14話 密室殺人事件との戦い
「なあ、きみたち。部外者の、ああ、そうだね、人殺しのね、私がどうこうくちばしを容れる筋合いじゃあないかもしらんが、少し聞いてはくれないか」
ヒョンヒョ郎は、このへん掘っても水出るかどうかわからないし、出たとしても飲料に適するのかわからないし、無軌道に地下水をじゃかすか吸い上げると思わぬ事故が起こるかもしれないし、飲もうにも生水は危険なので消毒とかしないといけないし、そういうもろもろの事情を考慮すれば、井戸掘る労力でみんなでバイトとか募金活動して、そのお金で水道代払った方がはるかに効果的である、と伝えた。
盛り上がっていた七七高校生徒一同らは、ヒョンヒョ郎の正論にたちまちしらふに戻り、それどころかさきほどまでの熱気の反動なのか、はなはだ悄然とし、しょんぼりと肩を落とした。自らの無力さに打ちひしがれているようでもあった。
「皆の衆、くじけるでない!」
しおれた生徒らにヒョンヒョ郎が敢然とした声で一喝すると、哀れにおろおろしていたチッチのやつらはすぐさまシャキッと姿勢を正して水を打ったように静かになった。
「伝馬会長、今日は何曜日だったかな」
「水曜日だったはず」
「ということは、まだ丸々二日は残っている。今日もまだ半日近く残っている。はい、そこのきみ。金曜日の日付が変わるまでだいたい何時間あるかな」
指名されたKは、一瞬考えてから勢いに水を差さないよう慎重に答えた。
「六十時間ぐらいあります」
「そうだ。そんだけあれば、一人で勉強しても簡単な資格試験なら合格できる。今ここにいる七七高校の生徒の数はどうだ。百人は下るまい。六十時間かけることの百人で六千時間。そんだけあれば、司法試験だって合格できる。ましてや、こんな報告書の一つや二つがなんだ!」
ヒョンヒョ郎のアジテーションに、チッチの単純な生徒らは地響きのような歓声で応えた。隣の生徒と抱き合ったり、肩を叩きあったり、感極まって、涙を流す生徒すらいた。Kも、この人はロボとはぜんぜん違うなあとあこがれずにはいられなかった。
生徒らをさんざんたきつけながらも、ヒョンヒョ郎の思考の内は依然として冷静であった。いうまでもないことだが、ヒョンヒョ郎がぶちあげた人時算はでたらめであるし、そのことを彼自身がだれよりも承知していた。十人の妊婦がどれほど協力しても赤ん坊が一か月で生まれることなどない。しかし、十人の妊婦が一斉にそれぞれ編み物をすれば、一人の妊婦が働いたときの十倍の成果を出せる。要はどんな仕事をさせるかということで、そのことをリーダー気質のヒョンヒョ郎は肌感覚で理解していた。
ジバコが触っているPCを百人で一斉に触ったところでまるで仕事ははかどらない。百人で百人分の仕事を遺憾なく発揮できるよう、うまく仕事を計画して指導して督励していかなければならないのである。
興奮のるつぼのど真ん中にありながら少しも臆することなく、ヒョンヒョ郎は颯爽と片手を挙げて、「八人グループ!」と叫んだ。チッチの群衆は「わーわーわー」と力強くも能天気でつまりはアドレッセンスな嬌声で応え、たちまちのうちに七~九人のグループで寄り合い、気を付け休めの姿勢でうやうやしく次の指令を待った。なんぞおもろいこと始まるらし、と顔に書いてあった。
ヒョンヒョ郎は報告書のテンプレートファイルにあつらえてあった目次を頭の中に浮かべた。全部で十五章で構成されていた。すなわち、各章に一グループずつ割り当てることをヒョンヒョ郎は企図しているわけである。もっとややこしいプロジェクトをこなした経験もあるヒョンヒョ郎にとっては、この案件の分業は容易だったようである。
「ところで伝馬会長、午後からの授業は大丈夫なのかな?」
「そういやそうですね。じゃ、休講にしちゃいましょうか」
あっさりした口調で同意すると、ジバコは内線をかけた。
「もしもし職員室ですか……あ、栗栖先生、お疲れさまです。私です、会長の伝馬です。ええっと、私あんまり説明が得意じゃないんで結論だけいいますけど、今日の午後を休講にしないとクーラーが止まるんです。この夏の。だからいいすか」
生徒一同、固唾を飲んでジバコの交渉を見守った。
「……いいんですか。お手数おかけいたします。じゃあそういうことでお願いします」
続いて、ジバコは校内放送のスイッチを入れると「私です。今日は、ゆんどころない事情で午後休講です」と発した。たちまち、校内のあちこちから「キャー」といった歓声が聞こえた。一方、ジバコから連絡を受けた教員一同も、「半ドン!」と歓声を上げて帰り支度を始めた。チッチの教員らは、授業の進捗とか生徒の理解度なんてものにほとんど興味をもっていなかったので、会長都合で授業が取りやめになるのであれば代講とか一切気にする必要もなく、堂々と休みになるとよろこんでいた。ここの教員はそういうやつらばかり集まっているのだから当然といえば当然である。
「はーい、みなさん、だいたい八人グループに分かれましたね。いいですよ。じゃあ次はさらにグループ内で半分ずつ分かれてください。データ収集係とデータまとめ係に分かれます。外出歩いたり資料探すのが好きな人は収集係に、じっと座ってあれこれ意見集約するのが好きな人はまとめ係って感じです。はい、さっと動こう、さっと」
ヒョンヒョ郎の呼びかけに、生徒らは「何が始まるんだろうね」といった感じで顔を見合わせながらも、わりあいすぐに担当を決め合った。どの顔にも授業よりはおもしろそうだと書いてあった。
「ではいまから担当表を配ります。はい、きみらのグループはこれ調べにここ行って。はい、きみらのグループはこれね。きみらは……」
ヒョンヒョ郎は各グループにいつのまにやら用意していた手書きの資料を配っていった。県庁行って県議会の議事録調べてこいとか、七七高校を卒業して地元に卒業した人たちの現状を調べてこいとか、あるいは大学に進学した人たちの現状を調べてこいとか、そういうことが書いてあった。
「データ収集係はどんな些細なことでもいいから気づいたことを上げていってほしい。役に立つかどうかはデータまとめ係が考えるから、きみらはとにかく手当たり次第に情報をかき集めてくれれば構わない。データまとめ係は各グループに課せられたテーマに従って、また、ほかのグループがもつ情報も多少は加味しながら、箇条書きでいいので情報をまとめてほしい。仕上げは私と会長に任せて、きみらは法に触れない範囲でのびのび思うがままやってくれればいい。人殺しが何いいやがるって? ハハ、それをいっちゃあおしまいよ。まあいい。おのおのがた、クーラーのためにがんばろうではないか。作業開始!」
「わーわーキャーキャーワンワンワン」
ヒョンヒョ郎のいなせな掛け声に、データ収集係に任命された生徒らは、わいわいがやがや、与えられた指示に従った方面へと去っていった。残ったデータまとめ係の生徒らは、しばしの無聊を慰めるため、過去の年度計画書やら中期計画書らを眺めて「むかしの人はえらいなあ」などと一瞬思ったが、「けど、長期計画書をがんばらなかったのはえらくないな」とすぐに思い直し、偉大な先人たちとて我々とおなじずぼらでぐうたらな人間に過ぎなかったのだと安心もした。
Kとその周辺のいくらかの生徒らは特に深い意味はなくジバコの近くにいたため、なんとなくジバコの補佐をするようなムードになっていた。といっても、ジバコ自身が明確な目標指向性のある行動を取っていなかったため、無理に仕事を探して「会長、肩とかもみましょうか。あと、ヘドバンとか得意ですし、ご用命あればそういうのもなんなりと。デスボイスは練習中ですけど、やれなくはないです」などいいだすやつまで出る始末であった。
「情報集まってくるまでに、やれることやっとこうか。この部屋、むかしの資料がそれなりには保管されてるみたいだから。そうだな……きみらの高校、この三十年の間で部活動かなんかで全国大会出場以上があったか調べてほしい」
そんな立派な功績、あったかしらんとチッチのやつらははなはだいぶかしがりながらも、三十年分の単年度報告をあさった。
「へえ、陸上で出たことあるんだってさ」
「え、うそ、ワンダーフォーゲル部が全国大会優勝したことあるんだって。けっこうむかしだけど」
「これってメディア出演なんかもいいんですよね。ほらこれ、第一回ウィリアム・バロウズ カルトクイズ優勝だって。すごいのかすごくないのかわかんないけど」
といったことを調べて、長期報告書の『学生表彰』の埋め草にしたのであった。一方、生徒らに調べさせている間にヒョンヒョ郎は『職員表彰』に書けることを探していた。どうしたわけか、単年度報告には当該の項目がなかったため、しかたなく、わかる範囲で職員の名前をインターネットで検索して、ボランティア活動とか地域貢献とかそういうのでメディアに名前が載ったことがないか探していた。
「あるといいが……。お、この先生、二十年以上前だけどなんか新聞に載ったことあるみたいだ。どれどれ――」
“……県警は殺人の容疑で元会社員・南場作兵衛容疑者を逮捕しました。調べによりますと、南場容疑者は妻と義理の母を殺害し……最寄りの警察署に自首したところを……容疑を認めているとのことです……”
これには、人殺し呼ばわりに甘んじているヒョンヒョ郎とて「うぇっ」と小さいながらも驚愕の悲鳴を上げずにはいられなかった。
「な、なあ、ちょっといいかい。この、南場先生っていうのは現職のようだし、プライバシーを穿鑿するようではしたないかもしれないんだが、この記事の人だろうか?」
上級生らしき生徒がちらっとモニタをあらためると、うろたえるヒョンヒョ郎に対してこともなげに答えた。
「南場先生……ああ、ドクさんね。うん、うちらはみんなドクさんって呼んでます。博士取ってるそうだもんで。そうそう、むかーし奥さんとお義母さんをやっちゃったとか。ここらじゃだいたいみんな知ってますよ。けど、まじめでいい先生だと思いますけどね。少なくともうちらからしたら」
チッチの生徒らは、ドクさんとやらが人を二人も殺したことにほとんど頓着していないようであった。たしかに、新聞報道を見る限りでは、ドクさんが妻と義理の母を殺したのは二十年以上前のことであり、高校生にとっては実感のないむかし話のようなものであるのかもしれない。歴史上の人物、たとえば織田信長を殺人犯と思う人などまれである
そうであるならば、部外者がとやかくいうことでもあるまいとヒョンヒョ郎は考えた。よって、それ以上の野次馬根性は控え、「ふむ」と一つ小さく鼻息を垂れるにとどめておいた。それに加えて、生徒らもドクさんに関してそれ以上特に擁護も非難も噂話もないらしく、淡々とほかの作業に没頭していた。ヒョンヒョ郎にとっては、チッチならばそれぐらいはあるだろうと自分を説得することに努めるよりほかなかった。そうして、ヒョンヒョ郎はそれ以上七七高校の教師らを調べることはよしておいた。何やらやぶへびのような予感がした。彼はしげしげと教員名簿を眺めていると妙に平凡な名前の教師が多いことに気づき、偽名を使っているやつすらいるように思えた。
ヒョンヒョ郎の鋭い観察眼はまったくもってそのとおりで、七七高校の教師の中にはすねに傷持つやつだの、後ろ指差されるやつだの、たたけばほこりが出るやつだのがごろごろしていた。前述のナンシー先生だって、職場の人々や生徒からの印象としては、明るく朗らかで陽の当たる道を歩いてきたような人物であったが、その実、ナンシー・ブラウンなんて偽名であり、旅行先で石油王の御曹子に結婚詐欺を仕掛けてその国の貴重な文化財類をしこたま国外に流出させ、挙句、国際指名手配を受け、ほとぼりが冷めるまで高校教師の身分をかたって潜伏しているような曲者であった。
南場が教員公募に応募してきたとき、履歴書に目を通した少なくない七七高校の教師連中は、「二人殺した無期懲役と比べれば自分なぞかわいいものよ」と実に人間らしい発想を抱き、当時の生徒会長に南場を雇用するよう積極的に運動したほどである。
とはいえ、穏便な性格の当時の生徒会長は乗り気ではなかった。手続き上は生徒会長の独断で決めてもいいのだが、たかが高校生の小僧小娘なんざ、海千山千の悪い大人たちにとっては造作もない。だが、このときは教師陣営からも反対意見がちらほら出て結論に難渋した。
こういうふうに学内で意見が割れたり、判断に困ったときは栗栖先生に頼るのが七七高校での常套手段であった。どこの職場にもこういう人はいるが、栗栖先生は長老というか神さまみたいな人である。彼のいうことであれば、一癖も二癖もあるチッチの教師どもですら素直に従うというのだからおそれいる。
栗栖先生は(いいんじゃないですか)とお示しになった。それでもう、南場の受け入れに反対する声は雲散霧消したのであった。
本題に戻ろう。ヒョンヒョ郎はしばし考えてから、『社会貢献』のセクションに、「公的な施設から帰還した者の就労支援を実施。三十年間実績として○○人を雇用」のようなことを書いておいた。とりあえず何か書いておけば、出す方も受け取る方もハッピーになるのだからそういうものである。こんなもん、どうせ何が書いてあるかなんてだれも気にしやしない。アホらし。我々人類はこのやってる感をなんとしても打破しなければならないんじゃないのかなあ。
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