16話 密室殺人事件との戦い

 

 さきほどの記述はあまり良くなかった事例だが、七七高校の生徒といえ、星のめぐりあわせがよければ、きちんとまともに動ける事例も記載せねばなるまい。

 ある生徒らのグループは県庁に向かった。より正確に表現するならば、ヒョンヒョ郎に行けといわれたから行った、である。

 県庁――。なんとはなしに目的地として設定してはみたが、筆者はもう何十年も足を踏み入れたことがない。というか記憶違いでなければ一度きりしか行ったことはない。そのただ一度の訪問ですら、庁舎を増改築したときに稼働前のところを物見に訪れたもので、正規の用事があって行ったことは一度もない。筆者もそれなりに歳を食って生きているのでそういうことではいかんのではと思い、一般的県民が県庁で行う手続きはなんだろうと調べたところ、県庁は個人向けの窓口業務をおおむね承っていませんとのことだった。そんなことも知らずにいままでのらくら暮らしてきたのだが、いまは知った。これでもう県庁に縁がないことでひけめを感じずに生きていける。それだけでもこの駄文を書いた意義はあった。

 筆者と県庁との関係はどうでもいいのだが、大事なことは、市役所とは異なり県庁には一般人はあまり出入りしないということである。したがって、七七高校生徒四人が県庁舎の自動ドアをウイーンとのんきに開けて、ピョコピョコと屋内に入ってきたとき、県庁職員らがいっせいに「なんだこいつら」といわんばかりのうろんな眼差しを送ったのは想像に難くない。

 念のための断りだが、筆者は業務中の県庁の職場を実際にお目にかかったことはないので、現実の県庁職員がそういう反応をするかどうかは勝手な想像である。しかし県庁ではないのだが、筆者がかつてなんらかの公共機関でなんらかの申請手続きを取ろうとしたときの実体験を述べさせていただくと、受付らしきところで「すんません」と発声したところ付近の数名の職員(公務員)らに完全に黙殺され、改めて声のボリュームをやや上げて再度「すんません」といってみると、最寄りの職員(公務員)に「ああ!?」とメンチを切られた経験があるので、たぶん県庁なんてところもそう大差はあるまい。

 チッチのやつらは県庁職員に若干ぶしつけな視線を送られたが、別にそれぐらいで気分を害することもくじけることもなかった。なんとなれば、チッチのやつらは基本的に地元志向が強く、地元を愛していたので、地元の人々も自分たちをそれなりには愛してくれていると深層心理において信じていた。したがって、県庁にのこのことやってきたのも、疎遠で無愛想な親戚の家にちょっとあいさつに来たぐらいの感覚でいた。

 いま、チッチの四人グループはキョロキョロしながらも受付に近づいていった。受付の女性職員は、彼ら彼女らの目的が予測できなかったことから、若干の不安と警戒を覚えた。

「ねえねえ、ちょっといい」

 グループの最年長の生徒が『バックトゥーザフューチャー PART2』の序盤においてマーティJrがコーラを注文したときのような振舞いでカウンターに片肘ついて受付の職員に話しかけた。

「はあ。本日はいったいどのようなご用件で県庁に?」

「ぼくらをどう思います? 率直な意見を聞かせてよ」

 要はチッチのやつらは七七高校に県が求めているものとか、現状に対する認識とか、そういうものを聞きたかったのである。しかし全然言葉足らずであったため、職員は唖然とした表情を浮かべた。

「ええまあその、ちょっとアホっぽい、といったところでしょうか」

「ちょっとアホっぽい」

「失敬。しかし、あなたが率直にといったからそうしたまでですので気を悪くせず。何より私とあなた方は初対面じゃないですか。お互いの名前だって好きな食べ物だって知らない。それでどう思うかだなんて『ああ、こいつら昼間っからアホっぽいなあ』としか」

 職員はおちょくられていると感じたようである。平日の昼間っから学校も行かず大人をからかうなんてろくでもないやつらだ、とそっけない態度を取る方針を見せた。

「なるほど。じゃあ自己紹介します。まずぼくはデンジレッド、七七高校三年一組の本名山田です。次、平次!」

「へっ、へヘへ……恐れ入りやす……。あっしなんざ名乗るほどのもんでもありゃしやせんが、デンジレッドの兄貴のお許しとありゃあ、どちらさんもお控えなすって。手前、生まれは産院、育ちは地元。先祖伝来の姓は本名山、親からいただいた名は平次といいやすが、世間じゃあタンブルウィードの平次なんて名で通ってるケチな野郎でござんす。以後、お見知りおきを……。そんでこちらのお姉さん方がA子姉さんとB子姉さん」

「そ」

「お世話になります」

 職員は警備員呼び出しのボタンに手を伸ばしかけていたが、目の前のアホっぽいではなくまちがいなくアホな若人らが、七七高校から来たと知ってようやく得心した。チッチであればこれぐらいのこともあろうと思い、平静を取り戻した。

 地元の人間にとって、チッチのやつはだれであれ身内のようなものである。それが付き合って気持ちの良いやつであるか迷惑なやつであるかは、実際の身内と同様、選択の余地はないのだが、ともあれ、赤の他人ではなかろうと判断してしまうものなのである。たとえばこの職員は内心かなりの個人主義者であり、勤務時間外において通りすがりに見ず知らずのわらべたちが道に転がっていたデーモンコアを無邪気にマイナスドライバーでいじっているところに遭遇したとしても、「ハハ、おもろ」と思いつつも別段何もはたらきかけずにその場から全力で走り去るドライな人物なのであるが、それがチッチのやつらだとすれば「せめてプラスドライバーを使おうね」と我が身を顧みず積極的に介入するほどであった。

 というわけで、この職員は、いままさに目の前でチッチの生徒らがアホっぽいことをやっていたとしても冷たい態度を取ることはできず、若干うっとおしい目下の親戚をあしらう程度の親しさは表明した。

「そうですか。私はこういうものですけど、一応名刺お渡ししときましょう。ま、ここで立ち話もなんですし、あっちでお話しましょうか」

 受付の職員は内線でどこかに一報してから、一階ロビーの端っこに設置されている簡素な応接スペースに生徒らを連れて行った。

「どうぞ、適当にお掛けになって……。さて、今日はどういった了見で県庁に来ましたか」

「交尾です、犬の。今世紀最大規模の。見たかったでしょ、職員さんも」

「は?」

「犬ですよ犬。知らない?」

「兄貴、こちらのお方、ややもすると猫派かもしれやせんぜ」

 チッチを相手にするということでそれなりの覚悟をしていた職員であったが、常識の埒外からやってきた言葉に開いた口がふさがらなかった。

「A子ちゃん、あの紙出して」

「ん」

 B子の顔には「バカじゃなかろか」と冷たく書いてあった。デンジレッドの兄貴の存在をほとんど無視するような形で、A子はヒョンヒョ郎からの資料を職員に渡した。神算鬼謀をうたわれたヒョンヒョ郎ともなれば、こういう事態になることぐらい想定内だったようである。

「ふん、ふん……。ははあ、なるほど、よくわかりました」

 職員はヒョンヒョ郎からの資料を読んで、七七高校で起きている事態と目の前の生徒たちの意図を完璧に把握した。実にわかりやすい文章だと舌を巻き、かなうならばこういう人間と机を並べて仕事をしたかったものだとためいきが出た。

「つまり七七高校に言及している県政資料とか議事録とか、そういうのを閲覧したいってわけですか」

「そうですね。それから現場の生の声とでもいいましょうか、せっかくですから文教施策に詳しい方のお話伺えますと幸いです」

「ね」

 男子生徒らのアホっぽい発言の反動もあってか、B子のしっかりとした対応を受けた職員は「なんだ、チッチにも話せるやつはいるじゃないか」と多少ではあるが認識を改めた。

「それでしたらちょうどよかったかもしれませんね。私どもの職場にも七七高校出身の人はけっこうおりまして、先ほど手が空いている卒業生に声をかけたところなんですよ。たしかその職員は数年前まで文教関連の部署におりましたので、いろいろとお話しできるかと思います」

 実際のところ、受付の職員が県庁勤務の卒業生をここに呼び寄せたのはチッチの面倒を見るのがめんどくさかったためである。同窓生だけで適当に仲良くやってもらおうという魂胆であったのだが、ともあれ、うまいことかみ合ってくれたようである。


「ちわーっす、葦永さん。用ってなんすか」

 応接スペースの方へ男性職員が近づいてきた。外見こそ標準的な公務員像から逸脱していなかったが、歩き方だの口調だの手の振り方や、果てはなにげない一呼吸ですら、所作の何もかもが軽薄そのものであった。もしあれを努力して身に着けたのであればある意味で見事というよりほかないとB子は感心すらした。

 一方、葦永という受付の女性職員は実にもう絵にかいたようなうんざりした表情でわざとらしいためいきをついて見せた。

「あのさ、火甫君、前もいったよね、ちわーっすはやめなさいって。いや、それはもうきみの口癖というか人生観の一種のような気もしてるから私ももう観念した部分はあるんだけど、せめて外部の人間がいるところでは社会人らしい振舞いをしなさいって」

「あ、マジっすね。遺憾です、慙愧に堪えません。陳謝いたします」

 いたいけな高校生らはもちろん知る由もなことだが、葦永は火甫の教育係に任命されて、一年間にわたり胃壁をキリキリすり減らした経験を有していた。

「歳が近い方がお互いやりやすいでしょ」

 そんな理由で、入庁二年目の葦永は七七高校を卒業したばかりのまだお酒たばこNGな火甫の教育係に任命、より正確に表現するならば押し付け、されたのである。

「葦永さん、今日暑いっすね」

「火甫君、暑くてもTシャツぐらいは着ようね」

 葦永はそういうところから根気強く火甫を教育したのである。火甫はいかにもチッチらしい人間であったから、注意や助言に対してあからさまに歯向かったり抗弁したりすることはなく「マジっすか」と素直に従ってくれたのだが、それでもおびただしい助言に葦永は大変疲弊した。

「火甫君、こういう書類は鉛筆じゃなくてボールペンで書こうね」

「火甫君、三国志でどの国が好きと聞かれて袁氏って答えるのはめんどくさいからやめようね」

「火甫君、ボートレースは三連単が基本だからね」

 火甫は職務としては指示されたことを火甫なりにひたむきに無難にこなしていたため、その方面においては葦永の胃壁はあまりすり減らなかったのだが、おもに礼儀作法や一般的な社会人に想定される言動の教示に苦労した。

 しかし葦永は信念の人であったから、火甫を粘り強く指導した。彼女は大学時代にソフトテニス部で心身を鍛えたこともあり、その重厚で堅実なはたらきぶりはコンダラーの葦永と称えられるほどであった。

 火甫が県庁職員となってまもなく一年になるというころである。県が業務を委託している業者が、窓口の担当者が変わるということであいさつにやってきた。それで当然の流れとして新たな担当者が「今後のご連絡は私の方へ」なんていいながら、顔合わせに同席した県職員に名刺を差し出してきた。

 その席に火甫もいた。彼はその時点ではまだどこの部署にも正式に配属されていなかったし、その業者とかかわりのある部署に配属されるかどうかも不明なのだが、練習としてなんとなく同席するよう指示されたのである。一応の念のため、全くの部外者ながら葦永が火甫の隣に座っていた。

 この顔合わせで、火甫は業者担当者から差し出された名刺を手に取るとしげしげと眺めるにとどまり、その紙っぺらがメンコに強いかどうかをその場で試そうとしなかったのである。この事態に、同席していた数名の県職員らは「おっ」と身を乗り出し、それからすぐに「とうとう、やりましたな」といった称賛といたわりのこもった視線を葦永に送った。視線の先の葦永はうっすらと涙ぐみながらもかすかにうなずいたのであった。よかったね。


 そういった葦永の苦労が実を結び、いま目の前に現れた火甫は少なくとも外見的な容儀に関していえば標準的な公務員を達成していた。内面の方は、まあその、個性を尊重するしかあるまい。これも個性。あれも個性。たぶん個性。きっと個性。

「そんで、用ってなんですか。この子らと関係あることっすか」

 火甫は七七高校の生徒らにちらっと視線を送った。このぐらいの歳の人間が県庁をうろちょろするなど極めて珍しいことであるから、さすがの火甫とてそのぐらいの推測はできた。

「うん、この子らね、七七高校の生徒で、火甫君もそこの高校出身だったでしょ。それで、火甫君のやってる仕事のこととかそういうこと話してくれないかな」

「オーケー、オーケー、お安い御用っす。拝承です。守秘義務の限界までお伝えいたします」

 葦永は一瞬何かいいたそうな顔をしたが、もういいや、といった感じで目を伏せた。いまはぜんぜん違う部署にいるし、こいつにかかわるのはなるべくよそう、と考えているらしかった。

「きみら、七七高校出身なんだってね。おれもそうなの。いや、懐かしい。どうどう、栗栖先生とかまだいるの。元気でやってる?」

「栗栖の先生でしたらあいかわらずお達者でいらっしゃりますぜ」

 火甫は七七高校のいくらかの教師の近況や、かつて自分が所属していた部活の様子を聞いたりした。

「火甫君、あいさつはそのぐらいにして、名刺ぐらい渡してもいいんじゃない」

「おっと、そういやそうですね。これは卒爾でした。フッフッフッ、遅ればせながら恐縮ですが、おれはこういうもん!」

 内ポケットから名刺ケースを取り出すと、火甫はさらにその中から一枚の名刺を取り出し、そいつをすこぶる元気溌剌にテーブルにたたきつけた。ピシャン、と軽快な音が響くとともに、その勢いでチッチのやつらの手元に置いてあった葦永の名刺がひっくり返った。

 火甫は得意満面なしたり顔をさらしていたが、葦永が深いため息をついてうなだれたのはいうまでもない。

「わあ、火甫先輩、すごい。あんなにきれいにひっくり返せるなんて。あと、その、ほら、さっきチラ見した名刺ケース、ドラゴンの絵が彫ってあったでしょ。かっこいいやつ。見せて貸して触らせて」

 案の定というかなんというか、デンジレッドの兄貴は同じチッチ男子同士波長が合ってしまうのか、火甫の一連の行為に対して全幅の憧憬と尊敬を示した。平次は兄貴がよろこぶのであればそれに追従するたちであるから、「おみそれしやした」などと平伏している。A子はあんまり興味がないらしく、自分の爪とか髪の毛先とかを退屈そうに眺めていた。

「葦永さん、あのアンポンタンに何かいいたいことがあるんじゃないですか」

 人生に疲れた風情でふさぎこむ葦永を気遣って、B子が声をかけたが、葦永は無言で首を振った。

「でもホントはいいたいことがあるんですよね」

 もう一押ししてみると、今度は葦永は小さく首を縦に振った。

「火甫さん、あなたはダメだ」

「たはっ、これは辛辣なご指導、まことに痛み入りました」

 火甫は実に心がこもっていない感じで、目をつぶりながらのけぞるようなしぐさをした。暖簾に腕押しというのはまさしくこういうときに使う言葉なのだなあ、とB子は別に欲しくもない新たな学びを得るに至った。

「火甫君、私ほかの業務あるから、あともう適当にやっといて」

「ういやーすぃ」

 火甫の返事になんらのリアクションも示すことなく、葦永はとぼとぼとどこかに去っていった。そんな葦永の後ろ姿に心を打たれることもなく、火甫は実に能天気に、「栗栖先生っていまでも毎日フルチンなの、ワハハハハ」てな具合でご機嫌であった。B子はこの男の遺伝子を解析すれば人類はうつ病を克服できるのではないかと本気で考え始めていた。

「デン兄、あたしらほかのとこ行って資料見せてもらうから。平次君、お兄ちゃんをお願いね。行こ、A子ちゃん」

「B子はえらいなあ。んじゃ、がんばって」

「頼まれやした」

「ん」

 名刺ケースに彫刻されたドラゴンの細工を見て大はしゃぎのデンジレッドの兄貴に向けて、B子は白けた視線を送ったのだが無論のこと届かなかった。

「あ、ちょっと、B子さんだっけ。資料見たいんだったらこのIDカードで資料室入れるよ。ほい、持ってって」

 その場を去ろうと立ち上がったB子に、不意に火甫が声をかけてきて、こともなげに職員証を渡そうとしてきた。

「いいんですか」

「いいよいいよ。きみたち悪いことしなそうだし、閲覧手続きとかめんどくさいでしょ。資料室ね、あっちの階段から下りて右手の突き当りだから」

 B子は内心「よくないだろ」と思いつつも、固辞するのもなんとなく億劫そうであるし、さっさとこの場から抜け出したいし、おとなしく受け取っておいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る