第2話 中編

「ニグラッセー!いるー?」

 昼休憩、今日は一人で食べたい気分だとリコリコに断った文は、校舎裏の山の中に侵入していた。

「んもう、そんなに怒鳴らなくてもいいじゃない。」

 森の中ならどこにでも顕現できる「魔女の長・ニグラッセ」は、丸焼けの骨付き肉を抱えて木陰から出てきた。赤く形の整った口に似合わず、豪快に歯を立てて肉を食い千切った。

「どう?」と差し出された食べかけの肉に対し、「結構」と文はお弁当の入ったミニバッグを掲げた。

「食べながら話しましょうよ。腹が減っては戦はできないわ。」

 ニグラッセが腰かけてその隣を示したが、文はそこから少し離れた場所に座って弁当を開けた。今日のメニューは昨晩の残りの唐揚げ、筍の煮物、ニンジンとひじきの煮物入りの玉子焼き。これはひじきが嫌いな輝彦が「おいしそう」と言ってくれたので朝食に一切れ上げた。保育園の給食、今日は食べられる献立かなぁ。

「で、さっきの言葉、なんだか近いうちにまた戦うことになりそうな口振りなんだけど?」

「貴女もご存じでしょう?宝石泥棒のこと。」

本物の怪物かもしれないと大部戸は推測していた。

「あれもこの間の“首なしアンサー”と関係ある?旧支配者ってアンタは呼んでたけど」

口の周りも衣服も汚さずに肉にかぶりつくニグラッセの膝の上に、いつの間にかツノの生えたウサギがのっかっていた。

「あれは旧支配者の落とし子。封印された旧支配者たちが人間に使わし、その人間もまた配下とするの。その邪悪さゆえに封じられているから代わりの手足を求めているの。自らが解放される為にもね。」

 例の「怪人アンサーの儀式」を行った場所も、かつて妖術師が儀式に使った魔物を封じていたとか言ってたっけ。

「そのウサギも落とし子とかじゃないの?」

「この子たちはアタクシの使い魔なの。魔女の長をなめないで頂戴。」

 ニグラッセは長い爪で肉を千切り、ツノウサギの口元に持っていってやった。

「そうだ!変身中の事なんだけど、他人に正体ばれたらまずい?」

「聡いわね。」

 変身モノで正体がばれた時のデメリットがあるのは、アニメのお約束である。

「日本じゃ魔女狩りなんて無かったのだから、まず大丈夫だと思うけど。」

「は?」

「ヨーロッパじゃ魔法を使う存在を処罰したという歴史があるの。アタクシの力を使って欲望を叶えた者はその秘密を知られるや否や、ある者は陽の光も届かない場所に幽閉され、ある者は火に焼かれたわ。それはもうひどい拷問の末にね。」

 思わず文は箸を止めた。ツノウサギがさらに3羽集まってきて、ニグラッセの骨付き肉を見上げていた。うち1羽は文が落とした玉子焼きへと向かった。

「魔法使いはその性質の良し悪し問わず、ただ何の力もない人間から邪悪と思われていたから排除されてきたのよ。」

 彼女はわずかに肉の付いた骨をツノウサギ達に与えた。

「やっぱりやばいじゃん!」

「弟想いの文ちゃんはいい子だから多分大丈夫よ。それよりそろそろ戻った方がいいんじゃなくって?」

 その刹那、校舎の方角から悲鳴が上がった。

「さっき言ってた“落とし子”なんじゃ!?」

「首なしアンサー」みたいに校内で暴れ回っているのかもしれない。弁当箱をミニバッグに仕舞いこみ、山を駆け降りて文は学校の裏門に向かった。体育館裏に面しているそこは、先程の悲鳴で人が集まりつつあった。何かにぶつかった女子が倒れこんできたので、受け止めたと同時に尻餅をついた。

「大丈夫?」

「ごめん、でもアイツが!」

 彼女が指さした先に、裏門から出て行く昆虫の後ろ姿があった。その身長が塀の高さと変わりなかったことに、文は我が目を疑った。頭はよく見えなかったが、理科の授業で習った昆虫類特有の胸、腹、脚が人間ほどもある生物なんていただろうか。しかも「ソイツ」の足先に、猫の爪のような物が見えた気がした。

「木村君!木村君が!!」

 体育館裏口のステップで男子を抱えた御凪佳世が叫んだ。彼は自らの右腕をかばうように蹲り、辺りに二人の弁当箱とその食べかけの中身が散らばっていた。

「先生呼んできて!!」


 体育館裏の騒ぎによる職員会議の為、五限目は自習となった。つまり生徒たちは自由である。宿題をする者もいれば遊ぶ者もいて、違うクラスの教室へ遊びに行く者までいた。

 未知の生物により負傷した木村辰馬は治療の為、彼に庇われた御凪佳世も気が動転しているので保健室に連れて行かれた。そのことで噂話をする者もいた。

「四組の木村君を傷付けたのは聞いたところ、鉤爪の付いた足をした人間大の昆虫だそうじゃないか。中畑君、今朝の事件の犯人かもしれないね。」

 たまたま中畑の隣の席が空いていたので、大部戸はその席を拝借した。

「こじつけじゃねーか。ってか昼休憩の事件と例のラピスリ...言いにくいから瑠璃でいいか。瑠璃泥棒に何の関係があるんだよ?」

「君も見ただろ?今朝御凪君が机の上に落とした青い宝石。あれはまさしくラピスラズリだよ!」

 その「ラピスラズリ」が「人間大の昆虫」に盗られたので、奪い返そうとした木村が右腕を「ソイツ」の前足の爪で引っかかれたのだと、大部戸は人づてに聞いた。

「よく分かったな。」

「僕の審美眼を舐めてもらっては困るねぇ!」

「そう言えば」と口を挟んだのは御凪佳世と同じ女子テニス部の瀬川久美だった。

「あの石、昨日の放課後に告白と一緒に木村君がくれた物なのよ、佳世の誕生石だからって。折角付き合うことになったのに、ひどいことする奴っているね。」

「可哀想だよね。お昼ごはん食べ損なっちゃって」

 中畑の後ろで聞いてた沼尾の言葉に、3人は呆れた視線を送った。

「だってお弁当までひっくり返ってたんでしょ?もったいないなー、食べ物を粗末にするなんて。」

「そりゃ初めてのランチデートが台無しになったのは合ってるけどさー...」

 後ろの方でやたら多い宿題を片付けながら、リコリコは事件の噂話に耳を傾けていた。

「プレゼントして愛の告白かぁ。」

 数学の問題にうんざりしてきた彼女は、古い少女漫画の夢見る瞳になっていた。

「いいなぁロマンティックで。あたしもダイヤモンドの指輪とか素敵な男性から貰いたいなぁ。憧れるよねぇふみふみ?」

 リコリコと同じ問題に頭を悩ませていた文は思わず服の上からルビーの感触を確かめた。それからこれをサイコースがくれた時の言葉を思い出そうとした。「そういえばまだ12月じゃないのになんで誕生石あげたのかなぁ」という沼尾の問いに「だって誰かに先越されるかもしれないじゃん」と返す瀬川の声が聞こえてきた。

「お前ら静かにしろよー!」

 担任の坂本先生が帰ってきたので、2年3組の者たちは各々の席に、他のクラスの者は自分たちの教室へと戻っていった。

「佳世と木村君大丈夫ですか?」

 単刀直入に瀬川が尋ねた。

「木村の傷は大したことはない。二人とも保護者の方が迎えに来て下さることになった。そんで昼休憩の事件なんだけどな――」

 文も大部戸も、クラス中が緊張した面持ちになった。

「まだこの辺に例の不審者がうろついているかも知れないから、全部活休みになった。早めに帰るようにな。」

 ウェーイ!と何人かが歓声を上げた。

「だからって寄り道すんなよ!一人で帰るなんてもっての外だからな!

 それとこれは関係ないことだが」

 と坂本先生はカラー印刷の用紙を配り始めた。展覧会のチラシで、知らない画家の名と彼の作品が数点載っていた。

「俺の友人がパリの修行から帰って来たんだけどな、日本で初めての個展を開くことになった。今日からだけど休みにでも来てやってくれ。」

 青い背景に手を組み、目を閉じた少女の絵が右上に大きく陣取っていた。

「目玉作品は“沈む少女”っていう絵でな、なんて名前なんだっけか...宝石が絵具として使われているんだとよ。」

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