第4話 檀家廻り
寺務所の奥にある部屋で三人は食事をしていた。
20畳ほどある部屋で上座に國充、下に臣人と鳳龍が正座していた。
目の前に並べられたお膳の中味はきれいに平らげられていた。
夕餉もすんで、みな、食後のお茶を飲んでいると國充が突然こう切り出した。
「臣人」
「あぁ?」
さも煩そうに返事をした。
「今晩の檀家さんの送り火、1件をお前に任せる。ちゃんとお勤めしてくるように。」
臣人は國充の言葉を聞いてピクッと眉を動かした。
「自分で行けばええやろ?」
トゲトゲの言い方で、つっけんどんに言い放つ。鳳龍がおろおろしながら二人の様子を見ていた。
「儂はその他に、もう2件廻らなくてはならん。寺の坊主ならば今がどんな時期かわかろうて。」
「ーーー」
「新しい袈裟は準備させてある。きちんとした格好で行くがよいて。」
(げぇ~~~)
臣人は國充に見えないように顔を背けながら、うんざりした様子で舌を出した。
「やっぱり似合いますね。臣人さん。」
臣人のために用意された部屋で、着物に着替えて袈裟をつけた姿を見て鳳龍が言った。
「やめてぇな。できることならわいはこんな格好したくはあらへんのや。」
「でも一番はまってるって言うか、似合ってるって言うか」
鳳龍は敷かれた布団の上で腹這いになり、頬杖を突き、足を交互にパタパタつかせていた。
「お前かて、いつもチャイナ服じゃのうて、年相応の服でも着るとええのや。」
「ぶ~っ」
「そうやな例えば、」
「?」
「オーバーオールとか。かわいいでぇ。」
臣人は人差し指を立てながら、鳳龍の反応を見た。
「やめてくださいよ。いっつもこども扱いなんだから。」
ぷくっと鳳龍はむくれた。臣人はその顔を見て大笑いした。
「すまん、すまん」
最後に紐をぎちっと引っ張り、結ぶと準備完了である。
「さぁて、気は進まんが出かけてくるかいな」
手には数珠を持ち、臣人は襖を開けた。サングラスをしていなければまともな住職に見えるであろうに。
「じゃ、ぼくは留守番ですね。」
にっこり笑って鳳龍が言った
円照寺のある山からから車を走らせること30分。臣人は1軒の家の前に静かに自分の車を止めた。四角い形の家でコンクリート打ちっ放しの外壁が特に印象的だった。
表札を見ると、「阿久津」と記してあった。
(ここでええんかいな?)
そう思いながら、インターホンのボタンを押した。程なく中から「はい」という返事が聞こえた。若い女性の声だった。
「夜分、すいまへん。円照寺の住職から頼まれてきたんですが、」
そう言い終わるとドアが開けられた。その先を見るとそこには20才をちょっと過ぎたかと思われる若い女性がいた。長髪をカチューシャで束ね、セピアの花柄が施されたワンピースを着ていた。臣人は、彼女を見てハッと息をのんだ。
(ごっつぅ、わいの好みや!! 清楚で美しい…)
「お忙しい中ご苦労様です。どうぞお入りになって。」
前を案内しながら歩く彼女からは、髪が揺れるたびに石けんの香りに混じって、フローラルな花のいい香りがした。臣人は鼻の下を伸ばしながら彼女についていった。玄関から入って少し行った部屋に促され、そのまま仏間に通された。中ではその娘の両親とおぼしき人物が座って待っていた。
大きな仏壇には2本の蝋燭には火がともされていた。線香が何本か焚かれて、煙が部屋の空気に溶け込んでいっている。臣人は必死になってまじめな顔を装った。
姿勢を正して座布団の横に座り、一礼をした。両親は深々と頭を下げた。彼女も両親の側へ来て、しずしずと座った。彼女のその立ち居振る舞いを臣人は目で追った。
(うわぁ~~~!)
彼女は座っているだけで何か内側からあふれ出る魅力が現れていた。とにかく臣人にとっては眩いばかりの
「失礼。では、始めさせてもらいます。」
彼女に抱いた思いとは裏腹に真剣な顔で座布団に座り、仏壇の方に向き直った。
じゃらっと数珠を一鳴らしすると合掌し、胸一杯に息を吸い込んだ。
一瞬、息を止めて、仏壇の中に収められている如来像をじっと見据えた。
額に埋め込まれた透明な石がキラリと光った。
そして、一拍置いて般若心経を唱え始めた。
「観自在菩薩行深…般若波羅蜜多時…照見五…皆空」
臣人は低い声でゆっくりと唱え始めた。この部屋の雰囲気が一変した。声が音の波のようにその部屋を包み込んでいった。両親とその娘も臣人の声に合わせるように合掌をして目を閉じた。非常にゆっくりとしたスピードで読経が続いていった。
時折、御鈴が甲高く打ち鳴らされた。ただ臣人の読経だけが低く、長く、静かに続けられていた。いつのまにか部屋中むせかえるような線香の煙でいっぱいになっていた。
と、その途中で臣人は奇妙なことに気がついた。今まで視線を動かさずに見つめていた如来像から目を離し、仏壇の下の方に目を向けた。位牌から火のついた蝋燭、そして線香へと。
(?・・・)
何か違和感を憶えた。
紫色の煙をあげながらゆっくりゆっくりと白い灰に変わっていく線香。
目の前でたちのぼる線香の煙がおかしな動きをしていた。本当ならばただ上にのぼるだけの線香の煙が。
(この煙のあがり方。なんや引っかかる)
普通ならば上にあがってやがては空気中に散っていくものだが。この煙はある方向へ消えずに真っ直ぐ流れていった。それも広がっていくこともなく、一筋の光のように、臣人の後ろへ。
読経を続けながら臣人はあたりの「気」を探った。お盆なので仏壇に先祖の霊が帰ってきているのはよしとしても、やはりどこか澱んでいた。
その原因が何なのかはわからなかった。
(読経をしながら探るのは無理かぁ。)
「菩提薩婆訶…般若心経……。」
一定のリズムをとって流れていた読経がやがて終わった。臣人は合掌をはずし、仏壇の座布団からおりた。袖をさっと翻して、仏様に平伏した。それはとても洗練された動きだった。体を起こすと、家族の方に向き直り再び頭を下げた。
同じようにみな臣人に頭を下げた。
臣人は一人一人の顔をじっくり見た。あまりにも無言のまま凝視されたので家族もみな不思議に思い、たまらず母親が声を掛けた。
「あの、葛巻さん。」
「へ?」
「なにか、ありました?」
「あ、すんません。ちょっと気になることがあったさかい。」
右手で頭をかきながら、ちょっと笑って臣人は答えた。
「な、なにか?」
怪訝そうな顔で彼を見返した。臣人は右手を下ろすと真剣な表情をした。
「つかぬ事をきくようですけんど、最近この家で変わったことはありまへんやろか?」
そう言われて、母親はちょっとほっとした顔をした。
「あるんでっしゃろう?」
「やっぱりおわかりになってしまいますか」
わかる人にはわかってしまうのかと安心した顔だった。
「ちょうどお盆だし、いい機会だから相談しに國充住職のところへ行こうと思っていたところだったんですよ。」
「何がどうしたか、話してもろてええですか?」
母親は父親の方を見た。彼は目で合図を送り、こくっとうなずいた。
この部屋の空気が少し重くなったような気がした。
「最近、奇妙なことが続くんです。」
「妙なこと?」
「家の中を誰かが歩くような足音がするんですよ。」
「足音?」
「はい。夜も昼も関係なく。ひたひたと。それに、襖やドアが急に開いたりも。なんだか気味が悪くて。」
「その現象はご家族さん、みんなが会うてるんですか?」
臣人は全員の顔をぐるりと見回した。
「ほぼ全員です。ここにいる私たち夫婦、それに」
今度は父親がしゃべり出した。
「娘の恭子も会っています。」
恭子は思いだしたのか顔色が少し悪くなった。
(恭子さんいうんやな。ええ名前やぁ。)
そんな思いを表に出さないように、きりりとした顔で臣人は話し続けた。
「そうですか。いつ頃から起こっているかとか、何か、きっかけのようなもんは覚えてはりますか?」
夫婦は顔を見合わせた。お互いに首を傾げる。娘の恭子も同じ反応だった。
「わかりました。」
これ以上は聞いても仕方がないと判断したのか、数珠を持っていた左手の袖を翻した。
「ちょっと
「お願いできますか?」
「もちろん当たり前でっしゃろ」
家族を安心させるように、大きくうなずいて見せた。
「今日は退魔行の準備をしてこなかったんで、急場しのぎで揃えてほしいもんがあるんやけど」
臣人は小皿に盛った粗塩を4つと日本酒を持ってくるように告げた。
母親と恭子が急いで台所へそれを取りに行って、程なく戻ってきた。
恭子が小さなお盆に小皿をのせて、付き従った。
臣人はそれを部屋の四隅へと置く。
「ちょっと散らかして悪いんやけど、」
そう言うと日本酒の蓋を開け、少量ずつ部屋にまいていった。この動作をしながら部屋をぐるりと一周した。
「これでとりあえずやけど、結界ができた。」
もう一度しっかりと蓋を閉め、一升瓶を母親に差し出した。それを受け取り、部屋の隅に置いた。臣人は再び家族の前に座りなおした。
「あとはもう少し詳しく霊視させてもろてええですか。」
家族一人一人の顔をじっくり見ながらそうたずねた。
「ええ、是非お願いします。」
ちょっと戸惑いながら父親がうなずいた。また、じゃらじゃらっと数珠を鳴らすと印を結び、さっきとは違って速いテンポで真言を唱え始めた。
「オン・バサラ・タタギャタ・バザラ・ダラマヌタラ・フジャ・サハラナ・サマエイ・ウン…オン・バサラ・タタギャタ・バザラ・ダラマヌタラ・フジャ・サハラナ・サマエイ・ウン…」
サングラス越しに鋭い視線が向けられていた。真言が始まった途端、部屋に異変が起き始めた。何かが裂けるような甲高い音。何かが壊れるような短い音。
ラップ音だ。ピキーン!パシーンっ!という音が次々に鳴り響いた。
「きゃあ!!」
恭子が母親にすがりつきながら悲鳴を上げた。音は止まることを知らず、まるで臣人の声に反応するように大きくなっていった。ふと真言をやめると、ラップ音もなぜか消えてしまった。
(は~ん。なるほどね。)
原因がわかった。この家族の一人がその原因だった。正確には、影響されていると言った方が正しいのだが。臣人はすっと立ち上がって恭子の側に来て、座った。
恭子の額に手をかざすと、突然恭子は意識を失ってその場に倒れてしまった。
母親が驚いて抱き起こすが、反応はなかった。
「恭子!恭子!しっかりっ」
父親も心配して歩み寄った。
「お母さん、大丈夫や。心配せんでええ」
「葛巻さん、一体どうしたんですか!?」
「どうやら恭子さんに原因があるみたいや」
臣人は静かなやさしい口調で話し始めた。その言葉に両親は驚きを隠せなかった。
「女の生き霊が憑いとる」
「ええ!?」
「恭子さん本人は誰やか知らんみたいやけど。恭子さんに関係する人間の知り合いや」
恭子を恨んでいる人間がいるのだろうか。
誰かからそう思われるようなことをしてしまったのだろうか。
母親は思い当たる節がないか思いを巡らせたが、誰の名前も出てこなかった。
そんなことをされる
「さっき仏壇の前で読経してた時にな、線香の煙がわいの後ろを目指していくんや」
突然、違う話を振られて両親は戸惑った。
それがこの生き霊と何の関係があるのかという顔で見ていた。
「真っ直ぐに、一本の線になって。」
「……」
「おかしいな思うて、
きちんとこんなふうに祀っている家は最近ではそうない。そのことも含めて、たったあれだけの被害ですんだのだろう。生き霊の想いの強さからすれば、ポルターガイストだけではすまないはずだった。
「帰らんで、仏壇から必死にわいに知らせとった。」
「ご先祖様が?」
倒れ込んだ恭子の髪をなでながら、母親は臣人の顔を見上げた。
「恭子さんを護っとったで。」
父親も母親のそばに来て、彼女の手にそっと自分の手を添えた。
「だから、ご先祖さんに手ぇ合わせてみんなで感謝してやってや。」
何か言いかけたが声にはならなかった。驚きと不安と安堵が入り混じったような声だった。
「生き霊の方はわいが送っていくさかい、心配せんでぇ。」
母親は涙ぐんでいた。臣人はその様子を見て少し微笑んだ。そして気を取り直して、背筋をピンと伸ばした。浄霊を続けようと右手で刀印を結び、左手は再び恭子の額に置いた。
「オン・バサラ・タタギャタ・バザラ・ダラマヌタラ・フジャ・サハラナ・サマエイ・ウン…」
右手で九字を切った。それから母親に抱かれていた恭子の背後に回り、彼女の肩を持って“気”を入れる。彼女に憑いている霊と彼女の自身を分断しようとしていた。
このての霊は本人に自覚症状が出ないで、自分の身体から抜け出し、憑いてしまうことも多い。あとは帰るべき場所に帰してしまえばよいのだ。
「はっ、喝!!」
それと同時に恭子が目を開けた。
「あ、わたし? 何で?」
不思議そうな顔で体を起こした。なぜ自分が臣人に肩を抱かれていたのかわからなかった。さっきまで両親と一緒に手を合わせていたはずなのに、いつの間に意識を失っていたのだろうと不審に思った。
「お母さん?私、倒れてた?」
横にいた母親に視線を投げかけた。何事もなかったふうに瞬きをする娘の姿を見て、両親はようやく安心した。
「恭子…」
両親は恭子にすがって、泣いていた。その様子を見ながら臣人は何も言わず、すっと立ち上がった。四隅の塩を持つと台所へ行ってそれを水に流し、処分した。そして玄関に向かった。
(これで恭子さんとお近づきになれるかもしれへんなぁ)
などと邪なことを考えながらニヤニヤしていた。草履を履こうと足を出すと、後ろから恭子が小走りに駆け寄ってきた。
「葛巻さんっ」
「恭子さん。もう大丈夫でっせ。変なことはこれ以上は起こらんさかいに。」
臣人は振りかえって笑って言った。
「ありがとうございました」
恭子はぺこっと頭を下げた。
ちらっと見えた白い首筋が妙に女らしかった。
「イヤイヤ、礼を言われるまでも。当たり前のことをしただけでぇ。わいの
ちょっと赤くなりながら頭をかいている。美人にお礼を言われるのは気分のいいものだと思いながら聞いていた。恭子は晴々とした顔でにっこり笑って言った。
「これで心おきなく、お嫁にいけますわ!」
「よっ!?」
そのあとの言葉を臣人は飲み込んだ。ここで驚いた顔をしてはならないと自分に言い聞かせた。
「お盆明けに結婚するんです。」
臣人は心の中でがっくりとため息をついた。その動揺が表に表れないように必死になっていた。
「本当にお世話になりました。あとで円照寺にご挨拶に行きますね。」
幸せがにじみ出てくるような輝かんばかりの笑みで恭子は臣人を見ていた。
「それは、おめでとぅさんです。」
(彼女が綺麗な理由は、これやったんや。)
もう一度、彼女の顔を見つめた。本当に清楚で育ちのいい顔立ちだった。
両親が大切に大切に育てているのがわかった。
(ホンマに淡い恋心やったな。今までで最短の45分で失恋や)
臣人はそんな心とは裏腹に微笑んだ。
「待ってますさかい。ほな、失礼しました。」
草履を履いて、恭子、それにうしろにいる両親に向かって一礼して玄関を出た。暗い夜道、自分の車に向かって歩き出した。鍵を開け、ドアを開けると臣人は車に乗り込もうとのせずに、独り闇の中にたたずんでいた。
そして、本当に長いため息をついた。もう一度振り返って、阿久津家の外観をながめた。
(どうか、お幸せに。)
臣人は数珠を持つ手を合わせて、深々と一礼した。
そして何事もなかったかのように車に乗り込み、エンジンをかけた。
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