4話 密室殺人事件との戦い
次の日、Kが両親に「連休でどこ行っても混んでるし、せっかくだから例の会社役員殺害事件についてちょっと調べてみようかな」と話してみると、Kの母は「さっすが。高校生ともなると違う」などと妙に感心して、Kの父は「えっ、そうなの。ぶっちゃけお父さんも仕事でそれ調べてるよ。でも正直こういうのうれしいよね、子供が自分のあとをついてきてくれるって」とものすごくよろこんでいた。
そういうわけで、Kは昼ご飯代にしては多めのお小遣いをもらった。両親は二人でどっかに行った。
待合せ場所のKの祖父の家に行くと、早めに来ていたらしいロボは居間で寝転がってテレビをつけながら寝ていた。身内ならいざ知らず、よそ様の家でさすがにくつろぎすぎではないかと疑念が浮かばなくもなかったが、Kのあずかり知らぬところで祖父とは浅くはない付合いがあるのだろうと割り切りつつ、と同時に、家族として以外の祖父の人生の側面(存在して当たり前なのだが)を否応なく意識させられることにさみしさを感じさせられるようでもあった。みんな死ぬときは独りなのだ、とか。
テレビでは時代劇の再放送をやっていた。興味がわかず、テレビの電源を切った。替わって不思議な仕掛けのようにロボが目を覚ました。
「うおっ、寝てた」
ロボはカッと目を見開き、Kの顔を見て、テレビを見て、時計を見ると、それで観念したのか「むん!」と裂帛の気合を込めて上体を起こした。
「K君……いや、Kちゃん……、うーん……いやね、きみぐらいの年頃の人間と接する機会があんまりないもんだから距離感がわからなくてさ」
「別になんでもいいですよ」
「こういうのは最初が肝心なんだ。他人の呼び方っていうのは、いったん決めちまうとなかなか途中で変えるタイミングがなくなる」
妙に張り切っているロボを傍目に、Kは「はあ」と腑抜けた相槌を打った。
「ううん……K之丞、といのはどうかな」
「はい?」
「うん、ぴったりじゃないかな、K之丞。うんうん、そうしよう。きみもそれでいいよね? おれのことは学生時代のマイナーなあだ名でポセイドンと呼んでくれてもいいし。ハハハ」
「あんまり」
Kは首を傾げた。結局、基本的にはロボさんとKと呼び合うことになった。そうこうしているところにKの祖父が帰ってきてくれた。
「ごめんごめん、ちょっと買い物に行ってて」
Kの祖父は車での遠出が腰に堪えることと、執行猶予中の身であることから同行はしないと説明した。現状、あやしいやつをぶん殴ったら間違いなく刑務所でお迎えを待つ身になるとのことである。
「しかしこのロボは大変立派な若者だから、きっとうまくやってくれるはずだ」
ロボは「ありがとうございます!」と元気よく返事をしたが、どうにもそれが下っ端感にあふれており(ロボの階級は知らないが年齢的には警察組織において現にペーペーなのかもしれないが)、いまひとつ頼もしさを感じられずにいた。
ロボの私物の軽自動車に乗って、二人はまずは事件の現場である殺害された役員の自宅へと向かった。
「どう、学校は。部活とかしてないの」
「新天文部をやってみることに。始めたばかりですけど」
「ほお、ロマンチックだ。三島由紀夫なんかもたしなんでたやつね」
「ですです。うちの部長は見たことある人だそうですよ。文化祭の出し物では校庭に机を並べて数字の9をこしらえるんですから」
Kがざっと近況を話すと、今度はロボの身の上話になった。
「おれの伯父さんも刑事でね――」
ロボの伯父というのは、例の惨劇の瞬間に平米と共にいた刑事だった。ロボの伯父が被害を免れたのが過激派組織の意図か単なる偶然かは知る由もなかったが、ともあれ彼は死ななかった。警察署の人間で無事で済んだのはほんの数名で、その生き残りも平米とロボの伯父を除いてみな職を辞して、街を去っていった。
「おれも資料なんかでしか知らないけどさ、想像を絶する事件だったと思うよ」
生まれ住んだ街のこととはいえ、例の事件についてはKも教科書的な淡々とした事実しか知らない。事件について平米がKに伝えたことは何もなかった。事件の傷跡や被害者の談話を直に見聞きしたこともない。Kにとってはずっとむかし起きた、あまたの歴史的な出来事の一つにしか感じられずにいた。
「伯父さんは……少なくともおれにとっては、まねをしたい大人で、立派な刑事だったんだよ。最期は好きだった酒におぼれて亡くなったけどさ……」
ロボが刑事になったとき、彼の教育係を買って出たのがKの祖父だったという。
「伯父さんにもブルさんにも借りっぱなしだ」
しめっぽい雰囲気に似つかわしい言葉がわからず、ただKは感嘆とも慰めともつかないような息を小さく漏らした。
「ところでこれは目的地に向かっているのかな」
カーナビには何も設定されていなかった。Kは「は?」と声を上げてロボの横顔にアホ面を向けた。Kの視線の先の顔もちょっとアホっぽい感じがした。
「えっ、Kが設定してくれてたんじゃないの」
「いや、聞いてませんよ。それはまあどうにか調べれば出てくる情報なんでしょうけど、てっきりロボさんが知ってるものとばかり」
このしょうもないしくじくりに、なぜだかロボはニヤリとして見せた。
「フフッ、すごいじゃん、おれら。こんな短時間でお互いのことをこんなに信頼し合うなんて」
「長生きしますよ」
結局、役員の自宅の住所とやらはKの祖父に携帯電話で聞いた。電話口に出たKの祖父はすぐに回答したので、こういう事態を予見していたのかもしれない。
幸い、おおよその方向は合っていたので役員の自宅に昼前には着いた。ひとめ高そうな邸宅が居並ぶ住宅地で、車を停める場所を探すのに難渋した。
敷地の出入り口には『KEEP OUT 立入禁止』としたためられた黄色いテープが貼られていたが、警察関係の人間は見当たらないようであった。ひとまず調べられることは調べ終わったのかもしれない。
ロボは「ご近所の目があったりする」とつぶやくと、だれに見せるでもなく警察手帳を掲げながらテープをくぐって敷地内に入った。そのあとに続く間際、Kは自らの野次馬根性もいくところまでいってしまったのかと呆れた。小学生の時分に度胸試しと称してクラスメイト数人と廃屋に忍び込んだ記憶がよみがえった。あのときは別段、何もなかった。もしあったとしても、せいぜいが大人に一方的に怒られるぐらいで済む話だった。しかしいまはもう違う。そういうふうに、歳を取ってだんだんと世界の中の自分がゆらぎのないものに固定していくのだろうか。
「さて、さすがに家の中までは入れんが……、とりあえずぐるっと見てみようか」
Kとロボは建物を囲むように撒かれた玉砂利をざくざく踏み鳴らしながら一周歩いた。築何年か知らないがきれいなものである。庭も手入れが行き届いている。建物の出入口は玄関一か所だけで、窓には頑丈な格子が取り付けられていた。道路に面した外壁の高い位置に回転灯が取り付けられており、非常時には点灯するのかもしれない。
「めちゃくちゃ高そうな家ですね」
「ほんと、もったいない」
ロボの話によれば、仮に役員の息子が本当に犯人であったとすれば、相続欠格によって息子がこの家を相続することはないそうである。それを説明するロボは「おれも刑事のはしくれ、一般人よりは法律には詳しいわけよ」としたり顔であった。
「うん、だいたいわかった。やっぱり玄関からしか入れそうにもないな」
「合鍵か何かで入ったんじゃないですかね。親子なら持ってても不思議ではないですし」
「ま、そんなところだろうさ」
建物の外観を確認したKたちは玄関にまわってみた。電信柱を破城槌よろしくぶち込んでもびくともしなそうな重厚な造りであった。
「あれ、でもこのドアって鍵穴が見つかりませんよ」
「そんなはずは……ははーん、なるほどね。ほら、ノブのここ。これで指紋か何かを読み取って解錠する仕組みじゃないのかな。以前、講習で見たことがある」
ロボの説明は正しかったが、実際にセンサ部分をベタベタ触って実演して見せる行為はぜんぜん正しくはなかった。ロボはそういうところがある刑事だった。だが幸いにして当のセンサに付着した指紋や物質については、まともな署員らが十二分に調べた後だったのでかろうじて怒られずに済みそうだった。ロボはそういうところもある刑事だった。
「へえ、ハイテクですね」
粗忽物の指紋のイメージを読み取った機械が赤色のLEDを光らせながら「ピピピ」と認証の失敗を表す音を鳴らした。
「それだけじゃなく、たぶんこのタイプのやつなら施錠・解錠の時刻をログに残すとかやっててもおかしくはない」
「じゃあ、密室殺人っていわれてるわけですし、被害者の方が亡くなる前後の時間帯でそういう記録は残ってなかったってことですか」
「そうなるのかな」
Kの素朴な疑問に対してロボはさほど注意をひかれるふうでもなかった。彼はまだ物珍しそうにドアノブをなでくっては機械音を鳴らすことに精を出していた。
「ロボさんの考えとしては密室かどうかはこの際たいして重要でもないと」
「うん、まあ。だっておれが思いつかなかったとしても、世の中すごいこと考えるやつなんていくらでもいるし、ドアの一つや二つぐらい、そりゃどうにかすりゃ開くよさ。現に、警備会社は緊急事態ということで開けて中に入ったわけだし」
せっかくなのでKも指紋認証のセンサに五指をいろいろな角度や力で押しつけたりなでつけたりしてはノブをガチャガチャ動かしてみたが、無論のこと扉は閉ざされたままでいた。なるほど、仕組みは知らないけれども世の中には頭のいいことを考える人がいるものだとKは素朴に感心した。
これ以上の収穫は得られないと考え、警備会社から話を聞いてみようかと現場から離れたところで、Kとロボは身なりのしっかりした初老ぐらいの夫婦とおぼしき二人組に呼び止められた。
「もし、よろしいですか。そちら様は決田さんのお宅に何かご用がおありですか」
夫らしき男性に続いて妻らしき女性が付け足した話によれば、夫婦は近所の住民とのことである。
「お騒がせして申し訳ありません。ぼく、刑事やらせていただいてまして、調べておきたいことがあって。こっちは知合いの子なんですけど、あの手の機械に詳しいってんでちょっと見てもらってたんです」
ロボは警察手帳を取り出しながら、さっきまでとは違う声のトーンですらすらとうたった。Kはロボの隣りでなるたけはんだ付けとか好きそうな顔をこしらえることに努力した。
「ああ、刑事さんでしたか。知らぬこととはいえとんだ無礼を。ご苦労様です」
「ごめんなさいね、あんな事件が起きて、警察とマスコミ関係の人はようやく静かになったんですけど、今度は物見だとかいたずらが増えたものですから落ち着けなくって」
ご婦人は問わず語りに亡くなった会社役員のことを話し出した。昔からこの地域に住んでいたそうで、老夫婦らとも顔見知りとのことである。
「なかなか子宝に恵まれなかったみたいでして……。でも、旦那さんが歳いってから息子さんが生まれて、そのときはえらいよろこんでいましたよ。年賀状にもその子の写真ばっかり載せてましたし。このへんじゃあ、タクシーの運転手さんだって知ってる話です」
ロボはうんうんとしきりにうなずいて見せてご婦人の話をメモに取った。Kがそのメモをちらっと横目でのぞき見すると、一応はそれらしきことを書いているような気がしたため、若干ではあるがロボへの信頼度が上がった。
「ええ、奥様は亡くなっております。いつごろでしたか、もうだいぶ経つような気もしますが……。旦那さんと息子の仲ですか? テレビだとか週刊誌でいわれるほどは悪くはなかったんじゃないかと。ねえ、あなた」
「うん、私らにはあの子がそんな悪い子だとは思えんのです。礼儀正しい子でしてね、道で会えばきちんと頭を下げてくれるような子でしたよ。地域の清掃活動なんかにもしょっちゅう参加してくれていましたし」
殺害されたのは大手企業の役員を務めていた決田ヒョン吉。夫婦の話によれば、彼の一人息子である決田ヒョンヒョ郎は小中と名門私立学校に通い、高校では地元のナンバースクールで卒業生代表を務め、このあたりでは「決田さんとこの坊ちゃん」といえばその名と顔を知らぬ人はいない絵に描いたような優等生だったという。
「ヒョンヒョ郎君が大学に行ってしばらくしてからですかね、おかしなことになってきたのは……」
ヒョンヒョ郎は芸大に進学した。周囲の人間は少し意外に感じたが、彼ならばどんな分野に進出しても失敗はあるまいとも考えた。そんな息子について、父のヒョン吉は事に触れては、
「トンビが鷹を生むとでもいうんですか。私なんて絵心ありませんし、アートだなんて全く。ところが今度うちの子が芸大に入りたいなんていいだしまして、絵、うまいんですよ。いや失礼、どうにも歳がいくと親ばかが過ぎるようだ」
などとうれしそうに吹聴したものだそうである。
「なるほど。お話を伺った感じですと、そのころはむしろ良好な関係に思えますね」
「そうですなあ」
夫は主を失った家に哀愁めいた視線をふっと送った。
「あの家は地下が物置になってたんですけど、そこをアトリエに改造して、まあ、いろいろやってたみたいですよ。おっきな荷物もしょっちゅう搬送してましたし、芸術家ってみんなああいうものなんでしょうかね、妙な雰囲気の人たちもときどき出入りするようになったんです」
「ここ一か月ぐらいですかなあ。決田さんはめったに外出することもなくなって、ヒョンヒョ郎君を近所で見かけなくなったのは」
「ではそのころに何か親子が仲たがいするようなことが起きた、と」
そのあたりのことは既にほかの捜査員がさんざさらったはずで、ロボも明快な答えが戻ってくるとは期待しないような口調だった。老夫婦は決田親子の関係に言及することを避けて話を続けた。
「でも刑事さん、私らにはいまでもヒョンヒョ郎君が世間でいわれているような人間だとはどうしても思えんのです。悔しいんです。真犯人がいるか、それとも何か複雑な事情があったのか、あったのならあの子の言い分を聞いてみたい」
「じゃないと、あんまりかわいそうで……」
ご婦人は本心からそう感じているらしく、最後はしぼりだすようは話し方になった。夫婦は「協力できることがあるなら」と連絡先を教えてくれた。
決田邸をあとにしたKとロボの二人は、続いて警備会社に話を聞くべく車を走らせた。
「なんだか予想外でしたね。あの被害者の息子、地元の人にあんなに良く思われていたなんて。てっきり根っからの札つきのワルなのだとばかり」
「ねえ。しかし、ま、人間がグレる理由なんてどこにでもいくらでもあるからそれほど不思議な話でもない。殺人事件なんて大半は家族同士でやりあった結果なんだし、第三者にとってはありふれた話だともいえなくもない」
「諸行無常を感じますね」
「そう、まさに祇園精舎だ」
Kもロボも熟語の意味はよくわからないでいたが、なんとなくかっこよさそうなのでいってみただけである。そういう年頃なのだ。
決田邸の警備業務を行っていた会社は、祝祭日にもかかわらず少なくない社員らが勤務中であった。ロボが受付の社員に「ぼくらこういうものなんですけど、ちょっとお時間いただけませんか」と申し入れると、相手は「そちらに掛けて、少々お待ちください」と常識的な対応を見せたが、若干めんどくさそうな気配は否定できなかった。ただでさえ不名誉な事件を起こされておもしろくないところに、その上、聞込みだのなんだのでおなじようなことを何べんも繰り返してうんざりしているのだろう。しかも休日出勤とくれば所作の端々ににおわせてくるつっけんどんもむべなるかな。
「刑事さん、どうもお待たせしました。ただ、私どもとしては申し訳ありませんがこれまで再三お話ししてきた以上のことはお出しできませんよ。警察の方で情報共有しっかりやっていただけますと手間を省けてお互いのためだと思うんですけどねえ」
ややあって応接室に入ってきた男性社員が軽い嫌味を口にしながら、名刺をKとロボの前に置いてきた。男性社員の役職は広報課長ということらしい。ロボがKを「こちらは警察犬の専門家である」といって紹介したが、広報課長はたいして興味も不審も抱かない風情で「はあどうも」と返した。Kはチワワとアフガンハウンドを見分けられそうな顔をつくろって会釈した。
「ごもっともで。しかしまあその、ぼくらのような若い人間にとっては実際に見聞きすることがまだまだ貴重な経験になりますんで。厚かましいお願いで恐縮ですが、後学のために少し勉強させてもらえませんか」
広報課長は緩慢な動きでKとロボの前に印刷物を並べた。
「マスコミ対応とかもありますからね。都度、説明を繰り返すのも手間ですし、もうこういうもの作らせたんですよ」
表紙には「決田氏殺害事件資料」と書かれており、「極秘」というスタンプが右隅に押されていた。パラパラと中をめくってみると、最初の数ページには会社のパンフレットが挿し込まれていて、そのあとに「要旨」と銘打たれた一ページがあった。
「ここ読んだ限りですとそちらの会社には落ち度がないというわけですか」
「さようです。で、細かい話は本文におさおさ怠りなく書いておきましたが、ともあれ、当方としては契約の範囲内で業務を全うしていたというわけです」
要旨のあとのページには「契約概要」とか「連絡系統図」とかそういうことが細かく記されてあったが、Kには読む気力がわかなかった。ロボは一応の礼儀として目を通しているが頭に入っているのか不明である。
「いや、しっかりした資料をご用意いただいて。署に戻ってまたゆっくり読ませてもらいますが……、いくつかよろしいですか。指紋認証で錠を管理していたみたいですけど、決田さん一家はむかしからあの家に住んでいた。ということは息子も登録されていても不思議ではないのでは。あ、いえ、別に息子を犯人と決めつけているわけでもないんですが、やはり常套手段といいますか、行きがかり上どうしても引っかかるものですから」
「ええまあ、おっしゃるとおり息子さんの指紋もむかしは登録していました。ですが一か月ぐらい前ですかねえ、決田様から息子の分の登録を抹消するようにいわれたんです。理由には立ち入りませんでしたけど、特段めずらしい話でもありません。うちとご契約のご家庭は比較的裕福なところが多いわけでして、私どものような庶民には想像もできないような複雑なご苦労があるようですから」
「実は息子は合鍵を隠し持っていたとか」
「弊社で扱っている錠システムはいろいろなバリエーションがありまして、確かにむかしながらのシリンダー錠を併用して物理的な鍵でも解錠できるタイプもあります。しかし決田様のお宅のタイプは外からは指紋認証でしか解錠できない種類でした」
黙って座って置物になっているのもきまりが悪く、一回ぐらいは発言しておかないとあいつは何しに来たんだとのそしりを免れないと思い、Kもがんばって口を開いてみた。
「じゃあ内側から開けたっていうのはどうですか。仲が悪くなってたっていっても、そこはやっぱり親子なんですから、どうしてもってお願いされてついつい開けてしまったというのは」
広報課長はKの意見に対して肯定も否定も表明せず、ただ一瞥をくれただけだった。しかし相方のロボはおおいにうなずいてくれた。
「ありうるね。まあ、ぼくはまだ若いですからそんないろんな事件扱ってきてませんけど、先輩なんかから体験談を聞いてみた感じ、世の中で起こるほとんどすべての事件っていうのはふつうすぎるものなんですよ。雪が降れば積もるし、雨が降れば濡れる、その程度のロジックなんです。子供に懇願されて情にほだされて親がうっかり開けてしまった。それで難なく室内に侵入した息子が口論の末に父親をズバッとやった。あの手の錠はオートロックなんでしょう? じゃあ現場から出るときに自動的に施錠されるわけですから、密室のいっちょあがりって寸法です」
我が意を得たりとばかりに、ロボは身振り手振りまで織り交ぜて意気揚々にまくし立てた。広報課長は引き続き無反応で、今度はKがロボにうなずき返した。
「一件落着というわけですか。案外、かんたんな事件でしたね、ロボさん」
「他人が死んだだけのありふれた話さ。よし、今夜はタクシーの迎車でも呼んでパーッといこうか」
事件解決を祝ってKとロボは上機嫌な顔を並べた。しかしはなはだ興ざめなことに、広報課長はそんな二人を冷ややかな目で見ていた。
「あのですね、そんな短簡な話で済むのなら、ほかの捜査員がとっくに解決しているに決まっているでしょうに、ハァ。先ほども説明したように、あの家の錠システムは施錠・解錠を毎回記録しているんですよ。内側から開けたとしても、それはきちんと記録に残ります。そして、そんな記録は見当たりませんでした。付け加えると、息子があらかじめ室内に潜伏していたっていう線もありませんからね。彼は事件前日にどこそこで目撃されていましたし、そもそも家から逃げるときにドアを開ければ当然それがログに残るはずです。それからそれから、ドアに細工をして解錠されっぱなしにしておき、犯人が侵入するときに解錠のログが残らないようにするというのもあり得ない話です。というのも解錠状態のまま五分が経過するとそれもログに残りますし、異常検出ということでご契約者様に確認の連絡をした上で、場合によっては現地に係のものを派遣します。まあそんな不審なログもありませんでしたが。以上、ご理解いただけましたか」
広報課長がややうんざりしているらしいことがKにもロボにもなんとはなしにわかった。しかしそこは若者らしい謙虚な厚かましさでもって気づかないふりをしながら食い下がった。
「じゃあ、どうにかしてシステムを停止させてログに残せないようにしたとかは」
「そいつだ、K。さえてるなぁ。息子が父親にどうにかシステムをシャットダウンするようにお願いして、システムが動作していない状態で手動で父親が内側から扉を開けて中に招き入れたってわけだ。これならログなんて残りっこない」
「見事な推理じゃないですか。ロボさん、今度こそ大解決ですねこれは。さっそく例の息子をしょっぴきにいきましょう」
Kとロボは今度こそ広報課長の鼻を明かしてやった気になっていた。人間の作った問題は人間が解けるようにできているのだ。Kとロボはあいさつもそこそこにおいとましようとした。ところがこの鼻持ちならぬ広報課長は依然として二人に非協力的であった。
「そういうこと考える人はよくいるんですよ。よくいるということは、当然その対策もしています。正常にシャットダウンしたときもそれはログに出ますし、起動したときもログに出ます。とはいえ、停電などで強制的に停止したときはログに残りません。しかしながら、各契約先の端末は弊社サーバーと定期的にやりとりしておりまして、具体的にどんなやりとりをしているかは業務の都合もあるので明かせませんが、システムになんらかの障害が発生して端末が正常に動作しておらず、サーバーとの通信がうまくいかなければそれはログに残ります。こちらはログのサンプル……これだって本当は社外秘でおいそれとはお見せできないのですが特別ですからね……、ほら、こういうふうに」
20yy-mm-dd 12:00:00 Shutdown success
...
20yy-mm-dd 12:10:23 Boot success
...
20yy-mm-dd 09:30:00 Signal unreachable
20yy-mm-dd 09:31:01 Signal unreachable
20yy-mm-dd 09:32:00 Signal unreachable
...
「これが正常終了のログ、これが起動、これらが障害発生でサーバーとの通信がうまくいかなかったことを意味しています。当然、こういうケースでも連絡を差し上げたのち、状況に応じて係のものを向かわせます」
「決田さんのご自宅についてこういうログとかやりとりは」
どうにかロボは食い下がろうとした。だが広報課長がKたちに向けるまなざしにはもはや憐れみすら含まれていた。
「皆無です。決田様がお亡くなりになった時間帯に異常を示すログはなんにも」
Kは教科書に掲載できるほどの立派なぐうの音も出ないまずい顔をさらした。罵声を浴びせられたり叱責されたりしたわけでもないのだが、長い説教でも食らったような不景気な面持ちになり、うなだれた。
「いや、待ってください。お見せいただいたこのログ、これによれば状態確認の通信は一分間隔で行っているということでしょうか」
Kはもうすごすご家に帰るつもりでいたがロボは違った。彼の今年度のモットーは百折不撓であった(そして彼はこれを「ひゃくせつふぎょう」と読んで記憶していた)。ロボは懲りずに食い下がった。その執拗さはまさしく狼だった。知らんけど。
「さようです」
「素人考えですけど、この間隔、なんか長くありませんかね? たとえば一分間のうちに犯行が電光石火に行われたとすれば……。なんらかの方法で電源を遮断して、なんらかの方法で錠をこじ開けて、なんらかの方法で一分間のうちに犯行を終わらせて、なんらかの方法でログが残らないようにシステムを起動すれば、ログには一切何も痕跡が残らないのではないでしょうか」
ロボはログのサンプルを指差しながら持論を展開した。話し終えるとゆっくりと顔を上げて広報課長の顔色を窺った。
「いやはやなんとも……。若い方は可能性にあふれているようで……」
広報課長は苦笑を浮かべた。言葉を選び選び、どうにか返答しているようだった。
「説明しときましょうか。まず一分が長いのではというご指摘ですが、当然そういう意見は内外含めてあります。しかしこれも様々な実験や調査のデータから導き出された我が社の経験値でして、長過ぎれば異常検出に時間がかかってしまうのはごもっともですが、短過ぎても誤検出や各種の負荷で運用に差し障りがあるのです。異常検出から駆け付けまでにかかる時間はエリアにもよりますが我が社の場合はおおむね五分から十分程度、そういった数値と比べれば一分というのはさほど無理のない数値であると認識しています」
「十分から一分増えたところで大差はないと」
「いってしまえばそういうことですな。そりゃあ、迅速に対応できるに越したことはありませんが、いかんせんリソースは有限なわけでして、どこかで妥協する必要はあります。そしてこれまでのところおおむね問題なく運用できている。それでもなお遅れ時間は限りなくゼロにしたいとおっしゃるお客様には、いっそ警備員が常駐するタイプの契約もご提案させていただいております」
広報課長は心なしかうれしそうに語った。図に乗っているとまでいえそうだった。寝不足で情緒不安定だった。Kとロボがあまりにも想定どおりの質問をしてくれたので、ひどい残業を繰り返しながらも課を挙げて作った資料と対策が遺憾なく効果を発揮しているのだ。連休だというのにどこにも遊びに連れて行ってやれなかった妻と我が子に詫びつつ、自らの生きざまに胸を張れるようになった。おい、みんな見てるか、おれたちの仕事だぞ、広報課長は共に戦った仲間たちを一人ずつ思い出しては感謝した。
「でもロボさんがさっき説明したように、一分以内に事を片づければ……」
Kがロボの援護射撃を試みたが、広報課長はすかさず手を振ってそれを遮ってきた。
「お二人も決田様の邸宅のドアはご覧になったそうですが、あれ、頑丈そうだったでしょう? 実際頑丈でしてね、重火器でも使わない限りは一分どころか一時間かかっても突破できんでしょうな。外から電線を切るとかで電力供給を絶ったところで、手動では基本的に内側からしか開けられませんし」
「それなら父親が内側から……」
「開くでしょうね、そりゃ。しかしそれはもう我々の管轄外であるとしか。ご契約者様ご自身の意思で当社の保障を逸脱する行為を選択したわけですから。百歩譲ってそうだとしても一分しかないんですよ。少々無理な仮説に思えますがねえ」
広報課長が念を押すことには、仮に被害者の会社役員が自分で鍵を開けたのだとすれば、そこから先で何が起きたって知らんよ、ということであった。
「そちらのご立場はよくわかりました」
ロボがかすかに嘆息しつつ、広報課長らが用意してくれた資料を閉じた。帰りそうな雰囲気を察してKもロボにならった。広報課長は組んだ手をテーブルに乗せた姿勢でうやうやしく黙礼した。
「しかしぼくらにだって未練な意地というものがあります。これでご飯食べているんですから、はいそうですかとものわかりよく帰るわけにはいきません」
家に帰りつく時刻を計算しかけていたKにはロボの意気込みが若干うっとうしくも感じられたが、別の一面としてはせっかくの休日をいささかでも実りのあるものにしたいという気持ちもなくはなかった。
「こういうのはどうでしょうか。犯人がわずか一分のあいだに被害者を殺害できることをぼくらはこれからがんばって検証してみせます。もしそれに成功したなら……しなたら、ご褒美としてログのことは多少まけてくれませんか」
「ギブアンドテイクってやつですね。宿題遅れて草むしりするみたいな」
ロボはなんか変なことをいいだした。Kもその提案が全く妥当なものであると思っているようだった。広報課長は想像を絶する頓珍漢な、駆け引きと呼ぶことすらはばかれるゆすりたかりに言葉を失った。最近の若い連中の程度というのはこんなものかと仰天し、これからは課の若い連中に過度の期待を抱かない方がいいのだろうかと人知れず悩みを抱えるハメになった。
「ちょっと……その、おっしゃる意味がよくわかりませんが……」
「いいですか、人が死んでいるんです。少しぐらい情けをかけてくれたっていいじゃなですか」
この若い刑事は少し前に「人が死んだだけ」などとうそぶいたことをもうわすれていた。
「我々としては、はあ、事実を申し上げているだけです。ないものはないですし、おまけってあなた……、言葉はよくありませんが捏造するわけにもいかんでしょう」
「ぼくは警察官なっていろんな人といろんな犯罪を見聞きしてきました。おなじような罪状でも罰が重くなったり軽くなったりするんです。情状酌量だとか改悛の情だとか……。だれしも顔にも口にも出さずともいろんな事情があるんですよ。人間は1か0かじゃあないんです。いいや、さる高名な数学者はいみじくもこう述べています、数学は情緒だ、と。いわんや無秩序な人間社会をや、じゃないですか」
ロボは身振り手振りまで交えて熱っぽく語った。Kは「意味はわからないけど、だからこそこの人は何か高尚なことをいっているに違いない」と正体不明な感銘を受けた。対して広報課長は「こいつは自分でも何をいっているのかよくわかっていないが勢いと雰囲気で押し切ろうとしているらしい」と読んでけっこうしらけて露骨に首をかしげて見せた。しかしまあ、事実、広報課長の見立てどおりであったからしかたがない。
「ともかく、ぼくらはぼくらなりにいまできることを粛々進めていきますんで、今日はこのあたりにしましょうか。近いうちに朗報をお伝えできればと思います」
ロボは冷めきったお茶をぐいっとあおり、あいまいな会釈をしながら席を立った。Kには話の論理展開がまるで理解できていなかったのだが、大人たちのあいだではしっかりと話がついたらしいと安心していた。広報課長は今度あの二人組がうちに来やがったら絶対ほかの人間に対応させようと心に決めてため息をついた。今日ぐらいは早く帰ってもバチは当たるまい。
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