第2話 格闘
臣人は頭に血がのぼった状態でずんずん歩いていた。金堂の裏に差しかかった時である。
リズミカルなかけ声と砂を踏む音。それに、拳が
黒いチャイナ服を着た13,4才くらいの男の子が汗だくで、何かの武術の型を練習していた。臣人はびっくりして思わず声を掛けてしまった。
「
少年は目に入ってくる汗を手でぬぐいながら、その声の方向を見た。後ろでひとつに結んだ三つ編みが軽やかに弾んで揺れた。うれしそうににっこり笑って、人なつっこく臣人に近づいてきた。
「臣人さん!わぁ~、どうしたんです?」
「どしたんは、わいの方や。お前、香港に帰ってたんやなかったんか?」
臣人は自分の胸のところにある頭をポンポンっと大きな手で撫でた。
鳳龍は片目をつぶりながら、『子供じゃないのにぃ』と、嫌な顔だ。
「一度あっちに戻ったんですけど。暴動なんかの影響もあって、香港にいてなんか…なので、こっちに逆戻りです。」
にっこりと幼い顔立ちで鳳龍は笑った。
「そうか。」
「そういう臣人さんは?」
「今、じじいとケンカ別れしてきたばっかりや。」
両手を広げたまま、臣人は肩をすくめた。鳳龍は腕組みをして、ぷくっと頬を膨らました。
「また。お師匠様は臣人さんのことが」
『心配で仕方がないのに』と言いたかった。が、その言葉を言いかけた鳳龍をさらに大声で臣人が遮った。
「だー!!うっとうしくなる。どや、鳳龍。いっちょ組み手の相手でもしてやろか?」
臣人はがっちりと握った拳を鳳龍の前へと突き出した。鳳龍はそれをじっと見ながら、ワクワクしていた。独りでやる型の練習にも飽きてきたところだった。上目遣いで臣人を見上げた。
「いいですけど、手加減しませんよ。」
顔つきが急に真剣になり、さっきの子どもの表情が消えた。鳳龍が足をさらに開き、両手を構え、低い体制になった。
「望むところや。」
自信満々で、親指で鼻を擦った。臣人は肩にかけるように持っていたジャケットを後ろに放り投げた。そのジャケットが地面に落ちるのと同時に、二人は突進していった。
「せいっ」
鳳龍が右手正拳を臣人の腕に向かって猛打で出してきた。臣人もその攻撃をブロックしつつ受ける。が、いきなりウォーミングアップなしでやり始めたのだから体がついていかない。鳳龍はそんなことお構いなしに次の攻撃を仕掛けてきた。
軽やかにジャンプすると体重ののった拳と蹴りが同時に臣人に襲いかかった。
臣人は何とか腕で捌いたが、その展開の速さに驚いていた。
鳳龍は小柄な分体重がない。この弱点を、拳を繰り出すタイミングとスピードでカバーをしているのだ。ひとつひとつの技が速い上に、キレるのだ。こちらの攻撃に合わせるのも速い。臣人の腕はビリビリとしびれた。
小柄な彼のどこにこんな力があるのだろうと思わせるほど、その威力はすごかった。
「はっ!」
臣人も右足中段の蹴りで応酬する。
が、鳳龍は体を低くし臣人の横をかわしながら走っていった。
「ちっ!」
鳳龍の体が抜けきる時、臣人の足先が三つ編みをかすめただけだった。
「臣人さん、訛ってます?」
弾むように少し離れて、鳳龍は構え直しながら言った。
「ちゃうわ、お前が強くなったんと違うか!?」
鳳龍は言い終わるか終わらないうちに側転をしながら、滑り込んできた。
「うわっ。」
臣人は鳳龍に低い体制から足下をすくわれ、後ろに倒れ込んだ。すぐムクッと上半身を起こした。
(やられたぁっ)
地面に倒れ込んでいる臣人の腹を両足で挟み込むように立ち、音もなく軽く握った拳を喉元の押し当てた。これで勝負はついたといわんばかりに。
「降参します?」
鳳龍はにっこり笑って、足を退けながら数歩臣人から離れた。
「あほ!だれがっ。」
ベージュのチノパンの砂をたたき落とす素振りを見せながら立ち上がった。
「本番はこっからや!」
急に臣人は動きだし、鳳龍の腕に自分の腕を絡めて投げを打った。臣人も攻撃する体制を整え始めた。一呼吸おいて「息吹」を始めた。
「こおおおぉぉぉぉ」
驚く様子もなく空を舞ながら、彼はにこっと笑った。
「ナイスタイミングでした。臣人さん」
投げられて地面の頭を打ち付けるその瞬間。片手をあててちょうどバック転をするように身軽に回転した。まるで彼のまわりには重力など存在しないかのようである。
「いきます!」
再び鳳龍が飛び出した。柔軟で流動的な独特のリズムを持つ攻め方で臣人の動きを翻弄する。
「やられてばっかでないでぇ!」
臣人も負けずと鳳龍に攻めかかった。左、右と鳳龍に攻めさせる間をおかずに拳を放つ。鳳龍は上半身のちょっとした動きでそれを見切ってかわしていた。
しかし、体が温まってきたのか次第に臣人の拳が鳳龍を直撃するようになった。
鋭い突きが鳳龍の右頬を裂いた。
「あっ」
「まだ、訛ってるいうか?、鳳龍?」
臣人はリズムをとるかのようにトトンッと両足を弾ませながら、自信ありげに笑って言った。鳳龍はちょっと驚いた。親指で方の血をぬぐい、くすっとうれしそうに笑うと再び構えた。
「いいえ。もう一手お願いします。」
「OK!そうこなぁな。」
「はぁぁ!」
「せいっ!」
二人はまた組み合った。拳のスピードはさらに増す。
攻防一体の動きだ。二人は楽しそうに見えた。拳があたるとかなりの衝撃だ。
あたり所が悪ければ呼吸困難になって動けなくなってしまう。
それでもそんなことはお構いなしに二人は思いっきり拳を出し続けた。
気合いと拳があたる音だけがあたりに響き続けた。
どれほど時間が経っただろうか?戦いはまだ続いていた。
だが、時間が経つにつれ、臣人の攻撃はことごとく鳳龍に見切られてしまっていた。
鳳龍は蝶のように臣人にまとわりついた。臣人が左で突きを出すと、その腕の逆手にとって投げを放つ。押さえ込もうとすれば、ひらりひらりとその射程外へと軽やかに身を翻していく。
「ったく、ちょろちょろと!!」
「捕まえてみてくださいよ。臣人さん。」
鳳龍は遊んでいるかのように臣人の肩に手を掛けると、そのまま馬跳びをして、攻撃を避けた。
「えへへ。」
子どもっぽい笑みを浮かべながら鳳龍は、逆立ちした体制のまま下から吹き上げるような蹴りを臣人の顔面めがけてはなった。臣人は間一髪それをかわしたが、鳳龍はそれを読んでいたかのように両腕で地面を蹴ると臣人の首めがけて飛び、両足をはさみのように絡ませた。
「ぐっ」
臣人は慌ててはずそうとするが、足は見る間に締まっていった。
鳳龍はそのまま臣人を地面に叩き落とした。
あたりは夕闇がすぐそこまで迫っていた。
金堂の裏では、まだ臣人と鳳龍が戦っていた。
そこへ、静かに砂利を踏みながら近づく者がいた。
草履の履きの國充であった。
(やはり血は争えんか。それにしても臣人のヤツ。柄にもなく悩みおって。拳が隙だらけじゃ。)
二人の戦う様を影からそっと見ていた。ずいぶん眺めているのだが二人はそんなことなど見えていないようで、動きは止まらない。
國充は自分のあごひげを右手でなでながら少し呆れていた。ふんっとため息をつきながら、首を傾げた。
(さて、そろそろ止めてやらんといい加減ぶっ倒れてしまうのぉ。)
すうっと大きく息を吸い込んだ。
「そこまで!!!」
國充は絶妙のタイミングを見計らって、二人を制止した。その大声に二人はハッとして、動きを止めた。が、よろけてバランスを崩し、尻もちをついてしまった。
「ス…カァ!なんつうこと、さらすねん、このじじい。危ないやろが!」
臣人がその声がした方向を見た。
「お、お師匠様?」
鳳龍も同じようにその視線の先を見た。厳しい顔をした國充が立っていた。
薄暗さに溶け込んで、その表情まではサングラスをしている臣人にはうかがい知れなかった。
「臣人、いい加減にせい。もう負けはわかっておるだろう。何をムキになっておる。」
國充にそういわれて初めて臣人も自分の息が上がっていることに気がついた。
そして、あたりが暗くなっていることにもようやく気がついた。服も汗でぐっしょりしていた。
額からの汗もサングラスから落ちるほどだ。臣人は座り込んだまま、自分の手をひらいたままじっと見ていた。
「そろそろ夕餉の時刻じゃ。水でも浴びてくるがいい。」
あごのひげをちょっと手で触りながら國充はきびすを返し、その場をあとにした。
バック転をして鳳龍が立ち上がり、しょげながら近づいてきた。
「すみません、臣人さん。僕が調子に乗っちゃったから。」
ぺこっと頭を下げた。
臣人は何も言わず、見ていた手を拳にして、ぐっと力を込めた。そんな言葉を掛けてきた鳳龍の顔を見ることはできなかった。
ようやく、臣人は鳳龍に背を向けて立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます