15話 密室殺人事件との戦い
「そろそろ方々に出はらった生徒たちからデータが上がってきたらしいな」
とかやって時間を稼いでいるうちに、ぼちぼち、まとめ係の携帯電話に通知を知らせるティロリロ音が鳴り始めた。
「移動中の写真か何かかな、これは。地蔵、田んぼ、野良猫、空き缶……うんうん、がんばってるようじゃないか」
データ収集係からは、本当にもう実に雑多な情報が上がってきていた。しかしこれはヒョンヒョ郎の指導に従ったまでのことで、ヒョンヒョ郎は「エピソード記憶に残りそうなことなら躊躇することなく上げてくれたまえ」と伝えており、そしてまた実際に、ヒョンヒョ郎本人も出されたデータに満足しているようであるので、その取捨選択フィルタ的行動のためにデータ収集係のやつらは多少ではあるが頭を使わねばならぬようではあるが、それも外に出歩いて汗をかいているやつらの労力と比べたところでどんぐりの背比べとでもいうべきものであり、我々外野がとやかくいうことでもあるまい。
ヒョンヒョ郎はひとまず集まった写真をながめながら頭の中でストーリーを創造していた。報告書に、三十年沿革とかそういう感じのことを書く必要があり、その作文のための素材を、まずは集めてもらったというわけである。
「伝馬会長、あと、きみたち、こっからえいやで写真を一葉ずつ選んでみてくれたまえ」
ヒョンヒョ郎は、ジバコとKと、あとそのへんでひまそうな顔をしていた生徒を指名して、画像データを放り込んだフォルダを見せてきた。
「えっとじゃあこれ」
「こ……おっおおっ、や、こっち、これにします」
「これよさそうじゃん、風情があって。おれはこれにします」
その結果、ブロック塀の上のビール瓶、先月高齢者が車にひかれた交差点、公園のベンチで居眠りしている社会人、が選ばれた。よくよく見てみれば気持ちよさそうに寝ている社会人はロボの野郎であり、思わずKは声を上げそうになったというか上げたが、彼の名誉のためと彼との関係性を説明することの億劫さから知らんふりを決め込んだ。
「あい、わかった。それだけあれば残りは十分補間できる」
ヒョンヒョ郎がちょっとその気になれば、七七高校の三十年沿革ぐらい、これぐらいの街にあるこれぐらいの高校という仮定のもと、すらすら作文することなど朝飯前なのであるが、しかしそれではさすがに七七高校の人々のメンツが立たないし、ろくに中身を読むものなど皆無とはいえ、完全な想像を公的文書に残すことにいささかのためらいがないでもなかった。それに彼は凝り性でもあった。
「酒屋にもっていけば五円もらえるビール瓶……事故ジコやめてけれ……ちょっと抜けてそうな人……。なるほど、見えてきた見えてきた……」
したがって、ヒョンヒョ郎はこの街に現に存在する事象を集め、さらにはそれを七七高校の人々に選ばせ、それらを特徴として文章を作成することにしたのである。するってえと、何かい、こいつはいわゆる三題噺ってえやつですかい。
ヒョンヒョ郎は少しむかしに思いをはせた。学生の時分、三題噺をよくやったものだ、と思い出に浸っていた。
かつてヒョンヒョ郎は大学の落語研究会に所属していた。といっても、何も彼は落語が特別好きであるとか噺家にあこがれているとかそういうわけではなく、生来の世話好きと付合いの良さのせいで、二十ほどの部活サークル同好会をかけもちしており、落語研究会もその一つだったのである。
大学生になったヒョンヒョ郎は子供のころから変わらず人々に引っ張りだこであった。名簿に名前載せてくれるだけでいいとか、一か月に一度部室に顔出してくれるだけでいいとか、そうして頼られればむげには断れないのがヒョンヒョ郎という人間であった。ヒョンヒョ郎は律儀なやつであったので、スケジュール管理を徹底して、少なくとも一か月に一度はいずれの団体にも顔を出した。ヒョンヒョ郎が部室にやってくると、室内がパッと明るくなったような、入れわすれていた照明のスイッチを一つつけたような、そんな感じがしたと当時の当事者たちは語っている。団体の学生らはヒョンヒョ郎が来ると露骨にうれしそうにしてみせたもので、あたかも愛人の家にたまにやってきた父親にじゃれる子供のようであったなあ、と当時の当事者たちは若干照れながらもしみじみ懐かしみながら語っている。
ヒョンヒョ郎はまじめなやつであったから、たまにやってきた部室で、そら、世間一般的な若者らしく愚にもつかないペラも回したが、しかしそれはそれとして、きちんとサークル活動にも打ち込むのであった。その一環で、彼は落語もちょっとかじったりなんかして、付き合いで数回ほど学生主催の寄席にも顔を出したりなんかしたのである。
かかる寄席でヒョンヒョ郎は三題噺ばっかりやった。それなりにやれる噺はあったのだが、毎日稽古をしている部員らに対して片手間どころか片指の間ぐらいでちょろちょろしている自らとを比べれるとどうにも気後れしてしまい、その場その場で適当な話でお茶を濁しつつも場を温めて、お後につなげるのが自分の役割だと思っていた。
したがって、彼のやる三題噺というのはたいがいでたらめであった。おれのやってることなんていかさまじみたなんちゃって芸よ、という照れ隠しもあったのかもしれない。座布団なんかも遠慮してめくりにも名前を載せず、着物もよしてTシャツGパン姿で舞台に現れた。逆に悪目立ちしていた。
三題噺のために、客席からお題を募ったり、あるいは、ヒョンヒョ郎自らがお題を唱えることもあったが、いずれにせよ、お題などろくろく消化しない。いい加減に世間話に触れて、一つか二つぐらい古典落語のパロディ要素を入れて、最後に無理やりお題を登場させるのがヒョンヒョ郎の手口であった。
「……すると突然、ジョー・ディマジオが岩田帯を持ってこっち走ってきた。はい、なんとかおさまりました」
持ち前のサービス精神も発揮して、毎回、客は盛り上がってくれた。共同参加している他校の部員の中には堅物もいたのだが、「しょうがねえやつだ」と苦笑いしつつも平穏にやりすごせたのは、やはりひとえにヒョンヒョ郎の人間性のおかげであったのだろう。
しかし、それはいまはどうだっていい。ヒョンヒョ郎はチッチの生徒らからもらったお題を使って三十年史をふんはと片付けた。学生時代に思いをよせるうちに当時のサービス精神がよみがえってしまい、ついつい筆が進み過ぎて、最終的にロボは人類を守るためにロケットに乗って宇宙に飛び出してしまったが、それもご愛嬌というものだろう。
「ふう、どうにかやっつけた。けど、ここはなんかそれっぽいこと書いとけばいいやつだし、問題はこの先の本文で、こいつはみんなの力が必要だ」
章のタイトルから推測するに、目指すべき学校像とか生徒像とか、地域貢献で何ができるかとか、達成すべき学力とか、そういうことを数値目標を示しながら書かにゃならんらしい。もちろんのこと、過去三十年がどうだったかと、これから三十年をこうしたいの両方ともである。架空の他人事ながら、実にめんどくさそうでうんざりしてくる。
ともあれ、ヒョンヒョ郎から指示を与えられた七七高校の生徒らは、この夏のエアコンをつけるべく各地に向かった。あるものはとぼとぼと、あるものは走って、またあるものは退屈しのぎにピョンピョン跳ねながら目的地に向かった。なにせ普通に歩くのは退屈である。私事になってしまうが、筆者が小学生のころ、毎々通学路を歩くことに実にもうつくづくうんざりして、何かおもしろいことでもないかと考え、なるたけ片方の足に体重をかけない歩き方を試みてたのしんでいたところ、通りすがりの見ず知らずの大人に「きみは足が悪いのかね」と尋ねられてはなはだ気分を害した苦い記憶がある。しかしだからこそ筆者には跳ねながら歩いたチッチのやつの気持ちが実によくわかる。
「失礼します。ちょっといまお時間よろしければ少々お話を伺いたいのですが」
チッチのやつらは地元のいたるところにちらばって情報を収集するよう指示されていた。彼ら彼女らは従順で素直で単純であったから、威風堂々たるヒョンヒョ郎のいわれるがままに動いた。いま、フォーカスを当てた生徒らのグループも、たいして深い考えもなく、ヒョンヒョ郎にやれといわれたから、一人の地元住民に屈託なく声をかけたところである。
声をかけられた地元住民は実に不可解な感情を抱いた。彼は宇宙人に話しかけられた地球人のような表情を浮かべた。
というのも、当の地元住民はいままさに現在進行形で消火活動にいそしんでいる消防職員だったからである。くだんのチッチの生徒らは民家を燃やす猛火に照らさられながらも「えへへ」と愛想笑いなんか浮かべて消防職員に話しかけたのであった。
消火活動にがんばっていた職員はどう考えただろうか。彼は「まともな神経をもった人間であれば、いまこの瞬間におれに話しかけるはずがないだろうから、こやつはおそらく地球上の文化や人類の暗黙の了解を知らぬ世界からやってきた宇宙人のたぐい、もしくはまともではない神経をもったとてつもないたわけ野郎なのだろう」と考えざるを得なかった。もちろん必死に放水ホースを操作しながら、である。
「いいよ。けど、見てのとおり取り込み中なもんで、作業しながらでよければ」
「えへへ、ありがとうございます」
職員は少し考えたが、結局、会話を許可した。万が一、相手が宇宙人であったならば、無碍に拒否すれば相手が気分を害することとなり、それによって地球への侵略が始まったとしたら自分は人類史上まれにみるトンマ扱いされるのではないかと心配したからである。
「なるたけ手短に頼んます」
「はい、わきまえております。さ、どうですか、最近景気の方は」
再び、職員は熟考しなければならなかった。黒字で運用してますといったら来年度の予算を減らされるかもしれないし、かといって、赤字でやってるといえば経費削減しろと突っ込まれるのではないか。いや、そもそも公的な消防組織がもうかってるかどうかなんて評価のしようがないのではないか。
やはりこいつは地球人の慣習にうとい宇宙人に違いあるまいと職員は確信した。したがって、職員は広い意味で世間一般の景気について回答することにした。
「日銀短観によれば景気は二期連続で上向き傾向を維持」
「そーなんですねー。勉強になりました」
消防職員とチッチのやつの横では、焼ける我が家を前にした家主が「そうじゃねえんだよ」と苦り切った顔をしていた。
それに気づいたチッチのやつらはかくのごとく家主を励まそうとした。
「あんだけ焼けたらどうせもう取り壊すしかないじゃないですか」
「いいんじゃないですか、景気よく全部燃やしちゃえば」
「そうそう、むかしからこういいます、半焼はいけないよって」
家主は「あ、おれはいま愚弄されてるな」と判断したらしく、顔の苦々しさが増した。
チッチ生徒による取材は続いている。
「やっぱりこういうお仕事ってむずかしいんでしょうね」
「それはまあ……」
ここで消防職員はまたしても思考に沈んだ。この、宇宙から来た知的生命体は地球の文化に関心を抱いているようである。であれば、両星の友好のため、ひとつよしなにもてなしておいた方がいいのではないだろうか、と判断した。
「ちょっとやってみるかい」
家主は「そんなバカな」と力なくつぶやいた。筆者も彼の立場なら全く同感だったであろう。
「いいんですか」
「おうよ。ほら、そこ持って腰を入れてしっかりふんばって……そうそう、うまいぞ。今度あっちの柱ねらってみようか。うん、なかなか筋がよろしい」
「えへへ、ありがとうございます」
チッチのやつらは代わる代わる放水ホースを持って、あっちに水かけたりそっちに水まいたりした。消防職員の懇切丁寧な指導もあって、なんとも和気あいあいとした空気が醸成されてきた。
「バカ、お前らみんなバカだ。くそ、おれに貸せもう」
しかしこれは訓練でも遊びでもないわけで、和やかに進められる作業のすぐ目の前では家がボーボー炎上していた。ついにたまりかねた家主は放水ホースを乱暴にひったくった。滅茶苦茶にバルブをひねると威勢よく水が発射されて、激しい水圧の反動で家主は地べたにひっくり返った。地べたは消火活動に伴う大量の水でぐずぐずにぬかるんでおり、家主は全身泥まみれになった。
「うっうっ、くそっ、なんだってこんなことに。ちくしょうちくしょう……」
家主は泣き出してしまった。顔は涙と鼻水と泥でまみれた。これにはさすがのチッチといえどもかける言葉もないらしく、黙って静かに家主を見つめるしかできずにいた。自分が雨ごいの儀式でも知っていればこんなことには、と自らの無力さに打ちひしがれるものすらいた。
このとき、集まった野次馬の中にかなり珍しい存在が混ざっていた。地球から六億光年の距離にあるラーミダ星から遊びに来ていた宇宙人であった。くだんのラーミダ星人はひなびた景色や事物が好きで、それで地球のような宇宙のド田舎にわざわざやってきていた。火事を物珍しさに眺め「ほう、この星ではいまだに住居が燃えるんだな」と観光をたのしんでいた。
このラーミダ星人は火事の見物の前、通りすがりにロト7売り場を見かけて「ほう、この星ではいまだにこんなものがくじとして成立しているんだな」と珍しがり、土産と思い出代わりにくじを一枚買ったところであった。ちなみにラーミダ星人から見た地球観光というのは、平均的日本人が遊びで南極に行くぐらいの一生に一度実行するかどうかの手間暇がかかる行為である。
ラーミダ星人は家屋が燃える風景に「歴史を感じる」と満足したが、それはそれとして、家主が嘆き悲しんでいることにひどく心を痛めた。
「ご主人、家が燃えたことは非常に辛いことだとは思うが、済んでしまったことはしかたがない。このロト7で、どうか元気を出してほしい」
ラーミダ星人は地球人よりもはるかに高潔な精神を有するものであり、ラーミダ星で一番の極悪人ですら、地球侵略にやって来れば三日でノーベル平和賞を受賞できるほどである。であるからにして、火事を見物したラーミダ星人は苦労して手に入れた地球産のくじをおしげもなく家主にゆずったのであった。
でも、どうだろうか。まともな神経をもった人間であれば、自宅が焼けて失意のどん底にあるさなかにくじなんかよこされて励まされたら「あ、おれはいま虚仮にされてるな」と考えるはずである。そして、この家主は周囲の人間の中でほぼ唯一といってもよいまともな神経をもった人間であったから、本来であれば大憤慨するところであった。であったはずではあるのだけれども、ラーミダ星人は地球人よりもはるかに高度な知能を有していたので、ふつうにロト7をわたせば家主がふつうに怒り出すことぐらいふつうにお見通しであった。そのため、ラーミダ星人は家主に「実はあの家はすみずみまでシロアリにやられており、あのまま住んでいれば一週間後にあなたは就寝中に倒壊する家屋の下敷きになっていた」という作り話を信じるようにぬかりなく催眠術をかけていたのである。ついでに「このくじは必ずやあなたに幸運をもたらすので、次の当選発表日まで大切に保管しておき、当選番号を確認するべきである」ということも催眠術で伝えていた。ちなみにラーミダ星人からすれば地球のロト7で一等を当てるなんざ造作もないことである。
そういうわけで、ラーミダ星人に話しかけられてロト7をわたされた家主は、あたかも天使に抱擁されたかのような多幸感がやにわに全身から爆発的にわきだし(それもラーミダ星人のしわざであるが)、唐突に狂的な高笑いを上げた。遠巻きに眺めていた野次馬たちは「かわいそうに」と気の毒がったが、七七高校の生徒一同と消防職員は素直に家主といっしょによろこびの態度を示し、小躍りして、最後は家主を数回胴上げしたのであった。たぶん、この消防職員も七七高校の出身だったに違いあるまい。
ラーミダ星人は胴上げを見届けると、直ちに母星に帰った。仕事の都合でそういうスケジュールの旅行だったのである。したがって、我々はこの先もう二度とラーミダ星人に出会うことはないだろう。サヨナラだけが人生だ。
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