第2話 前編

「――みちゃん?そこにいるのは文ちゃんか?」

 棚端文たなばたふみは自室のベッドに横たわっていたはずだった。

 日曜日に首のない怪物と戦って、その原因となった大部戸にお詫びにスイーツバイキングに連れて行ってもらって、そこで買ったお土産のケーキに輝彦はとても喜んでくれた。月曜日と火曜日は何事もなく過ぎ、そのまま目が覚めたら水曜日の朝を迎えているはずだった。

 ところが文は今霧の中、パジャマ姿で立っていた。ひんやりとした床の感触まで足裏に伝わってくる。霧の中に目を凝らすと、奇怪な獣ではなく高い柱のシルエットが見えた。ためらいながらも文が近づくと、その柱の影は背の高い椅子の形となり、人が座っているのがおぼろげながら見えた。

「文ちゃん、私の声が聞こえるかい?」

 その声は文が7年間会いたいと願っていた男の物だった。たまらず走り寄ると、彼の姿がはっきり見えた。冷たく青白く光る玉座の手すりは紅玉の山、それに両手を乗せて座っているのは白銀の長髪を一本の三つ編みに束ねたアイスグリーンのコートを纏った男。手すりと同じ色にきらめく目と視線が合うや否や、文は彼に抱きついた。

「サイコース!」

 そう呼ばれた男は彼女を抱き返すと、顔をよく見るために彼女の前髪を掻き上げた。

「私の可愛い人、私を忘れないでいてくれたね。」

 サイコースは7年前に会った時と一切変わらなかった。

「私よりずっと綺麗な人なんているわ。ニキビだってあるもの。」

サイコースは文の髪に振れた手で、文の頬をなぞった。

「君はまだ若いんだ。これからもっと綺麗になるよ。」

 文は恥ずかしさのあまり顔を背けたが、この場所が7年前に来た瑠璃色の屋敷に見られなかった場所だと初めて気づいた。荒涼とした白い岩壁に囲まれ、見上げると群青色の空の下、オーロラが垂れていた。

「ここはどこ?私、どうやって来たの?」

「このネックレス」サイコースは文の首元を飾る紅玉に手を掛けた。

黒山羊ニグラッセの銀の鍵、この力が合わさって君をここまで導いたのか。」

彼は文の右掌を掴んで見た。そこに小さな鍵形の痣があった。文は「首のない怪物」と戦った後、「銀の鍵」をどうしたかなんて記憶になかった。

「人の体に勝手なことを、あの女...」

「だがここを抜け出すには彼女――“魔女たちの長ニグラッセ”の力を借りなければならない。

 ここはイイーキルスと言う氷の城。旧支配者は地球を再び支配する為に利用できる人間――私のような者が集められている。この極寒の地獄から、私は出られなくなってしまっているんだ。」

 あのうさん臭い女が言っていたことは本当だったんだと、文はようやく理解した。

「どうすればいいの?」

「君には私の与えた首飾りがある。君は特別な星の下に生まれたって言ったのは覚えているかな?」

 文は頷いた。

「君はとても情熱的な人間だ。その首飾りのルビーは、持ち主の情熱の炎を具現化する力がある。旧支配者たちへの怒りをルビーに込める程、この地獄の氷を解かすことができる。」

 あの怪物との戦いの時、変身と同時に現れた大剣が火を噴いたのを、文は思い出した。

「分かった、旧支配者ってヤツらを燃やして、ここの氷を溶かし尽かせばいいのね!」

 文は右の拳で左掌を打ち鳴らして見せた。

「頼もしくなったね。」

サイコースは袖の中から透明な盃を取り出した。中は青色の液体で満たされていた。

「そんな君に、おまじないをしてあげよう。」

彼は自らの右目を抉り出して液体の中に落とした。

「景気付けになるといいんだが。」

サイコースにその盃を差し出されたので、文は両手で受け取った。

「いただきます」と言いつつも文はためらいがちに盃を口元に持っていった。青色の物なんて味の想像がつかない。眼球は青く染まって盃の底に沈み、輪郭だけがかろうじて見えた。

 それでもサイコースが微笑みながらすぐに再生した目で見つめているので、文は深呼吸して目を閉じ、青色の液体を一気に呷った。歯磨き粉のような風味がしたかと思うと、氷のように硬い物が上唇に触れた。

 目を開けると、文は自分の首飾り――サイコースとの思い出の品に口付けた状態で、ベッドの上でうつ伏せになっていた。身を起こした途端に唾か何かが咽喉に引っかかったので、おかしな物を飲ませられたことを思い出して激しく咳き込んだ。

 うがいしようと文は自室を飛び出して一階の洗面所に向かったが、そこは祖母に先取られていた。

「婆ちゃんごめん!」

 顔を洗っている祖母の脇に割り込むと、文は手で水道水を受け止めて口を漱ぎ、袖で口を拭った。

「文ちゃんお行儀...あら!」

 いつもみたいに叱りつけようとした祖母の吉子だが、孫から工作を見せてもらった時のような歓声を上げた。

「どうしたの?」

「アンタ鏡見てごらん!」

 吉子に促されて鏡の方を向いた文は、そこには上手に剥けたゆで玉子のようにつるんとした美しい肌の少女がいた。


「もっと早く治って欲しかったね。」

「リコリコ」こと「榊坂さかきざか里湖理子りこりす」は文の顔をまじまじと見つめた。二人の席は隣同士、一番後ろでちょうど真ん中で分かれていた。

「こないだのふみふみのワンピース本当に可愛かったし、中畑君に撮ってもらって今週の校内新聞の一面飾れたのにねー。」

 団壱中学の新聞は学校中の掲示板に貼り出され、毎週水曜日に代えられる。

「そうは言っても中畑君、今週はスイーツバイキングの食レポにするって言ってたから、スイーツの写真載せるんじゃない?」

「全く残念だよ!」

 大部戸が中畑の机を叩いた。中畑は今日の朝刊を読んでいるところだった。

「なんで日曜日の“首なしアンサー”にしなかったんだ!写真撮っていただろう!?」

 本当は怪人アンサーを呼ぶつもりだった大部戸はあの日出現した怪物の事を「首なしアンサー」と呼んでいた。

「しょうがねぇだろ!部長に見せたら特撮のロケか演劇部の練習かと言われたし!」

例の怪物は首がないが太っていたので着ぐるみと一蹴され、「薄紅の服を着た変な少女」も「魔法少女の役」なんだということで新聞部部長に結論付けられてしまった。

「それより見ろよ。俺はスマホ修理中だから今ネットで見れねぇけどよ、今朝テレビで見た事件なんだが」

中畑が見せたのは朝刊の一面で、「真夜中の宝石強盗」という大きな文字が飾られていた。

「盗まれたのはラピスラズリの付いたアクセサリーばかりで、しかも鉤爪が付いた不審な足跡が残されてたんだ。複数犯の犯行らしいが、番組コメンテーターも実に変な事件だって言っててさ、お前はどう見るよ、オカルト先生?」

 迷信や怪奇な事物が大好きな大部戸は好奇心に目を細めた。

「その足跡、人間と同じ位かね?」

 中畑は頷いて記事本文を指でなぞった。

「サイズは30センチ程。自分の本当の足のサイズをごまかす為だと思うけどよ、よりによってこんなヘンテコな靴履くか?」

「じゃあ本物の怪物かもしれないねっ!是非実物を見せてもらわないと!」

 大部戸は目を輝かせタブレットを操作し、「ラピスラズリ パワーストーン」の検索結果の中から適当なリンクをタッチした。

「被害にあったラピスラズリ__和名は瑠璃と言うのだが、これは邪悪なものを払い、肌を美しくしてくれるパワーストーンだとか言われているね。犯人の目的はそれかな?」

「パワーストーン?宝石って光るってだけで珍しがられている、ただの石じゃねーの?」

「ただの石ですって!?」

制服の下にルビーの首飾りをしてきた文よりも、パワーストーンの効果を信じ込んでいる大部戸が反応するよりも真っ先に、中畑の斜め後ろで友人たちと談笑していた御凪佳世みなぎかよが怒鳴った。

「宝石には魔法か何かの力があるに決まってるでしょ!じゃなきゃ誰かに贈ろうなんて思わないし!」

「そんなの花とか人形でも」と言いかけた中畑の耳を大部戸は引っ張って「いいから謝りたまえ」と囁いた。

「あーその...ゴメン。そうだよな。折角綺麗な物なのに、ひどい言い方して」

「なんかあったの?」

始業の五分前チャイムが鳴ったと同時に沼尾が教室に駆け込んできた。静まり返った教室を見回して初めて佳世は、自分が人に注目されるほどのことをしでかしたんだと悟った。

「いやいや、こっちこそゴメンね!勝手に人の会話に割り込んだりしてさ。」

 彼女は何事もなかったかのように鞄から現代文の教科書とノートを取り出した。その時青く小さな石がその鞄から机の上に落ちた。佳世が素早くそれを鞄の中に戻すのを見て、文は彼女が怒り出した理由を悟ったと同時に、微笑ましいシンパシーを覚えた。

「おはよーさーん!」

 現代文担当にしてこのクラスの担任の坂本先生が教壇に登ったので、クラスメートにならって文もそちらを向いた。その時左前方の中畑と視線がぶつかった。気付いた彼が黒板に向くまで随分長く感じられたので、じっくり自分の顔を見つめていたのではないかと文は思い、それから「日曜日の出来事」を思い出した。

 大部戸と中畑がついさっき「怪物」のことで会話していたが、当然ソイツと戦った「相手」のことも覚えているハズである。そこまで想像して文は戦慄した。

 私、もしかしてサイコースに余計なことをさせてしまったんじゃ!?

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