第4話 中編

「よくもだましたなぁ!」

 土曜日午前九時半の映画館前に、文の絶叫がこだました。

「だましただなんて人聞きの悪い!ちゃんと約束通りショッピングモールここに連れてきたじゃないか!」

 大部戸と文がいる映画館は確かにショッピングモール二階にある。

「だからってあんなホラー映画見せられるなんて聞いてない!」

 映画館入り口を飾るポスターの中に「花子さんVSコックリさん」という本日上映の映画があった。そのポスターはおかっぱ頭に色白の少女と赤い隈取の付いた白い狐が向かい合い、黒い背景におどろおどろしい文字で「呪い合え怪談!」という煽り文句が付いていた。文はそれに背を向けるように柱にしがみ付き、大部戸に引き剥がされそうになっていた。

「おすすめのお菓子屋を教えてあげるから」と言われて素直に付いて行ったが、階段で食品売り場のある地下一階でなく二階に上がった時点で文は気付くべきだったのだ。

「この映画の年齢制限を知らないのかい!?PG12だよ12!僕たちがギリギリ見る権利があるのだよ!権利を捨てるということ以上に罪深いことはないのだよた~な~ば~た~く~~~~ん!!」

「大部戸君がホラー映画鑑賞を義務にしたいだけでしょう!?」

 二人が言い争っている間に、どこかから迷い込んできたのか一匹の蛾がふらふらとやって来て、文の手に触れそうになった。

「うわっ!」

 思わず柱から手を離した直後、文の脳裏に「しまった」という四文字が浮かんだ。

「さあ覚悟を決めたまえ棚端く」「あら棚端さんと大部戸君じゃない」

 二人が声のした方に振り向くと、クラスメートの静谷しずや詩穂しほが立っていた。彼女のロングスカートを幼稚園児位の女の子が掴んでいた。

「静谷さん奇遇だね!この子妹さん?」

 おもむろに大部戸を振り払った文は詩穂の足元にかがみ込み、女の子と目を合わせた。

「美しい織物って書いて美織みおりっていうの、5歳。」

 その名はごく最近耳にしたような気がした。

「美織ちゃんはじめまして、私は文っていうの。お姉ちゃんと同じ学校。美織ちゃんも映画見に来たのかな?」

「うん」

 美織は近くにある「花子さんVSコックリさん」のポスターが気になるのか、落ち着かない様子だった。

「なんて映画見るの?」

「はちみつペロル」

 姉に身を寄せている美織は、先程まで文がしがみ付いていた柱を指差した。「はちみつペロルと魔物の森」というタイトルロゴが下方にあり、はちみつ色の猫がツルを伸ばした大きな花の上を飛び上がっているアニメのポスターが貼ってあった。

「私も『はちみつペロル』好きなんだ。弟と毎週見てるの。あのお兄ちゃんと何の映画見るか相談してたんだけどね。」

「さっきのどっちかと言うと喧嘩よね」と詩穂は怪訝そうに大部戸の方を見た。彼は飛んだ邪魔が入ったので居心地悪そうにしている。

「私も『はちみつペロル」見たいなぁ。友達と見るなら楽しい映画がいいよね?」

「うん」

 文は「花子さんVSコックリさん」から庇うように、美織を「はちみつペロル」のポスターの近くまで連れて行った。

「怖いのなんて見たくないよね?」

「うん」

「私も美織ちゃんたちと一緒に見たいなぁ」

 わざとらしく文は大部戸の方をチラリと見た。それで彼は諸手を上げて降参した。

「わかったよ、じゃあ僕は一人で」

「おにーちゃん、ひとりはかわいそう。」

 美織が無垢な眼差しを向ける上に服を掴まれ、大部戸は大きく溜息をついた。

「それじゃ行きましょうか」

 チケット売り場に向かう詩穂に文は嬉々として付いて行き、美織に引っ張られて大部戸はトボトボと付いて行った。

「そういえば棚端さんもアニメ好きだったわよね。弟さんの影響?」

「うん、輝彦っていうんだけど」

「テルちゃん!」

 美織が文に駆け寄ったので大部戸はこけそうになった。

「もしかして『たなばたてるひこ』のテルちゃん?」



「美織ちゃんペロルの絵本で何が一番好き?」

「おかしの国!いろんな建物がおかしでできてる国をペンペンが冒険してね、」

 静谷美織が文を「同じ保育園の友達のお姉さん」と知ったことにより、座席に着くまでに二人はすっかり打ち解けていた。

「テルもお菓子の家欲しいって言ってたんだよ。」

「美織もクッキーがかべになってるのがほしい!」

「はちみつペロルとおかしの国」の挿絵の中でも四角いクッキーが何枚も並べられている家の壁はおいしそうで、輝彦と一緒に見てて文も食べたくなったのを思い出した。

「美織、トイレ行っとく?」

「行く!」

 美織は姉の詩穂に手を引かれて歩いて行った。

「人見知りしないいい子ね。」

「そだね」

 楽しみにしていたホラー映画鑑賞を邪魔された大部戸はそっけなく答えた。

 これはお昼ごはん以外にも何か奢らないといけないなと、文の中で申し訳なさがこみ上げてきた。サイコースへの差し入れになるような物を探しに来たけど、サイフ足りるかな?

「ところで大部戸君、さっき一人であれ見ようとしたんでしょ?最初から私を誘わずそうしたら」

「行き先一緒なら、棚端君もコッチの世界に引きずり込めるかと思ったんだけどねぇ」

 申し訳なさがスッと冷めた。あやうくオカルト趣味に洗脳されるところだったという訳だ。

「大部戸君はなんでそんなに怖いのが好きなの?いつから?」

「小学校に上がってからかな?子供向けの怖い本を貸してくれた人がいて」

(ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー)

 観客席にブザーが鳴り響いた。暗くなった通路で静谷姉妹が急いで戻ってきた。

「もう始まった?」

 美織は文にぴったりくっついて座った。

「まだ予告編だから大丈夫だよ。」

 映画本編の前に、別作品の予告編映像が流れるものだ。巨大スクリーンが真っ白に光る。その上を蝶のシルエットが横切った途端、スクリーンが暗転した。



 視界が明るくなると、鬱蒼うっそうと生い茂る森が目の前どころか周りに広がっていた。文たち観客は草むらに腰を下ろしていた。

「ペロルの森だ!」

 観客たちが戸惑う中、美織は映画の世界に入ったと思いはしゃいだ。

「4D映画だっけ?コレ」

「よんでぃー?」

 興奮のあまり立ち上がりかけた美織を押さえながら、詩穂は尋ね返した。

「映画の登場人物と同じような体感を味わえるように館内に演出を凝らしてるものだよ。ホラーなら幽霊や怪物を足元に這いずり回らせたり、嵐や波に合わせて座席を揺らしたりね。しかし」

「これ本物よ!」

 文は足元に生える草を触ってみた。

「こんな一瞬で森の中に変わるなんてありえない!」

「じゃ僕たち映画の世界に入り込むという、怪奇現象に巻き込まれた訳だね!」

 誰かの魔法に違いない!と嬉々として立ち上がった大部戸に対し、詩穂のリアクションは逆だった。

「そこ喜ぶところじゃないでしょう!それに「ペロル」の映画の通りだとしたら」

 突然、地割れのような大きい音が響いた。色とりどりの鳥が飛んでいくのが見えた。

「森の魔物だ!」

 子供たちが口々に叫ぶと、森の奥から血管の浮かんだ人の腕のようなツルが木々を引き倒しながらこちらに伸びてきた。それに観客たちはここが「アニメの世界」のような生易しい物でなく恐ろしい現実だと悟り、一斉に逃げ出した。

 詩穂も美織が「ペロルは?」と問いかけるのも応えず彼女を抱えて駆けだした。「せめて一枚でも」と写真を撮ろうとタブレットを取り出した大部戸の手は文に掴まれ引っ張られた。その彼女の視界の隅を、何かがよぎったような気がした。そちらに目を向けると、角の生えたウサギが林の中に入っていくところだった。

「ニグラッセの!」使い魔それを見たのは水曜日の昼休憩以来だった。文は思わず大部戸の手を離し、兎の跡を追った。大部戸はこれ幸いとタブレットを撮影モードにし、誰もが追ってくるツタから逃げることに頭がいっぱいで彼にも文にも気付かなかった。



 文が広い場所に出ると、ツノウサギは中央の夜色の髪の豊満な女の足元で立ち止まった。

「ニグラッセ!やっぱりアンタね!」

「とんだ誤解ですわ。」

 ニグラッセと呼ばれた魔女は豊かな胸に、ツノウサギを抱き上げた。

「アタクシは森がある場所ならどこにでもいるのだからいるだけ。皆さんをお連れしたのもアタクシではないわ。」

「じゃどうしてこんな目に遭うのよ!何なのよあの植物のツルみたいなの!」

「旧支配者の領域ね。使い魔を使って自身の夢の世界に連れ込んで配下にしようとするのよ。」

 ニグラッセはツノウサギの目の前に、人差し指を立てた。

「ってことはサイコースも」「旧支配者は一柱とは限らない。あれは地球に君臨しようとした花の旧支配者・ブルスームよ。」

 彼女は人差し指をゆらゆらと動かし、それをツノウサギの目が追った。

「ここに来る前に変な蝶を見なかった?あれがブルスームの落とし仔よ。鱗粉が目に入るとたちまちねむ~く」

 突然、甲高い悲鳴がニグラッセの話をさえぎった。

「喋ってる場合じゃない!行ってくる!」

 文は踵を返すと、懐からピンクのルビーのネックレスを取り出して放り投げた。

「開け、シャトルキー!」

 右手をかざす文の背に、ニグラッセはツノウサギの右前脚を持ち上げて「いってらっしゃーい」と振った。

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