第1話 後編

「い、いや・・・こないでぇ」

 リコリコは白い巨体によってなぎ倒された木に足を挟まれ、身動きできないでいた。

 その怪物の方はと言うと、頭もなければ目もないのに――口は掌にあるが――彼女に向かってズッシズッシと向かってくる。だんだん距離が狭まってくるが、リコリコには木をどかすだけの力が出ない。皆バラバラに逃げ出してしまった。今ここで誰かがどかしてくれたなら――

「誰か、助けてよぉ!」

リコリコの叫び声と同時に、怪物が真横にすっ転んだ。

「・・・え?」

 リコリコの目に映ったのは、薄紅色の華美なドレス、虹色に輝く羽衣を纏った少女だった。彼女の手には真っ赤な大剣が握りしめられ、それで怪物を薙いだのだった。奴の脇腹からかすかに青い血が流れていた。

「化け物、私が相手よ!」

怪物は傍の木を一本引っこ抜き、薄紅の少女に向かって駆け出した。彼女はリコリコの方を一瞥すると、反対方向へ走り出した。

「榊坂さぁん!」

怪物と入れ替わりに、叫び声を聞きつけた沼尾がリコリコの元に駆け寄った。

「アイツに何かされたの!?大丈夫?」

「え、えーとそれがアイツどっかに・・・それよりコレ!」

 リコリコは自分の足を挟んでいる木を指さした。どうせなら大部戸君とかイケメンに助けてもらいたかったが、構っている余裕がなかった。


薄紅色の衣装に身を包んだ文は、白い巨体に追われながら辺りをうかがっていた。身の丈程の大きな物を持ったことないのに、この大剣は全く重さが感じられない。

「ここまで来れば、リコリコを巻き込まないで――」

 前方に大岩が見えた。「怪人アンサーの儀式」を行った場所まで戻ってきたらしい。文はとっさに大岩をよけた。そこへ怪物が大木を振り下ろし、枝と木の葉が散らばった。

「ここよっ」

 再び文は大剣を振り下ろした。しかし怪物はその刃を片手で――掌の口で受け止めた。スマホの液晶をも喰らったその牙は、大剣の刃にガッチリと食い込んでいる。

「まっ、まっだまだぁ!」

 文が大剣を押し出すのと同時に、大剣は火を噴いた。その炎は怪物の口内を侵し、ひるんで怪物は大剣から口を離してしまった。

「イヤーーーーーーーーーーーー!!」

その隙を逃さず、文は怪物の真上から大剣を叩きつけた。怪物の斬りつけられた右肩から左の脇腹にかけて炎が走り、両手の口から呻き声が上がった。とどめに文は、怪物の胸に大剣を思いっきり突き立てた。

「還れ、母なる黒山羊ニグラッセの元へ」

 唐突に頭に浮かんだ言葉を、文は我知らず呟いた。大剣の炎は怪物の全身を覆い尽くし、怪物の断末魔が上がると同時に霧散した。

 ふーっと気が抜けた文は膝をついた。その瞬間、木の葉が擦れる大きな音がした。

「おい、お前なんだよ?」

 中畑がカメラを抱えて、仰天した表情で出てきた。文も慌てて立ち上がって思わず剣を持ち直した。

「い、いやだなぁ。こっそり撮ってたの?」

「あんなのと戦えるかよ。ってか俺の質問に答えろ!お前は何者で、どっから沸いてきた!?」

 文は改めて自身の服装を見下ろした。変身した時なんじゃこりゃと思ったが、ニグラッセに「鍵が貴方に相応しい姿にしてくれたのよ」と押し切られたのだった。「王子様を助ける為の勝負服」とも言ってたっけ?

中畑はこちらが誰だか本当に分からないらしく、不審者を見る目をしている。

「んー、女の子は秘密がある方がいいて言うじゃない?強いて名乗るなら・・・“紅玉乙女チェリーピンク”よ!」

文は作り笑いで剣を持ってない方の手でピースを作って、ごまかせたよねと内心願った。

「また会うことがないといいね!」

本心から別れを告げると「チェリーピンク」こと文は大剣を抱えて林の中へ駆けて行った。

「んなことあってたまるかよ・・・」

 ひらひら羽衣を揺らす彼女の背中を、中畑は狐に化かされたような表情で見送った。沼尾がここにいたら大騒ぎするだろうな、なんて思ったが、散り散りになった学友たちのことを思い出した。携帯電話を壊された今、面倒だが自力で探し回らなければならない。

「中畑君、今の見たかい!?魔女だよ絶対!」

「チェリーピンク」が消えたのと反対の茂みから、大部戸が飛び出した。

「今すぐ追うんだ、新聞部だろ君!」

「誰の所為でヘトヘトになったと思ってんだ!ってかあんなの記事にできるかよ!」

 林の別方向から則子が姿を現した。

「今誰か叫んでなかった?」

彼女に続いて佳世も広場に出た。

「なんか焦げ臭いんだけど?」

 中畑にとって幸いなことに、騒ぎを聞きつけてクラスメートらが次々集まってきた。

「化けもんどこ行ったんだ?」

「あー、変な女が来て、ソイツが倒してくれた。」

「変な女!?魔法少女ってヤツじゃない!?」

 案の定沼尾が目を輝かせた。

「今すぐ彼女を追いかけようよ!どっち行ったの?どんなカッコしてた?」

「沼尾君、君もそう思うよね!」

「それよりも大部戸よぉ・・・」

 沼尾の提案に嬉々として乗っかろうとしていた大部戸の傍へ、島井が満面の笑みを浮かべてツカツカと歩み寄った。

「何か言うことあるよなぁ?」



「皆、大丈夫?」

全員が集まったであろう頃合いを見計らって、元の服装に戻った文は広場に姿を現した。

「あっ、ふみふみよかったぁ!」

幼馴染の無事な姿を認めたリコリコは真っすぐに駆け寄って抱き着いた。

「もう怖かったんだよぉ!あたしの頭もぎとられるんじゃないかって!」

「よしよし、あれ?男子は――」

幾分乱れたリコリコの髪を直す文に、沼尾は困った表情で大岩の方を顎でさした。その周りを三人の男子がグルグル走り回っていた。

「大部戸テメェッ、待ちやがれー!」

「俺の携帯弁償しろー!」

「ねぇ君たち殴る気だよねっ!その拳下ろしたまえっ!」

「あんなモン出るなんて聞いてねぇぞ!責任取りやがれー!」

「焼き肉か寿司奢れー!ファミレスじゃ承知しねぇぞ!」

「僕だってこうなるとは知らなかったんだ!ホントだよ信じて~!」

 カンカンに怒った島井と中畑が、大部戸を追い回していたのだった。争い事が苦手な高岡は三人をどう止めようか考えながら、女子と共に目で追っていた。陸上部の高畑は皆の中で一番足が速いが、彼は荒事が苦手なのである。けれど体を動かすこと自体は好きで、陸上部に入ったのは他人を傷つけることがなさそうだからなのだった。

 そろそろ誰か躓きやしないかと高岡が思っていると、中畑が大部戸の走る方向と逆方向へ向きを変えた。すると島井に追われていた大部戸は中畑と向かい合わせになり、二人に挟まれる形になった。

「そろそろ観念しろよ大部戸~!」

「食い放題の店に連れてって貰うかんな~!」

大部戸を捕えようと二人は両腕を広げて指をワキワキさせたが、彼はその間を抜けて林の方へ駆け出した。

「あっ、この野郎!」

すぐさま島井と中畑は彼を再び追った。三人を見守っていた残りの者たちもその後を追って走り出した。またはぐれたりしたらたまったもんじゃない。大部戸がどこに向かっているのか知らないが、何度も狭い林の中を走り回っていたので彼ら自身も知らぬ間に葉っぱまみれになっていた。

ようやく林から抜けたと思うと、大部戸が向かう先にはバスが停まっていた。皆を乗せてきた大部戸家の家紋の付いたバスである。

「あんにゃろ俺たちを置いて逃げる気か!」

怒髪天を衝く島井と中畑を追い抜いて、高岡が大部戸の肩を掴んだ。ちょうどバスの入り口まで来ていた。

「謝ろう、大部戸君!」

 皆がぜぇはぁ肩で息をする中、大部戸は引きつった笑顔で、タブレットを掲げた。

「実はちゃんと予約してたんだ。」

 その画面には飲食店の情報サイトが映っていた。



大部戸家のバスが向かったのは、巨大ショッピングモール。そこの地下一階のレストラン街の中に、女性に人気のパスタとスイーツ食べ放題の店があった。

 広い店内の一画を、大部戸と彼に連れて来られた文たち少年少女が囲んでいた。各々ドリンクバーから持ってきたジュースの入ったグラスを片手に、満面の笑顔で大部戸の方を向いていた。彼の所為でスマホを壊された中畑だけは皆に合わせて無理に笑っていたが。

「本日は僕の為にお集まり頂いた皆を危険な目に合わせてしまい、誠に申し訳ない。けれどあのような結果になったのは僕にとっては大きな収穫だ。なにせ場所が場所だったからね。あの大岩は妖術に関する儀式が行われていたんだとか、強い怨念か魔物の力を封じていたのだとか言うので、儀式に何らかの影響が出るんじゃないかと僕は仮定したのだよ。」

 文は思わずグラスを落としそうになった。

「魔女の儀式場みたいな所だったの?」

「魔女のって呼び方は西洋みたいだねぇ。東洋こっち風に言うなら誰かを祟る為の呪術が行われていて、あれはその為に使役していた物の怪だったんじゃないかな。」

「そんで僕たちの呼びかけに応じて封印が解かれたか、眠りを妨げられて暴走したかなのかな?」

 沼尾が目を輝かせて大部戸の方へ身を乗り出した。

「沼尾君、コーラこぼすよ?」

静谷詩穂に言われて、沼尾は背筋をピンと正した。

「何はともあれ、皆何事もなくてよかったよ。あ、中畑君の携帯は勿論こちらで責任を取るよ。では改めて、本日の貴重な体験と、皆の無事を祝して、乾杯!」

 大部戸の音頭に、皆グラスを掲げてお互いに鳴らし合わせた。



「結局スイーツバイキングの食レポになっちまったかぁ。」

 甘い物があんまり好きじゃない中畑はナポリタンの載った自身の皿や、他の者が好きに盛り付けた色とりどりのケーキを撮影していた。

「スマホはダメになっちゃったけど、カメラは持ってて良かったね。」

 リコリコも撮ってもらおうと、モンブランやマカロンの載った皿を右手に持ち、左手でピースした。自身の体形を維持する為に普段は食事量をキープしている彼女も、今日ばかりは皿に載せられるだけケーキを盛り付けている。

「スマホと比べると写り具合が違うんだな、これが。」

 あくまでも中畑は料理をメインの被写体にした。皿に盛りつけられた大量のケーキにピントを合わせたので、それを持つリコリコがぼやけるように撮られたのだった。

「お前も食えよー。沼尾に全部食われちまうぜ?」

「ベストショット撮れたらな。」

 すっかり機嫌が直った島井は、ミートボール入りのパスタとチーズケーキを一緒の皿に載せていた。沼尾は食べる量が多いのに誰よりも早く皿を空にして、お代わりを取りに鼻歌交じりで席を立った。

「あっ沼尾君!チョコケーキ全部取ったらダメだからね!」

 則子も皿に少し残っている状態で、席を立った。

残りのメンバーはどんな様子かと、中畑はカメラを文と佳世の方に向けた。

「そういえばさぁ、ふみふみは怪人アンサーに何訊きたかったの?」

「えーっとねぇ・・・王子様の居場所、かな?」

「あたしも!素敵な人がいいなぁ!」

 文はケーキの皿を顔近くまで持ち上げているので、中畑は必然的にカメラを彼女に合わせていた。彼女の顔は、あの薄紅衣装の「魔女」だか「魔法少女」に似ているような気がした。

「まさか・・・な。」

そもそもあの「チェリーピンク」とやらは、顔に傷一つなかった気がする。

 ニキビが頬に二、三ある文の顔は、中畑のカメラの画面外に出た。

「あっ、大部戸君に訊いとかなきゃ。ここってお持ち帰りできるかな?」

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