第3話 中編
「ふみふみ、漆原君の事気になるの?」
リコリコの問いかけに、文は音楽室へ向かう階段を危うく踏み外す所だった。
「なななななな何言ってんの!?」
「だって授業中もチラチラ見てたじゃん。」
「だって今朝話した男の子とまさかこんな形で再会するなんて思わなかったし...」
文が恋しているのは人間なのかさえ疑わしい、夢の住人となったサイコースただ一人である。昨夜その彼と会えなかった寂しさが、同じ年頃の男子への興味を芽生えさせたのだろうか。
その相手――漆原又三郎は甘ったるい声で山之内美穂にしきりに話しかけられていたので、近づくことすらできなかった。
「漆原君ってぇ、音楽好き?ミホね、クラシックが好きなのぉ。みんな流行りの歌しか聞かなくって、センス無いわよねぇ。」
山之内が自分の事を名前で呼ぶので、それが余計文の神経を逆撫でさせた。二人の会話に割って入ってでも漆原のケガを確認したかったが、彼女の邪魔をしたら間違いなく転校せざるを得ないような目に遭わされることだろう。
「あの子友達できるかな?」
文とリコリコの背後で、委員長の長谷倉が大部戸に囁いた。
「男子も女子も山之内に近付きたくないからね。僕としては助かるけど。」
ハンサムな大部戸も去年からクラスは違えど、山之内に付きまとわれていた。教室の外で待ち伏せされたり校内行事で絡まれたりしてきたが、そのたびに無視したり気のなさそうな相槌を打ったりしてかわしてきた。しかし山之内の悪評を知らない漆原の場合はそうはいかない。
「今日の午後体育あるからさ、二人組になれとか言われたらどうするんだろ?」
体育と聞いて、文は一層不安になった。
「そもそも出席番号順に振り分けられるんじゃないかな。」
「それもそうか。でも昼休憩は」
「どうにか漆原君を誘ってみるよ。」
大部戸がどうやって彼を山之内から引きはがそうか、僕と話が合うだろうか、オカルトは好きかと考えている一方で、文もまた頭を悩ませていた。果たして漆原はあの膝で、運動ができるのかと。
階段を登り切った所に手洗い場があってその上の窓に映る自分と目線が合うようになっているのだが、そこでまたもや文は体のバランスを崩した。
「おおっと!」
咄嗟に大部戸が受け止めてくれたので、文は階段を転げ落ちずに済んだ。
「ご、ごめん!」
「ふみふみ今日はなんかおかしいよ?」
リコリコが上から引っ張り上げてくれたのに対し、文は「平気」と嘘をついた。窓の向こうから虫の羽音がやけに大きく聞こえたが、皆気付いてない様子だったので文は「気のせい」と思うことにした。窓の外に突起物で覆われた物体が見えたなんて、言わないことにした。
文の心配は杞憂だった。漆原は右膝にガーゼを貼っていたが、赤髪を振り乱しつつ難なく体育館内を走り回っていた。
三組と四組の体育はバスケのドリブルの練習だった。男女で分かれてそれぞれ二列ずつ、等間隔に置かれたカラーコーンの間をボールを衝きながら進むのである。
「漆原君の脚よかったねー、何ともなさそうで。」
山之内とその取り巻きに聞こえないように、リコリコは文に耳打ちした。
「それどころか結構早くない?」
漆原はボールが外れることなく、同時にスタートしたバスケ部で四組の戸山が半分ほどの地点に来たのと同時にゴールした。
「すげー!」
「次陸上部の奴、アイツとやれよ!」
男女共々、漆原の身のこなしと素早さに興奮していた。彼に敗れた戸山はその中に意中のリコリコまでいるのに気付き、ますます悔しさを募らせた。
「今日の音楽も漆原君の歌よかったよね!」
合唱の練習だったが、彼の声がひときわ目立ってよく通っていた。
「授業の受け答えもテキパキできてたよね。」
初めての授業にも関わらず、漆原は自分から積極的に挙手して回答してみせた。
「もうあっという間に漆原君人気者じゃん!あんなに万能とか絶対芸能人かスポーツ選手の子供かなんかだって!本物の王子様だよ!」
リコリコの脳裏に「玉の輿」という単語が浮かんだが、近くに文がいるのを思い出して「狙ってないからね?」と言いたげに彼女に諸手を振った。そんな気遣いなんて必要ないのに、と文は思った。しかし漆原の方に向ける視線は自然と熱がこもってしまう。彼は同級生たちに囲まれて、明日一緒にお昼食べよう、ぜひウチの部活に、後で連絡先交換しよう、等とせがまれていた。
「でもよかったね、漆原君友達できて」
と文が安堵した途端、自分の出番が終わった山之内が同級生たちの群れにその巨体を突っ込ませてきた。
「んもーダメじゃない、漆原君困らせちゃあ!」
彼のマネージャーか学級委員長を気取るかのように、山之内は皆を追い払おうとした。
「んだよ、お前女子だからあっち行けよ!」
野球部の木辺が五分刈りの頭を振りながらシッシッと彼女を追い払う仕草をした。粗野な彼が嫌いな文も、この時ばかりは拍手喝采を送りたくなった。
「何よ、漆原君ケガしてるから心配なの!せっかく歌上手いんだし合唱部に入らない?男声パートが少なくって困ってるの!」
山之内は媚びたが、同じ部活のリコリコとしては入部してもらいたくなかった。男子が少ないのは事実だが、山之内のお陰で部員が増えるというのも癪にさわる。後輩の女子部員をいびっているくせに。
「男のクセに体育会系入らねーとかダッセーじゃん!」
「バカにしたな!?文芸部の僕を!!」
木辺の言い草に文と同じ部活の沼尾が掴みかかった。
「うっせぇ外野は引っ込んでろ!」
木辺に突き飛ばされて沼尾は大きな尻を床に打ちつけそうになる。が、すんでのところで漆原が受け止めた。
「大丈夫かい?」
沼尾は感謝の言葉がのどから出そうになるも、自分は今漫画だったら女性キャラがなっているであろう状況にいることに気付き、赤面した。
「で、結局お前は誰の味方なんだよ?」
「勿論合唱部に入ってくれるわよね?」
ところが漆原はどちらにも首を振った。
「僕、文芸部に入るよ。」
きっぱり宣言した漆原の眼差しと、文は一瞬目が合ったような気がした。
一方漆原に抱えられていた文芸部唯一の男子部員沼尾は内心焦っていた。気分だけのハーレム状態を楽しんでいたのに、そこへ本当にモテる男子が来てしまうとは、おお神よ!
「本当にいいの、漆原君?」
「又三郎でいいよ。」
文と漆原又三郎、それから二人に付き従うように沼尾は、図書館に向かって廊下を歩いていた。
「文芸部ってあまり聞いたことないから入ってみようかなって思ったんだ。どういった事をしてるの?」
「図書館のスペース借りて文学作品読んで感想言い合ったり、小説書いたりしてるの。そんで月一で部誌にまとめて各クラスに配布してるの。私は主に童話。みんなも漫画みたいなお話書いてるんだけどね。だから又三郎君でも気楽にできるよ。」
「面白そうだね。」
楽しそうに話し合っている文と漆原を見ている内に、沼尾のくせっ毛頭に「ある策」が浮かんだ。
「棚端さん、今日のところはバックナンバーを見せてあげたらいいんじゃないかな?いきなり皆と部活動させたら混乱するだろうし。」
「いいかも、その方が何してるか分かりやすいもんね。」
文が賛同したのを見て、沼尾は内心ほくそ笑んだ。彼女と漆原をできるだけ二人で行動させる。そして他の部員が彼に興味を向けないようにする。これで沼尾は文芸部の中でハーレム気分のままでいられる。仲が良いさまを山之内とその仲間たちに知られたら文が加害される可能性があるが、漆原又三郎は頼りがいのある男だからきっと大丈夫だ。
「あそこの渡り廊下ね、体育館に行く時通ったからもう知ってるだろうけど、図書館と分岐してて...」
もうすぐ渡り廊下が見えてくるという所で、一人の男子生徒が漆原にぶつかった。
「邪魔だどけ!」
「何あれ!そっちが廊下を走んないでよ!!」
文が怒鳴った後から大勢の生徒達がバタバタと駆けて来た。その中で文芸部の後輩である片瀬瑞穂が文に駆け寄ってきた。
「棚端先輩!今渡り廊下に来ちゃダメです!」
「え?」
状況が飲み込めない一行に対し、瑞穂は窓の外を指差した。文にとっては信じられない光景が広がっており、沼尾は特撮の撮影現場かと一瞬思った。
「虫...あんなに!?」
昨日文と生徒数人が体育館裏で見つけ、放課後退治したはずの頭がイボだらけ、両手が鋏となっている人間大の昆虫――「旧支配者の落とし仔」たちが渡り廊下に大勢集まっていた。
「逃げよう!」
文は漆原に腕を引かれ、沼尾や瑞穂もそれに続いた。漆原に引っ張られつつも、文は何故奴らが学校に押し寄せたのか、仲間の復讐が目的なのか、いやそれより変身しなければと考えを巡らせた。
「先生呼んで来る!」
「棚端さんちょっと!」
漆原の腕を振りほどき、他の逃げてくる生徒たちの中を逆流して文は女子トイレに向かった。個室に入ると彼女は制服の中から紅く光るネックレスを取り出して放り投げ、銀の鍵を掲げた。
「開け、シャトルキー!」
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