第1話の5

 帰り道、シロは村で唯一の食堂を通りがかった。


「シロ!」


 その食堂から自分を呼ぶ声がした。入り口の階段を上がって中には入らず、左に伸びるテラス席からエリとプリムが手を振っている。


「久し振り!」


 テラスからプリムが飛び降りてきた。その拍子に背中まで伸びた茜色の髪と、深緑色のベレー帽が大きく揺れて、彼女は慌ててそれを抑えた。


 抑えた左腕に巻き付けられた首飾りが、曇り空の下で控えめに光る。


 駆け寄ってくるプリムを見ながら、近付くにつれ小さく見える物体も珍しいな、とシロは思った。息を切らせて目の前に立つプリムは、身長が自分の胸までしかない。


 確か自己申告では20歳だったはずだ。歳上に偽る理由が未だにわからない。


「新作を持ってきた! さあ読んで!」


 プリムはテラス席にシロを引っ張り込んでいく。シロは慌てて店の出入り口からタワミカンジュースを注文した。空腹ではないが何か注文しないとバツが悪い。


 プリムは自分の隣にシロを座らせる、その隣で、エリはプリムの持ってきた紙の束に目を落としていた。


「プリム、今回のマンガもすっごく面白いよ」


「エリはいつも面白いって言ってくれるから好きだ」


 プリムはエリをオアシスのように見る。その目の前でエリは、シロにプリムのマンガを手渡した。


「ちょ、ちょっと待って!」


 シロが読もうとするのを止め、プリムは胸に手を当てて深呼吸した。


「どうした?」


「シロの批評は鋭いから、覚悟を決めてる」


「そんなに緊張するなら見せない方が……」


「褒めてもらうのも批評されるのも大事」


 プリムは深呼吸を続ける。シロは運ばれてきたジュースを一口飲んだ。冷たくて爽やかで、夏の匂いがした。


 ジュースを半分ほど飲み、エリと昼食の話をしていると、プリムはやっと覚悟を決めてシロを見た。


「……よし、さあ読んで」


「いつも大変だなプリムは……」


 真剣な表情で構えるプリムの前で、シロはマンガに目を通した。


 相変わらず絵は上手いな……と思いながら読み進める。ストーリーは人間と魔族、双方の異世界転生者の視点から描いた英雄譚だった。


 彼らはそれぞれの陣営から旅立ち、大したことない障害をスキルで容易く突破し、旅の節々で関わりながらも約束の地で最終決戦を迎える。


 そして人間と魔族、二人の英雄のスキルによって世界は平和になった。


「……あのな、プリム」


「はい」


「ちょっと言いにくいんだけど……絵はいつも通り上手いんだけどさ」


「忌憚のない意見を」


 ずいっ、と顔を近付けるプリムに怯みながら、シロは言葉を選ぶ。


「何と言うか、この話をこの枚数でまとめるのは難しいんじゃないかな。沢山の人生が交差する物語って、それなりに長くないと入れ込めないし」


「な、なるほど」


「あと、主人公の二人が最後に結託するのもよくわからない。性格的に仲良くなれそうに見えない」


「そ、そう、かな……」


「全体の雰囲気も重いのか軽いのかよくわからないから、読んでて戸惑う」


「……う……う……」


「それに物語の進行がスキルありきなのも鼻につく。そのスキル持ってるなら誰でも良いってことだろ」


「……うわあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 エリは自分とプリムの飲み物を、シロは自分のそれに加えてマンガをテーブルから離した。


 次の瞬間にプリムはテーブルをひっくり返した。テーブルは宙を舞って店の外に落ち、プリムはテラスの床でおいおいと泣き出す。


「だって! だって! 転生者に聞いたら異世界ではそれがすごく流行ってるって言われたんだもん! 何描いても読んでもらえるって言われたんだもん!」


「ああ、よしよし、泣かないで…………シロ!」


 プリムを胸に抱いてあやしながら、エリはシロを責めた。


「プリムは繊細なんだから、ひどいこと言わないで!」


「……まあ、繊細? かもしれないけど……」


 シロはエリの胸で泣くプリムを見る。よく見るとエリの胸にぐりぐりと顔をこすりつけている。


「忌憚のない意見をって言われたから」


「それでも、まずは面白いって言うの!」


「悲しくなるからやめて」


 エリの胸から離れ、プリムは涙を拭ってそう言った。


「でも参考になった。ありがとう」


「早く仕上げたいのはわかるけど、もう少し我慢して話を考えた方がいいな」


「ほう」


「あと、絵が上手いのに構図が普通なんだよ。特別穿った構図じゃなくてもいいから、凡庸じゃない、それでいて自然で読みやすい構図で描かないと」


「なるほど」


 プリムは紙を取り出し、床に這いつくばってメモをとり始めた。


 シロとエリは飛んでいったテーブルを拾って元に戻す。食堂の店主は大きな音に一応顔を出したが、いつものことだと確認すると中に引っ込んでいった。


 元の位置に正されたテーブルにつくと、すっかり落ち着いたプリムはシロに言った。


「でもシロ……さっきの感想の一つなんだけど、単純にスキルの存在が気に入らないだけ、そうでしょ?」


「それは否定できない」


 正直だねえ、とエリがジュースを飲み干しながら言った。


「だって、スキルは無いのが普通だろ」


「プリムたち人間はね。一部例外はいるけど」


「……転生者でもスキルの無い人はいる」


「『能無し』のこと?」


 プリムの言葉に、エリは心配そうな視線をシロに向けた。


「そうだ。そんな人達は、『特別なスキルで何でも解決!』って言われてもピンと来ないだろ? プリムは誰が読んでも面白いマンガを描くんだろ?」


 プリムは塩に浸かった青菜のようになる。しかし、何かを閃いてきらりと目を光らせた。


「じゃあ今度は、何の特技も無い男がある日異世界転生して凄いスキルに目覚めて性格も姿形も何もかも変わって武勲と伝説を打ち立てるマンガにする!」


「俺の話聞いてた?」


「誰が読んでも元気出るようなやつ!」


「だからそれ元気出ないからな」


 話を聞かずマンガを描き殴るプリムにシロは呆れ、エリは眩しそうにそれを見守る。


「私は、プリムがいつも腕に巻いている首飾りが気になるけどな」


 プリムは手を止めて左腕を見る。手首から肘の間にかけて、金の鎖に繋がれた真紅の宝石が輝いている。


「家の者がうるさいから仕方なくつけてるんだよ」


「でも、秘密がありそう」


「無いと思うけどな。ただの世襲だから」


 うんざりしたように言い、プリムは創作活動を再開したのだった。

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