第1話 中編
翌朝の日曜日、オルゴールから「金平糖の精の踊り」が流れる部屋の中、文は化粧台の前に座っていた。赤い花柄のワンピースには大きな白い襟が付いている。母からその部分が子供っぽいと言われたが、祖母と弟からは可愛いと言われたから自分のセンスは間違っていないと文は自負していた。ニキビさえなければもっと可愛い様になってたのに。
彼女が気になっているのは、首にかけたルビーを連ねたネックレスだ。ルビーと言ってもその色は非常に淡く、トップには雪の結晶のような銀の縁取りが施されていた。
文はこのネックレスをおよそ2年ぶりにオルゴールから取り出したところだった。これを“王子様”から貰ったのは7年も前の事である。文は昨日のニグラッセの言葉と、“王子様”のことを思い出していた。
瑠璃色に光る大きな屋敷。スケートごっこで掴んでくれた白い手、赤い目のペンギンや白熊、彼らと一緒に食べたアイスケーキやチェリーパイの味、別れ際の悲しげな眼差し。
「君に深紅のルビーが似合うようになったら、迎えに来るからね」
「文、迎えのバスが来てくれたよ!」
階下からの母の声に、瑠璃色の夢から覚めた文は、ネックレスを服の中にしまい込んだ。大事なものは汚さないようにしなきゃ。
文はポシェットを肩にかけて一階の玄関に向かった。二階の窓からミニバスが見えた。
靴を履こうとしたところで、輝彦がミルク入りのコップ片手に見送りに来た。
「おねえちゃん、チョウチョのペンダントは?」
「今日はご馳走をよばれるからね。汚れるから着けられないのよ」
「お洋服だってよごれるよ?」
「輝がくれた宝物だもの。無くすといけないし。」
本音だが、パーティに食玩を身に着けて来たら笑われるかもしれないからとは言えなかった。
白いエナメル革の靴に足を差し込んでいる最中、輝彦は文に耳打ちした。
「ケーキもってかえってきてね」
「おはよう棚端君」
送迎バスの出入り口から
大部戸グループは地元の大企業で、彼は会長の孫なのだ。男女問わず「君付け」で呼ぶという妙な癖をはじめ口調は尊大であるが、穏やかで気前がいい人間なのだ。体育会系の中でも所謂ウェイ系な男子と比べると顔も整っていて下品な所がない。勿論文にとっての一番は“七年前に出会った王子様”だが。
「さあ上がってくれたまえ」と手をとってステップにエスコートする同学年の少年が“彼”になるところを一瞬想像した。
「ふみふみメッチャ可愛いじゃん!」
「そんな服持ってたんだ意外ー!」
「どこのブランド?」
先にバスに乗り込んでいた女子たちがキャーキャー騒ぎだした。彼女たちも本人なりにフォーマル且つ可愛らしい衣装に身を包んでいた。招待主である大部戸本人は「普段着か制服でいい」と言っていたのを真に受けていた男子はカジュアルな格好である。流石にダメージジーンズや腰パンに目に痛いダサい柄のシャツを着た者はいなかった。
「ふみふみここ空いてるよ!」
一番後ろの座席を叩いたリコリコとは、小学校からの付き合いである。本名「
「パーティって大部度君の親類やご友人が集まるんでしょ?どこかの会社跡取りにプロポーズされたりして!」
リコリコはいつもお下げにしている髪をほどいてベビーブルーのヘアバンドで留めている。
「木辺とか抽選当たらなくてよかったよね。アイツらTPOとか知らずに人の格好笑いそう!」
このバスに乗っているパーティ参加者はクラスの希望者から選ばれた。欠席者が九人も出たので大部戸がクラスメートに希望者は自分にメールするよう呼びかけた。
「ふみふみも行こうよ!弟くんの世話頑張ってるんだし、たまには息抜きしたら?」
文もリコリコに勧められたのだ。
「そのブラコン、アニメのコスプレしてくんじゃねーの?」
木辺の言葉に二年三組の野球部員らはドッと笑い出した。彼らは棚端姉弟が公園で「ごっこ遊び」に興じているところを目撃し、学年中に言いふらしたのだ。文は絶対に許さないし、許すつもりもない。
「おっとこのクラスの者なら誰でも抽選に参加できるよ」
大部戸は高らかに宣言した。
「もっとも、下品な人間は歓迎されないだろうがね」
実際大部戸は彼らを招かなかった。
「輝も来ていいか頼めばよかったかな?」
「それはいくら何でも無理でしょ」
鏡を窓に、ウェーブした髪をいじっていたリコリコはその手を止めた。
「お父さんがね、以前職場の後輩さんの結婚式に行ったのよ。んで帰ってきたお父さんに、あの子なんて言ったと思う?」
「おかえりよりも?」
文が頷いたのを見て、リコリコはニヤリとした。
「ケーキでしょ?」
「ピンポーン」と文もニッコリしてリコリコを指さした。
「今日も行く時にお土産頼まれちゃってさ。」
と文が小指を立てた途端、バスが停まった。もう着いたのかと文とリコリコは窓の外を見たが、そこはどう見てもパーティが行われそうな場所ではなかった。青々とした山が四方を取り巻く野原で、ピクニックしようにも面白味のない風景だった。
「出たまえ。秘密のパーティに招待しよう。」
困惑する一同に対し、助手席に着いていた大部戸は立ち上がって降りるよう促した。
「森の中から大部戸家の親戚一同出てきたりして」
文たちの前で家庭科部の田辺則子が冗談めかして囁いた。皆が降りる中、運転手は両腕を枕にして大部戸に呟いたのが聞こえた。
「では坊ちゃん、終わったら起こして下さいね」
招待客全員が降りたのを確認して、大部戸が最後にバスから降りた。
「付いて来たまえ。」
彼は林に向かって歩いて行った。
「ねぇパーティは?」
「秘密のってことは、どっかに隠し道とか?」
「まさか洞窟?」
皆あれこれ言っている間にも、大部戸はどんどん林の奥へ歩いていく。着飾った文たち女子はスカートの裾と足元に用心しながら進まざるを得なかった。
「この辺りでいいかな?」
広く中央に大岩がある場所に辿り着き、大部戸はその岩に片手を置いた。
「岩を押すと通路があって、大部戸家秘密基地にご招待かな?」
文と同じ文芸部の沼尾がはしゃぎだした。彼はアニメに出てきそうな状況を想像しては興奮するのだ。しかし大部戸はチッチッと人差し指を振って見せた。
「確かにここらはウチの物だ。けど残念ながらそのような仕掛けはない」
「じゃあ合言葉で呼び出し――」
「あながち間違ってないかな?」
唐突に大部戸はシャツの下からタブレットを取り出した。
「皆、携帯は持ってきてくれたね?」
「えぇ?」と文はポシェットからスマホを取り出した。当選メールが届いた携帯電話を持ってくるよう、同メールに記載されていたのである。
「このような都市伝説をご存じかな?」
大部戸はタブレットを操作して黒い背景に白字のオカルトサイトを皆に見せた。そこには何かの儀式の手順が載せられていた。
十人で輪になり、隣の物に同時に電話を掛ける。すると全員「通話中」と画面に出るが、一人だけつながる。その通話相手の名は「怪人アンサー」。彼はどんな質問でも答えてくれる。
ただし、九回答えた後に逆に「アンサー」の方から質問される。その問いに答えられなかった場合、携帯電話の画面から手が伸びて、参加者の内誰か一人の体の一部をもぎ取ってしまう。
生まれた時から頭だけの「アンサー」は、そうして体の部品を集めているという。
「これ、やばくない?」
リコリコの言葉に、大部戸以外の全員がハッとした。ここにいるのは十人、携帯電話も十台揃っている。つまり。
「大部戸、お前これがしたいんだな?」
新聞部の中畑の問いに、大部戸は朗らかに言い放った。
「騙して悪いね」
それを聞くや否や、サッカー部の島井が大部戸に掴みかかった。
「テメー!パーティは嘘だったのかよ!こちとらご馳走目当てで来たんだよ!なーに大して悪い事してませんみたいな面してんだゴルァ!」
「島井君落ち着いて!」
「気持ちは分かるけど暴力はダメだ!」
茶道部の静谷詩穂が島井を抑え込もうとし、男子陸上部の高岡がそれに加勢した。
「どうりでお前と同じクラスだった奴と同じ部活の奴が抽選に参加しなかったワケだ。」
大部戸がオカルトマニアという噂が事実だと知った中畑は踵を返した。
「運転手起こしてくる。オカルトなんてデタラメに構ってられるか。」
「待つんだ中畑君!」
それを止めたのは沼尾だった。
「こんな機会またとないんだよ。大部戸君と彼に選ばれた僕たち九人とで、怪人アンサーを召喚しようじゃないか!」
「そのアニメキャラになりきった言い方やめろ!俺は絶対やらないからな!」
「新聞のネタになるじゃないか!」
「お前の小説ネタの間違いだろ!」
「起こさないでくれ。彼は死ぬほど疲れてるんだ!」
「うるせぇっ!いいから俺らを高級レストランに連れてけー!」
ギャアギャア喚いている彼らを、静谷除く女子はただ眺めていた。というのも、「怪人アンサーの儀式」がなんだか怖くてやりたくないと思う一方、未知なる体験への若さゆえの好奇心もあって、どちらにつくべきか考えあぐねていた。
その中で真っ先に結論が出たのは文だった。
「一回だけでもいい?」
もみ合っていた者も傍観者も一斉に彼女の方を見た。
「九回質問したら逆に質問されて――ってことになるんでしょ?じゃ八回までならいいんじゃない?」
「そう、そこだよ君!僕としても危険な目に合わせたくないから言おうとしてたんだよ!」
呆気にとられた島井から解放された大部戸は咳払いして、皆を見回した。
「この中でアンサーに質問したい人はいないかな?」
文はもちろん挙手した。沼尾もシュッと手を挙げた。
「僕は漫画家と小説家どっちか向いてるか訊くんだ!」
アニメ監督もいいかな、などと興奮する彼に続いて女子が次々と挙手した。それからおずおずと高岡と島井も手を挙げた。
「志望高校に入れるかでもいいかな?」
「実は試合メンバーに入れるかどうか・・・」
「ちょうど八人だね」
大部戸は見回して、中畑だけが挙手していないのに気付いた。
「君はいいのかい?」
「オカルトに興味ないからな。お前はいいのかよ?」
「僕は怪人アンサーの実在が証明できればいいからね」
大部戸はタブレットの画面を切り替えた。
「皆、準備はいいかい?」
他の者が携帯電話を出すのを見て、中畑も渋々スマホの電話帳を開いた。
電話帳からこの場にいる者の名を探したり赤外線で番号を交換したりしながら、大岩を囲んで円陣が組まれた。文は沼尾に電話してもらって、リコリコに電話をかけることになった。首飾りを仕舞い込んでいる胸元が熱くなってきた。
「では始めるよ。三、二、一!」
一斉に通話ボタンが押された。昼なのに、夜の森に包まれたように皆静かになった。
「誰かつながったかい?」
大部戸は「通話中」画面にしたまま、両隣の者のスマホ画面を確認した。かけられた女子テニス部員の御凪佳世もかけられたリコリコも、スマホ画面には「通話中」と表示されているだけだった。二人も隣の者を確認した。
「ふみふみ何ともないねぇ。」
「ハズレだわ。沼尾君は?」
「僕も通話中だよ。」
やっぱガセかぁという空気が広がる中、沼尾に発信したオカルト否定派の中畑だけが黙り込んでいた。
「お、中畑君アタリ?」
中畑から着信が来ているはずの沼尾は右手にスマホ、左手で眼鏡を直して、彼のスマホ画面を覗きこんだ。
「ねぇ大部戸君、怪人アンサーって“頭だけ”だったよね?」
さっきまで興奮していた沼尾は打って変わった声のトーンで問いかけた。
「アンサーじゃなく僕に質問かい?」
「いやちょっと確認したくて」
沼尾は中畑と共にスマホ画面に見入っていた。
「だいたい“頭だけ”なのは生まれた時の話であってだね」
「じゃあこいつ誰だよ!」
中畑が掲げたスマホに映っていたのは「通話中」の画面ではなかった。頭のない白い巨体の男が、ひたすらこちらを殴りつける映像だった。しかしソイツには、「怪人アンサーの唯一の肉体」である「頭」がなかった。
「ちょ、これヒビいってない?」
蛆のように白い拳が間近に来るたびに、液晶に曲線が走る。やがてそいつは張り手に替えたのを見て、一同は益々驚かされた。その掌には口があって、こちら側に達するたびに液晶の破片が飲み込まれた。
「離れろ!」
大部戸の声に中畑がスマホを離した途端、口の開いた巨大な手が液晶から飛び出した。次いで怪物の上半身が這いずり出た。
「逃げろぉーーーーーーーー!」
狭い画面から白く巨大な全身が抜け出た瞬間、全員散り散りに駆け出した。
「あいたっ」
文は林に足を踏み入れた途端、小石に躓いてしまった。
「あらら、逃げ出してしまったのね」
顔を上げた先には、昨日の女・ニグラッセがいた。
「どうしてここに?何なのアイツ!」
「あれがあなたの戦うべき〝旧支配者〟の手先よ。」
背後で轟音が響いた。怪物が獲物を求めて木々をなぎ倒していた。
「あんなのとどうして私が!旧支配者って何よ!」
「あなたの王子様を利用し、この地球を再び支配しようとしている連中、かいつまんで言えばそうね」
今度は甲高い悲鳴が上がった。
「時間がないわ。お友達を助けたいのでしょう?」
「でもどうやって」
言いかけて、文は掌に熱くて硬い物を感じた。知らぬ間に彼女は、昨日ニグラッセから渡された「銀の鍵」を握っていた。
「もうお分かりでしょう?」
ニグラッセは微笑んだ。「銀の鍵」の熱を通じて、それの使い方が文の頭の中に入ってきた。彼女は服の下から「ルビーのネックレス」を取り出すと、それを天に向かって放り投げた。
「開け、シャトルキー!」
文は「銀の鍵」を高く掲げ、落ちてくる「ネックレス」の中を通過した。
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