長の長谷倉が止めに入った。

 自分も止めに行った方がいいかな、と立ち上がりかけた文の隣でリコリコが「あ、負けてよかった!」と叫んだ。

「どしたの?」

 てへぺろ、と言いながらリコリコはスケジュール帳を見せた。客船ツアーの二日目にあたる日付に「ルスヴンチルドレンライブ!!」とでかでかとした字が書きこまれていた。



「ってなことがクラスであってね、豪華客船ツアー行きたかったなー」

 夕食の席で文は昼休憩の出来事を家族に話した。

「ぼくもお船乗ってみたい!」

 案の定弟の輝彦は目を輝かして身を乗り出した。

「あかんで、テルちゃんにはまだ早いで」

 祖母は輝彦を座らせた。

「もし船故障して沈むようなことあったら」

「映画やドラマみたいなことそうそう起こらないよ」

 祖父は大好物の焼鮭をほぐす箸を止めた。

「もしもやで?脱出するならおまんら泳がんと」

「救命ボートってのがあるから」

「うっかり落ちてもたら」

「5歳の子が身を乗り出すにしても船べり高いしそんなわけ」

「とにかく海はおとろしい所やから行くんちゃうぞ!ええか!?」

 陽気な祖父にしては珍しく切羽詰まった表情だった。

「お爺ちゃん昔ね、海でおぼれそうになったことあるんよ。おまんらも川とか水の傍には近づかんようにな」

 祖母にまでそう言われたら文と輝彦は首を縦に振らざるを得なかった。

「でも折角のゴールデンウィークだし、行きたいとこあったってテル言ってたよな?お父さんの会社も休み取れたから」

 遊園地に行きたいと言ってたのを父が覚えてくれていたので、輝彦の機嫌はすぐに直った。

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