第4話 前編
「もう何なのアイツ!」
放課後に大量発生した頭がイボだらけの昆虫――「旧支配者の落とし仔」たち。文は愛する人を「旧支配者」から取り戻すために、「落とし仔」たちと戦っていた。ところが今日は戦う前に「ドリームランド」とかいう所からやってきた猫たち「ウルタール猫軍」に先を越された上に、彼らの一員から「ヒーローごっこはもうやめろ」と言われた。それも茶トラの仔猫に。なんだか釈然としない。
彼女に戦う力を与えた魔女「ニグラッセ」に相談しようと思ったが、疲れているので自宅の裏山に行く気が起きなかった。ニグラッセは森の中ならどこにでもいる。
「とりあえず、もう寝よ。」
たった今半分潰してしまった「ルリちゃん」――青いリボンを尻尾に巻いたアザラシのぬいぐるみを抱きしめて、文は目を閉じた。このモヤモヤは昨夜「彼」に会えなかったというのもあるかもしれない。
ルリちゃんは文の「彼」の髪色と同じく白くて、七年前に「彼」と出会った青い屋敷「瑠璃夢館」が彼女の名前とリボンの色の由縁である。今夜こそ「彼」と会えますようにと、文は願った。
目覚めた文の目に映ったのはルリちゃんの白い胴体だったが、身を起こして眼前に広がったのは、アイスグリーンの壁と床だった。その中央に同色の背の高い椅子があって、同色のマントの男が座っていた。侵入者に気付いて立ち上がった彼の白銀の髪と赤い目を認めるや否や、文はルリちゃんを持ったまま彼に駆け寄った。
「サイコース、なんで昨日は会ってくれなかったの!?」
うれし涙に目を濡らした文のつむじに、サイコースは手のひらを載せた。
「すまなかったね文ちゃん。私もたった一日会えなかっただけで、身が凍るかと思ったよ。」
それから彼は微笑みを険しい表情に変えた。
「旧支配者が私と外部とのつながりを絶とうとしている。明日も会えるかどうかわからないしこれからも会えたり会えなかったりするかもしれない。君にも危害が及ぶかもしれない。」
「ウルタール猫軍」は人間を旧支配者から守るためにやってきたと将軍は言っていた。彼の曾孫が忠告したのもあながち間違いではなかったのだろう。
「あなたの孤独に比べたら、平気へっちゃらよ!そうだ!」
と文は抱えていたぬいぐるみをサイコースと対面させた。
「この子はアザラシのルリちゃん、あなたとの出会いの場所から名前を付けたの。あの後お父さんが休みの日に水族館に連れてってくれてね、お土産に買ってくれたの。あなたが寂しくないように、この子をあげる。」
「いいのかい?文ちゃんの思い出の品だろう?」
彼女はかぶりを振って、父の罪滅ぼしの品をサイコースに差し出した。
「私は家族も友達もいるからいいの。ここにはあなたの...白い動物たちもいないでしょう?」
瑠璃夢館にて文は、白い体に赤い目のクマやペンギン、アザラシと食卓を共にした。
「私の使い魔たちか。皆我々の敵に取り上げられてしまった。」
「どうか、ねぇ、ルリちゃんを私か使い魔の代わりでいいから持っていて。」
「君がそこまで言うのなら」
ついにサイコースは根負けして、ルリちゃんを両脇から抱え上げた。さっきまで抱きしめられていたルリちゃんは元通りの大きさに膨らんだ。
「ありがとう。うん、思ったより軽く柔らかいな。そういえば君のネックレスの事だが」
文が現在首にしているピンクのルビーのネックレスはサイコースから贈り物であり、ニグラッセによって右手に埋め込まれた「銀の鍵」と合わさることで魔法使い「チェリーピンク」に変身する道具でもあった。
「眠る時にそれと銀の鍵を持っていることで私の元に来れるのだが、夢の中で君が強く行きたいと願う場所ならどこにでも連れて行ける。ある程度なら。」
「ならあなたもそこへ連れ出せる?」
「いや無理だ。旧支配者の呪いで出られないからな。だが君は近い内にこことは違う場所に行くことになるだろう。旧支配者の為に。」
「いいえ」
文はネックレスのトップを握った。
「私、眠る時はいつだってあなたの事を思うわ。」
「ならいいんだ。ただ奴らは世界征服の為にあらゆる悪逆非道を行うだろう。正々堂々戦って勝てる相手ではない。」
今度はサイコースがルリちゃんを文に向き合わせてかがみ込んだ。
「奴らと戦う時を待つんだ。それまでに君は強くなれるから。」
その真剣な赤い眼差しに見送られる中、文は覚醒の世界に戻った。ルリちゃんはベッドにいなかった。
「おねえちゃんおやすみにねー、おかしのいえさがしにいこう?」
いつもの家族そろった朝食の席で、弟の輝彦が何度目かになるお願いをした。
「ウチの裏山何度も行ったけど無いって知ってるでしょう?なんでまた」
母は輝彦のおねだりに飽き飽きしていたが、祖父母は「どうしても欲しいもんなぁ」と微笑ましい眼差しを孫に向けた。
「みおりちゃんもほしいんだって。おかしのいえ。」
「みおりちゃん」は輝彦と同じ保育園に通う女の子で、たびたび彼が話題にする仲のいい友達だ。
「そこでみおりちゃんいっしょにくらすんだ。」
「お姉ちゃんはいいの?」
輝彦は喋りながら食事する癖が抜けないが、しばらくその口を閉じた。
「おねえちゃんもすんでいいよ。」
その言い方と返答に間があったのが引っかかったので、文は意地悪な質問をしてみた。
「お菓子の家なんて虫にたかられちゃうよ?毎日食べてたら無くなっちゃうし。」
箸の手まで止めて輝彦は考えていたが、ようやく閃いて目を輝かせた。
「おかしのいえ、僕とみおりちゃんのウェディングケーキにする!」
仕事に遅れないように朝は食事中は会話に加わらない父が、思わず吹きだした。
「ませた事言うじゃないの!」
「いやいや可愛いじゃんか、お菓子の家をウェディングケーキって!」
団壱中学2年3組の教室にて、文の友人たちは彼女から今朝の食卓での出来事(みおりちゃんの名は弟の名誉の為に伏せた)を聞かされて爆笑した。
「もう大変だったのよ、掃除しなきゃいけなかったし、お爺ちゃんが曾孫安泰やなって言ったもんだからお婆ちゃんがまだ早いって怒って」
「はぁ、早すぎるのって、取り返しがつかなくなるもんねぇ。」
さっきまで笑っていたのでリコリコは息を整えた。
「そうそうお菓子と言えばね、なんか贈り物にいいのないかな?コンビニスイーツとかじゃなくて。」
「だれだれ?言わないからさ。」
お菓子で贈り物と聞いて、友人たちは相手はきっと意中の男子だろうと早合点した。あながち間違ってなかった。
「うんまぁ、親類にお祝いごとがあってさ、男の人って何がいいかな?」
夢の中の住人で魔法使いだなんて、文は言えなかった。サイコースは何を食べているのか分からないしそもそも食事する所さえあまり見たことがないが、あの空間に物を持ち込めると分かった以上、何か美味しい物を差し入れたい。
「そりゃ手作りじゃない方がいいね。」
もう少しで家庭科部の田辺則子はおすすめレシピを提案する所だったが、「親類」で「男の人」という言い方に対し、年上の人なんだろうと察した。
「じゃあなおさら百貨店で売ってる菓子折りじゃないとね。」
「なら丁度よかった。」
かしましい彼女たちが声のした方を振り向くと、食品業界で有名な大部戸グループの御曹司・大部戸秀が立っていた。
「前にみんなを連れて行ったショッピングモールがあるじゃないか。僕そこに用事があるんだ。」
「あぁ、お詫びにスイーツバイキングに連れってくれた時のね。」
それと前後して大部戸のオカルト趣味が判明して以来、クラスの女子は大半が彼と若干距離を置くようになり、代わりに昨日転校してきた漆畑又三郎に注目するようになった。もっとも本人は気にしてないが。
「そこなら贈答用のを扱ってるお菓子屋さん、結構あるからね。明日土曜日で丁度休みだから、よければ棚端君をエスコートしよう。」
「あらぁ、何の話?」
そこへさらに割り込んだのは、クラスの女子の嫌われ者・山之内美穂だった。彼女は顔のいい男子が他の女子と仲良くしているのを見ると不快になる面倒くさい性格で有名なのだ。
「さっき大部戸君がエスコートとか言ってたけどぉ、もしかしてデート?」
「アンタには関係ないでしょ!」
巨体に似合わない媚び声の山之内を、リコリコはさっさと追い払おうとした。
「でも棚端さんさぁ、なんで男子とお出かけするのぉ?」
「親戚の男の人へのお祝い品探しに行くんだから、男子と一緒の方がいいじゃない。参考になるから。」
「そりゃ失礼!」
「親戚の男の人」と言うのは文のでまかせだが、一応山之内は引き下がった。口振りに謝る様子はないが。そのまま彼女は転校生・漆原又三郎の元に向かった。彼の席は山之内の真後ろである。
「ねぇ漆原君、お休み予定ある?なかったらさ」
「僕ね、仔猫の世話してあげないといけないんだ。」
こう言われたら普通「どんな猫?」だの「見せて貰っていい?」だの猫の話題になるものだが、山之内は猫が嫌いなのである。
「えー猫なんておうちの人に任せればいいじゃない!」
「まだ生後40日とちょっとでね、たびたび脱走したがるから心配なんだ。」
「明日男子とお出かけかぁ。」
ルリちゃんもいないベッドで寝転がり、文はドキドキのあまり眠れないでいた。何もデートするわけじゃないが、サイコース以外の男子と二人、連れ立って歩くのである。そのことで後ろめたさを感じていた。
彼のことを頭に浮かべて寝ることにより彼と同じ空間に行けるのだが、今夜は彼と顔を合わせづらい。せめてお菓子の事を考えてお菓子だらけの夢の世界に行こう。輝彦が欲しがる「お菓子の家」でいっぱいの。そこで一番素敵なのを見つけたら、明日大部戸君と探すんだ。
そう心に決めて文は目を閉じた。しかし彼女はその翌日、違う意味で後悔することになる。
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