11話 密室殺人事件との戦い

「正解は『物を探しに来た』でした」

「そっちかあ」

「ドンマイ、ドンマイ!」

「声は出てたよ!」

「ワンワンワン!」

 チッチを中心にすえると話が進まないと判断したヒョンヒョ郎は、さっさと自らの目的を開示した。一方、生徒の群れのあちこちからKたちの敢闘を称える声が上がっていた。部屋の外の遠くからは犬の遠吠えの声まねが聞こえた。


 ようやく、ヒョンヒョ郎の来訪の目的はわかった。彼はなんらかの物品を探しているとのことである。自分の父親を殺してその件が落着もしないうちに、縁もゆかりもない高校に忍び込むなど、よほどの理由があるのだろうかとKは不思議に思った。

 そうして考えるうちに、こやつは空き巣犯ではないのだろうかとKは気づいた。ヒョンヒョ郎の弁から判ずるに、ごく自然の発想である。獲物が何であるかは存じ上げぬが、生徒会室に保管されているなんらかの物品を失敬すべく不法に侵入したという想像は、けだし合理的である。

「決田さん、つまりあなたは空き巣とかそういうあれと解釈してもこの際怒りませんか?」

「そのように誤解される事態を招いたことについては申し訳なく思うが、真実とは往々にしてつまらんもんさ」

 ヒョンヒョ郎が語ることにはこうである。彼はこの七七高校に、さる著名なヘルメットが収蔵されていると情報筋から仄聞し、一度お目にかかりたく生徒会室を訪ねてドアをノックしたが反応がなく、しかし施錠していなかったので室内にだれかいないか入ってみたところ、Kが率いる生徒らとこうして遭遇したそうなのである。

「そりゃま、結果的に無断で立ち入りしたことは決してお行儀のいいことではなかったけれども、おれは何も盗っちゃあいないし、元よりそのつもりもなかったのだ。ちょっと間が悪かっただけだな、ハハ」

 ヒョンヒョ郎は少しも悪びれた様子もなく、すらすらと語った。堂々としていた。たぶん、プレゼンテーションとかそういうのが得意でグループディスカッションでは回し役とか司会を担う人種に違いあるまい。そういうのが得意でないK一同らは「あんれまあおさむらいさま」といった江戸時代における武士階級の人々を見上げる素朴な町民のようなツラでただただ圧倒されていた。こういう人たちがなんかようわからんところでようわからん円高とか物価高とか二酸化炭素排出量とかそういうようわからん高尚なことをいい感じに処理しているのに違いないと他人事のように思った。

 平時の完全な私事であれば、Kはとっくに妥協して、トホホてへへとやりすごしているところであったが今日は違った。みんなの声援かつ周囲の目というやつがあった。ここまで来たからには、なんらかの結末がなければ出来事として成立しないのではという負い目もあった。

「ヘルメット……ですか。それは……ははあ、あの、頭にかぶるやつ」

「そそ」

「ということは……わかったかもしれない。例えば頭に重いもの……六十キロぐらいのものを載せて階段駆け上がって三十秒以内で戻ってくるようなことも当然お考えに。だから密室だけど密室じゃなくて、ロボさんにも教えないと」

「そ……いや、ちょっとよくわからない。いろいろと。ヘルメットはあってるけど。ぜんたい、どういうニュアンスで?」

「いやその、へっ、へっ、へっ」

 KはKなりによくやった。でもあんまりうまくいかなかった。隣りのクラスメイトに「ねえ」と愛想笑いをしてごまかすと「まあねえ」という慰めが返ってきた。ちょっと気がまぎれた。

「とはいえ、お目当ての品は見つからなかったがね。ダメ元とはいえ、残念だ」

 ヒョンヒョ郎は立ち去りそうな気配になった。彼の立場で考えてみれば、縁もゆかりもないこの高校に長居する理由など何もない。

「あの、せっかくお越しいただいたんですし、少しおしゃべりを……。聞きたいこともありますし」

「ほう、何かな」

 しかし、Kの方にはヒョンヒョ郎にもう少しいてもらわねばならないれっきとした理由があった。立ち返ってみれば、そもそも生徒会室にやってきてヒョンヒョ郎との接触を試みたのは、ヒョンヒョ郎の罪を人々に告発するためではなかったか。その目的を果たせぬことには精神の安寧は得られず、学業などままならず、成績は上がらず、うだつは上がらず、枕をよだらで濡らして、果てはオレオレ詐欺の片棒を担ぐような痴れきった駄生で朽ちていくのに決まっている。

 それも一興、などとうそぶく手合いもいるかもしれぬが、しかし、尋常な精神を有した人間であれば、公共の福祉の恩恵をまっとうに受けて生きる王道的人生を望むものである。もちろんKもそうである。将来どころか数年後の進路すら具体的に考えたことはないが、漠然と、社会人になって給料もらって税金納めて年金もらって天寿を全うする、ということを想定して生活している。

 Kは見ず知らずの第三者とフレンドリーに話し合うような流儀を持ち合わせてはいないのだが、それでも、人生を無難に過ごすべく、なんとか自分をだましだまし、やけくそともいえる度胸を振り絞ってヒョンヒョ郎との世間話を試みた。まずは天気のお話からだ。

「えへん、本日はお日柄も良くお足元の悪い中を万障お繰り合わせの上お集まりいただき宴もたけなわではありますが恐縮ですどっとはらい」

「うん、んん?」

 Kはうろおぼえの口上を全身全霊でもにょもにょとのべった。人生で初のセリフであった。筆者もKと比べればけっこうな歳だが、いまだかつて一度たりとも自らは口にしたことのない文言であった。おそらく、Kはこの文言をかつてどこかで聞きかじったか見かすったかして頭の片隅に転がっていたため、内容を吟味することなく半ば自動的に発したのかもしれない。

 Kのがんばりに、周囲の生徒らは「なんかかっこいいな」とかすかな感動すら覚えていた。我がクラスの智恵働き担当は決まったなと確信し、今度勉強教えてもらおうとたくらむものすらいた。

 ところがよそ者であるヒョンヒョ郎はそうではなかった。「この子、なんか妙なこといってんな」と冷静に聞いていた。


 どうだろうか、この手の言い間違い。筆者もKぐらいの歳になるまで「残高」の読みを間違えておぼえていて、何かの機会に知合いに指摘されたことがある。そのときは気の置けない相手だったので「てへぺろ」で済んで事なきを得たが、もしそういう機会を得ないままいまぐらいの歳になって、役場や銀行などの公的な手続きの折に間違った読みを披露していれば、その場を変な空気にしてしまっていたおそれがある。役場の人間は、たぶんまあ、いい歳こいた赤の他人に対して漢字の読みの間違いを指摘するということなんて、おそらくしない。赤の他人は突然激昂しがちである。リスクに対するリターンが小さすぎる。私の姿が見えなくなってから、職場の同僚などに「あの人、残高の読みを間違えてたね、ウフフ」と小ばかにするのがせいぜいだろう。失敬な。読みを間違えた当人の落ち度とはいえ、あまり気持ちのいいものではない。

 結局のところ、この手の言い間違いが是正されるかどうかは運である。気心の知れた身内の間でミスった場合はお互い穏やかに何事もなく訂正フェイズに入れるかもしれないが、赤の他人とか上司とか社外の人とか、そういう人物がミスった場合はおいそれとは指摘することはあたわない。加えて、その手の指摘は話の腰を折るような形になるため、おうおうにして興がさめてしまう。かといって、話の本筋が一段落したころ合いを見計らって、「実は……」と打ち明ければ、「何をいまさら」としらけた空気になる。場合によっては「せっかく大事な話をしていたというのに、そんな無関係でどうでもいいみみっちいことに気を遣っていたのか」などと誹謗や嘲笑を受け、人間的な器の小ささを評価され、「つまるところ、こいつは小人なのだ」などと軽蔑されかねない。こんなはずではずでは、とほぞをかんでも後の祭り。よって、この手の言い間違いは社会においてはかなりの確率で見過ごされることとなり、ミスった当人はその誤りをさらにまたどこかでさらすことになる。しかしながら、私を始めとした善良かつか弱い人々にとっては、それらの事象は静観するよりほかない不運なのだ。世は無情である。


 しかし、ヒョンヒョ郎は違った。彼は強かった。根っからの世話焼きで、子供のころからそんなことばかりしてきた。

 思えばヒョンヒョ郎がまだ未就学児のころである。ヒョンヒョ郎は父親のヒョン吉に連れられて、ハイソサエティな方々が集う、いと雅な場にやってきた。

 筆者自身はそういったおハイソな方々による社交場とやらに居合わせたことはおろか、かすったことすらないので完全な妄想で記述するよりほかないのだが、そのとき、ヒョン吉らは漢詩の発表に興じていた。上流階級の人々がそういうことをするのかどうかなんらの根拠もないのだが、話の都合もあるので、ともかく、していた。

 ヒョンヒョ郎がくだんの漢詩の会に参加して数度目のことである。どこかの偉い人が詠んだ詩に対して、幼いヒョンヒョ郎はおもむろに「平仄が整っていないようですが」と指摘したのである。

 指摘された偉い人は「さよけ」と独り言のように小さくつぶやいて小首をかしげた。ややあって、ほかの参加者から「あ、二句目」と声が上がり、直ちに詠み手も「ははあ、ここな。ほんま」と得心した。

 さて、ここで気になるのは、この偉い人が幼いヒョンヒョ郎に面前で公然と間違いを指摘されて、メンツをつぶされたとかなんとかいって、憤慨したかどうかである。

 上流階級の人々というのはとりわけ資本主義社会においては自ずからお金持ちである。原始共産制社会でもない限り、人生に成功すればお金がついてくる。したがって、くだんの指摘された偉い人も当然のことながらお金を持っていると推測できる。

 そしてこれはむかしからいわれていることなのだが、金持ちというのはめったに怒らない。何事につけ鷹揚である。余裕がある。金持ち喧嘩せず。そういう人々は、いっときの衝動に任せ感情をあらわにしても損なことを知っている。もし倒すべき敵が現れたならば、まずは笑顔と札束で懐柔することに努めて、怒りと悲しみをこめて戦うのは最後の手段と考えている。仮に電車で足を踏まれたとしても、我が通帳に記載されたあふれんばかりの残高(ざんだか)を思い出せば「ホホ……」と笑みすら浮かべられるに違いあるまい。たぶん、痛風とか結石なんかを食らっても、通帳を見せればたちまち元気に小躍りすら始めるのではないだろうか。がんだって治りかねない。私がごとき貧民は、自分の通帳なんざ眺めても涙とため息しか出ないのだが、金持ちならきっとそうなのである。あいつら長生きするはずだ。

 であるからにして、ヒョンヒョ郎に指摘された偉い人は、別段、なんの邪心を抱くこともなければ気分を害することもなかったのである。ただひたすらに純然たる事実として「二句目の平仄が整っていなかった」ことに気づかせてもらったと認識していた。気分を害するなど、夢にも思わない。

 それに加えて、金持ちの老人は若人が好きなのである。概して高齢者全般に同様な傾向があろうが、とりわけ、人生の成功者はその傾向が強いようである。

 人生の成功者はその黄昏に何を思うのだろうか? 死への恐怖か、生への執着か、若さへの嫉妬か、老いへの後悔か。もちろんそういった感情は、人間であるからには少しずつはある。しかし一番大きいのは懸念や憂慮である。自分がいなくなった世界はどうなるのだろうか、とそれをどこまでも心配するのである。

 彼ら彼女らは、人類の行く末を全身全霊で案じている。青臭い夢物語だとか達成可能性を考慮しないお題目などではなく、当事者意識を伴った真に身近な責務として、我々人類の未来を気にかけている。というのは、人生の成功者はその短くも長い人生において、人類の進歩と調和に一定以上の当事者的な貢献を果たしており、そしてまた、近しい身辺においても同様な成果を観測してきているものである。その末に、彼ら彼女らはこう考えるのである。

「このおよそ百年において人類はそれなりにはうまくやってきた。しかし、これからの百年は大丈夫だろうか?」

 人生の成功者の悩みは尽きない。国際協調、貧困、平和、字数、その他いろいろ。彼ら彼女らはそれらの問題を直截に解決しようと努力し、そして、完全な解決こそできなかったが、少なくとも自分の目の黒い間は悪くはならなかったと自負している。けれども、これから先はどうだろうかと思えば不安でおちおち死んでもいられないのである。私のように毎晩毎晩飽きもせずえへらえへらビールおいしいと泥酔する日々を繰り返す生き物とは魂の出来が違うと判じざるを得ない。

 そんな人類を憂えてやまない成功者らを安堵させる存在こそが若者たちなのである。人生の成功者らは生い先長い若者らを見て、

「これならば向後の百年も同じか、いや、それ以上の進歩を果たせるに違いあるまい」

と、全く安心する。若者らは大樹の幹である。今と未来をつなぐかすがいである。ましてや、それが才覚溢れる子供であれば、去り行く老人どもの情緒のはなはだなることは筆舌に尽くしがたい。

 したがって、ヒョンヒョ郎に接する人生の成功者らの態度は厚意と期待に満ち溢れていたものであったことは想像に難くない。さらにいえば、ヒョン吉と間近でかかわる人々のほとんどすべて同様な人種であり、それゆえ、ヒョンヒョ郎は生まれた瞬間から周囲の人間に祝福されっぱなしで育ってきたのである。

 ヒョン吉は晩年に思いがけず授かった我が子を無論のこと実によくかわいがった。妻が若干引くほどに世話をした。片時も離れがたいと、前述のおハイソな社交場のような場はもちろんのこと、会合だとか有識者会議だとか料亭だとか待合茶屋だとかに家族三人で現れては、会う人ことごとくに満面の笑みでヒョンヒョ郎を披露したものである。

 こういうのを、世間一般では親ばかというのであろうが、親ばか的言動というのは、案外、堂々としていると周囲の反感は少ないようである。変に謙遜したりもったいぶったりするとかえってよくない。鼻につく。

 筆者の職場に、いまはもうとっくに定年退職したが、「娘が旧帝大の医学部に受かった」ということを実にうれしそうに触れ回った人がいた。

「娘がね、○○大学の医学部、受かったんですよ。すごいでしょ。ウヒヒヒヒ」

 職場の同じ部署の人は全員この話を聞いたのではないだろうか。ひょっとしたらほかの部の人すら聞いたかもしれない。あまりにもいろいろな人に話しすぎたせいで、上役は娘の自慢話をだれにもう話してだれにまだ話していないのかあやふやになったようで、筆者は当の話を日を空けたとはいえ二度聞かされた。ほぼ同じ文言で、上役の笑顔も変わらずであった。けどまあ、あれほどまでに堂々と無邪気に屈託なく子の自慢をされると「しようがねえな」と苦笑まじりとはいえお祝いしたくなるから不思議なものである。

 そういうわけで、ヒョン吉が周囲の高邁な精神を持つ人々らに我が子を臆面もなく自慢しても、だれもがみなほほえましい態度を取ってくれたのである。「あらあら、まあまあ」とかなんとか。ヒョン吉が我が子の可愛さに感激して一昼夜のうちに千を超える詩を詠んだことは界隈では語り草となっている。このときはローカル局ではあるがマスコミが取材に来た。親ばかも極めればえらいものだ。

 さらにいえば、ヒョン吉はだいぶ歳を食ってから子を授かった。周囲の人々の多くは子育てをとうに終えて、孫がいるものすら少なくなかった。ヒョン吉が属するコミュニティの人々は気持ちの良い人たちばかりであるから、ヒョン吉夫婦に子がいないことをことさらに指摘したり蔑んだり哀れんだりといった態度を少なくとも表に出すことはなかった。ヒョン吉夫婦らもそのことを負い目に感じることはほとんどなかったのだが、それでもやはり、話題が子供のことに及んだときは、いささかのさびしさや居心地の悪さを感じたことは否定できない。

 ところがである。ヒョン吉と周囲の人々がぼちぼち晩年を意識し始めたころである。全くだれも予想しなかったところで唐突に決田夫人は子を身ごもった。「決田夫妻には子供ができなかったのだ」という判断を最終的な結論としていた人々はおおいに驚き、自らの不明を愧じ、人の世のたえなることを改めて思い知ったのであった。

 ヒョン吉の身近な人々はみな決田夫妻を心の底から祝福した。ヒョン吉が好意をもって迎えられたのは、前述の理由や、彼の生来の人柄によるところもあったが、もう一つの要因として、ヒョン吉夫婦に対して子育ての経験者として先輩風を吹かせられるということもある。あるいは、かつて味わった子育てのさまざまな苦労を思えばこそ、戦友として肩を抱きたくなる感情もあるのだろうか。

 子育てについて、彼ら彼女らは立派な良識と品性を持ち合わせているので、迷信や偏見に満ちた見当違いな意見をいうこともなければ、独善的でおしつけがましい態度をとることもなかった。あくまで経験者の個人的体験を語るのみである。しかし、それでも決田夫妻の交友関係の広さと付き合いの良さもあり、夫妻のもとにはおびただしい数の助言が集められたのである。

 おむつ一つとっても、紙だ麻だコットンだシルクだチタンだパーシモンだといろんな人がいろんなことをいってくるものだから、決田家の広い邸宅とはいえ、まだ当人が生まれる前から既にして部屋中ベビー用品が山のように積まれることとなった。しかも、根がまじめで凝り性のヒョン吉は自ら試してみなければ気が済まなかったため、おむつやらお乳やらベビーベッドやらをかたっぱしから自分で体験し、その詳細な感想をいちいち妻となじみの外商担当者に熱弁しては若干引かれたものであった。

 そしていよいよ実際にヒョンヒョ郎が生まれたときなど、ヒョン吉の情緒の激しきことまこと常軌を逸していた。出産間近の一報を受けたヒョン吉はすべての予定をキャンセルして、とるものもとりあえず妻がいる病院へ飛んできて(これは文字どおりプライベートヘリを飛ばしてきたのである)、「私がついているからな」と妻の手をしっかと握り、かと思えば「おれは無力だ」とうなだれて、数分おきに顔を真っ赤にしたり真っ青にしたり、泣いたり笑ったりした。その様をたまたま近くを通りすがった精神科の医者が目撃して、連れていた研修医らに「きみら、あれをどう診るかね」と興味深げにヒョン吉を見物していった。後日に妻からは「あんなに横でにぎやかにされては、初めての出産の不安も興奮もありませんよ」と軽くたしなめられた。

 ともあれ、ヒョンヒョ郎は無事に生まれた。それに伴う一連のヒョン吉の行動をすべて記すのもさすがにアホらしいので割愛せざるを得ない。それでも多少は示しておくと、彼は季刊発行の業界紙にコラムの欄を持っているのだが、求められているテーマとは全く関係なく、ヒョンヒョ郎誕生に伴う未曽有の体験と感情をすべてあますことなく書いて、読者のことごとくを困惑させた。と同時に「しかし、あの決田さんのことだから、しようがねえか」という気持ちにもさせた。最後に付け加えておくならば、仮に人類のありとあらゆる出来事をランキングした本があったとして、それによるならば、この世に生まれてきたときに自身に向けられていた好意や期待の総量において、ヒョンヒョ郎はベスト100には確実に収まると目される。

 かかる事情により、ヒョンヒョ郎は出会う人すべてにちやほやされながら育っていった。両親はもちろんのこと、周囲の人々ことごとくがヒョンヒョ郎に好意と関心を向けてきて、ヒョンヒョ郎がちょっとしゃべったり動いたりするだけで目を細めて褒めてくれる。

 しかも、そういった態度をとる「周囲の人々」というのは決田夫妻と付き合いのある人だけでなく、赤の他人の道行く人々ですらそうであった。

 決田一家が三人で道を歩けば、十人に八、九人は足を止めたり振り返ったりした。何せ、一家は絵になった。お召し物が良いのはいうまでもないことだが、所作のすみずみまで気品に満ちていた。そして結局そこだよねと投げやりな気持ちにならんでもないが、やはり一家はみな見目麗しい顔立ちであった。

 決田一家を見た人々は、夫妻とヒョンヒョ郎の関係を親子とは思わぬのはしかたなしにして、やはりそのオーラといいますか、俗っぽいいいかたをするなら、めずらしいピカピカの外車を見たような感じで「おっ」と注目する。せずにいられない。そして少なくない人々はそのあまりに完成しすぎている光景に「ははーん、映画か何かの撮影だな」と判断して、あたりに撮影スタッフの姿を探すも見つからず、最終的に一家が作り物ではない現実の日常の事実であることに気づくと、思わずため息を漏らすのが常であった。

 一家の中でもとりわけ人々の視線と関心を集めるのがヒョンヒョ郎である。現在のヒョンヒョ郎も見目麗しい顔立ちであることは確かだが(ファッションセンスがあれなのも確かだが)、それに加えて子供のころの彼は幼さ、かわいさ、いたいけさによる人類普遍的な美による加点も加わり、あまねく万人を魅了してやまない存在であった。美の神髄を探求しているなどとうそぶき、ないものねだりで人生を費やして生活には向き合わぬモラトリアムな筋金入りの世捨て人でさえ、幼いヒョンヒョ郎を一目見れば、

「これかあ……」

とたちまちのうちに得心して改心して地元に帰って手堅い職に就くことうけあいであった。そこまでいうのなら、筆者だって幼いヒョンヒョ郎を見てみたかった。

 かかる理由により、道行く人々のことごとくはヒョンヒョ郎に全く骨抜きにされてしまい、自らの心の衝動にあらがえず、ヒョンヒョ郎に声をかけたり手を振ったり、なんとか歓心を買おうとしてしまうのであった。

「ぼく、何歳?」

「にさい」

「えらいえらい。お名前は?」

「きめたひょんひょろう」

「すごいすごい。脳内の大規模ネットワークの一つであるデフォルトモードネットワークの役割は?」

「でふぉるともーどねっとわーくはあんせいじょうたいにかつどうするねっとわーくでありおもにないそくぜんとうひしつけつぜんぶこうたいじょうかいなどがふかつするとされていますこれらのりょういきはじしんのこうどうのひょうかやしんりてきなしみゅれーしょんをおこなっているとかんがえられたすくのあいまのきゅうそくにおけるがくしゅうにでふぉるともーどねっとわーくはかんよするとかんがえられています」

「フフ、ヒョンヒョ郎くんは賢いねえ」

のような次第で、出会う人すべてがことごとく目じりを下げてほほを緩めて、ヒョンヒョ郎をほめそやすのであった。

 てなわけで、この世に生を受けたばかりのヒョンヒョ郎が、世界のすべてが歓喜と友愛で成り立っており、人間はみな互いによろこばせあう言動を第一に実行するものであると誤解しても無理なからぬことであった。

 ヒョンヒョ郎は困っている人や悲しんでいる人を見れば放っておけないのであった。いってしまえば、好きな音楽や物語を他人に教えたいという気持ちと全くおなじように、世の中のすばらしさをみんなに知ってほしいというのが行動原理となっていたのである。

 いま現在のヒョンヒョ郎はあれから歳を食って、世間一般の平均よりははるかに少ない件数とはいえ、その人生においてちっとは辛酸をなめたり、嫌な目にも合ってきた。されど三つ子の魂百まで。いまなお、ヒョンヒョ郎の魂のドクトリンは「世の中はすばらしく、人々はお互いが大好き」なのであった。

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