恋に落ちる。

 おかしな話かもしれないけれど、私は高野からなかなかリアクションが返って来ない時点から、すでに彼に恋していたような気がする。


 あのヘンテコなプロフィールと、写真の中の「何考えてるのかわからない」と評判を取ってるらしい愛想のない風貌だけで?

 いや、すぐに寄って来ずに悠然と泳いでいる魚だから、捕まえたくなったってこと?


 ひげを生やしてるところと、太めだという体型が私にとっての高ポイントだったことは間違いないけれど、それにしても、この惹かれ方は自分でも不思議だった。


 その後、一、二回やり取りすると、高野がたまたま仕事で私の住む市まで来るから、顔合わせする時間くらいは取れると思うと言ってきた。もちろん、ぜひにとお願いした。


 高野は教師をしている。二月の最初の日曜日、午後からの業界の会合が終わったあとというタイミングで、その近くの喫茶店で二人でお茶を飲んだ。


 席に落ち着くと、バレンタインにはまだ早いものの、当日に会えるわけもないと思って用意してきた、控えめな大きさのチョコレートの包みを渡した。

「会ってくれたお礼もかねて」と言うと、「実は昨日が誕生日で……そのプレゼントをもらったみたいだな」とすんなり受け取ってくれた。


 その包みをカバンにしまうと、彼はもっと大きな包みを出して私に差し出して言った。

「地元名物のお菓子。お土産です」


「あ、なんか私の方が大きいものもらってしまって、すみません」と恐縮すると、「値段はそちらの方が高いかもしれませんよ。これは大したもんじゃないので」と言う。偶然ではあるけれど、こんなふうに初日にお互い何かを渡し合うのは初めてのことだった。


「週末にお仕事なんて、先生って大変なんですね」

 透明なポットに入ったハーブティをカップに注ぎながら、私は言った。待ち合わせ場所からここに来るまで交わした会話で、偶然にも二人とも同じ大学の出身だったことがわかり、すでに多少は打ち解けた雰囲気になっている。


「平日は授業があるから、会議だとか研修だとか、そういうのは全部週末なんですよ」

 高野は難しい名前の中国茶を飲みながら言った。たまたま目について入った店だったけれど、メニューに珍しいお茶がたくさん並んでいるだけあって、店内にも透明な容器に入った茶葉がたくさんディスプレイされている。見ているだけで楽しい。


「高野、けっこう人気あるんじゃないですか?」

 いたずらっぽく訊いてみた。

「いやぁ、こんな体型だし、物好きな女子が『クマちゃん』とか言って寄ってくることはあるけど、いわゆる人気があるというのとは違いますね」

 そう言って、高野はふっと笑った。


 わ、笑ってくれた! それに、笑顔がすごくいい感じ!!


 ギャップ萌えというのかわからないけれど、間違いなく私の心は射抜かれてしまった。


「時々、自分が催眠術師じゃないかと思うこともあって……。授業中、気づくとけっこうみんな寝てるんですよね」


 おもしろい……。本人は自嘲気味にニヒルなことを言ったつもりみたいだったけれど、私は高野の中にあるユーモアセンスを垣間見た気がして、プロフィールから感じた面白みは間違いじゃなかったと確信した。


 ただ、自分からどんどん話すタイプでないのは本当で、話し方も静かで、多少緊張してるようにも見えた。

 そういう意味でも、あまり長い時間は耐えられないだろうと思ったし、もともと仕事で疲れてもいるだろうし、今日これから遠い街まで電車で帰らなければならないという彼を気づかって、初回としてはお茶だけにしておこうと考えた。


 となると、次回の約束をどうするか。

 彼は、どう見ても受け身のスタンスだ。こういう時の私も、臆病だ。すっかり彼を好ましく感じてしまっているので、断られたらどうしようと思うとなかなか言い出せない。

 彼が入っているというアマチュアオーケストラの話を聞きながら、私は逡巡していた。


「帰りの電車は、何時ですか?」

 取っ掛かりとしてそんな質問を思いついて訊くと、「まだ決めてないんですけど、まあ、そろそろ駅に向かった方がいいかな」とあっさりお開きが告げられてしまった。


 そのとたん、もっと話していたい、もっと彼の穏やかながら時々シャープに響く声を聞いていたいという思いでいっぱいになって、どうしていいかわからなくなる。次回につながる何かを言わなくちゃならないのに。


 そうだ、駅まで送って行こう。その道すがら、何がしかの約束を取り付けよう。とりあえず、焦る気持ちを鎮めながらカップに残ったお茶を飲もうした時、彼が口を開いた。


「あの、実は次の次の土曜日に、またこっちの方に来る用事があって。よかったら、それにつき合ってもらえます?」


 頭に電気が走ったような衝撃を感じて、私は慌ててカップをソーサーに置いた。


 えっ!? 今、向こうから誘ってくれたの!?


 これまでの婚活で、こんなことあっただろうか。いや、うれしかったり舞い上がったりした場面はいくつかあった。でも、今の私は、まるで中学生のようにドキドキして、たぶん顔も赤くなっているのでは? 彼にそうと悟られたりしたら恥ずかしい。


 婚活の海がどうのこうのと百戦錬磨でやってきて、擦れっ枯らしのようになった自分の中に、こんな純な感覚が残っていたのかと驚いた。


 私は完全に、高野に恋をしていた。



 それからも、お互いそれなりに多忙な中、何度かメールをやり取りし、その日の出来事や思うところを伝え合った。高野からの返事は私に比べると遅い。けれど、次々と畳み掛けられるよりはずっとよかった。


 高野は曲がったことが嫌いで、時にそれで周りと衝突することもあるようで、そういう面を知れば知るほどクセモノ感も増してくるのだけど、そんな自分のことを包み隠さず話してくれることがうれしくもあり、私は心からメールを楽しんでいた。



 二月には、馬場とは会う機会がなかった。

 その代わり、SNSで見つけた小学校時代からの同級生が海外から一時帰国したのに合わせて、彼の友だちも交えて三人で会った。

 彼は大山、友だちの方は沢井と言った。沢井と私がたまたま同じ界隈に住んでいたため、その近所の居酒屋が再会の場となった。

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