自信のないオンナ。
『エクリチュールを越えて』
「北沢さん、お待たせしてごめんなさい。
二人の間に誤解があるようなので、
まずはそこを解いていかなければなりませんね」
——私には、川崎の方が勝手に誤解してるだけだと思えるのだが。
「貴女はもっと自信を持つべきなのです。
僕は、図々しいアラサーに比べて、奥ゆかしいとも言える貴女を、
守ってあげたいと思っています。
今は、なんでも男女同権とかまびすしい時代ですが、
女性が弱いところがあるのは認めなければならないし、
男性はどうしても強くあらねばならないところがある。
そうやって、男女の歴史が作られてきたのですよ。
貴女は、なかなか男性に甘えることができない人なのでしょうね。
でも、僕から見て、年上なのに貴女はかわいげがあると感じました。
だから、僕は貴女の力になってあげたいとも思いました。
僕なら、貴女に自信を持たせてあげられます。
きっと、これまでの自信のない人生を卒業できますよ」
——この前から私のことを「自信がないオンナ」呼ばわりしてくるのだけど、こんなにそこをつつかれるほど特別なことを言った覚えが私にはなかった。婚活が不調だったことを書いた時に、チラッとそれらしいことを言ったくらいじゃないかと思うのだけど……。
それより、自信を持たせることと、守ってあげたいと思うことがどう繋がると言うのだろう?
「それから、この前お会いした時に、
もっと貴女の話を聞いてあげるべきでしたね。
そこは反省しています。
貴女がふだん聞き役に回ることが多いと言っていたのも、
自分に自信がないからなんじゃないですか?
女性は、話を聞いてもらいたい生き物ですね。
貴女は違うかもしれませんが、
一般的には延々と愚痴を言うのが女性です。
彼女らはアドバイスや答えがほしいわけじゃないんですよ。
やるせない状況をわかってほしいだけだったり、
ひどい時は、自分の正当性を主張して、
責めの抑圧から解放されたいのです。
僕は男性からも女性からもよく相談をされますが、
愚痴を言いたいだけの人は、僕が瞬時に答えを出してやると、嫌な顔をする。
ただ話を聞いてくれるだけの人が好きだって、女性はよく言いますよね。
僕の勘では、そういう人は自己愛が強いんでしょうね。
人間誰しも、自分はかわいいものです。
でも、度が過ぎると問題です」
——内容もさることながら、この話が私とどういう関係があるのかさっぱりわからない。
自分は話を聞いてあげることができるってアピールなのか?
「会話とは、本来ダイアローグです。
女性は、それができないことが多いです。
人類がせっかく言葉というツールを手に入れたのに、
使いこなしてない女性が多い。
敬語の使い方にはうるさいのに、
肝心の言葉のキャッチボールをしようとしない。
まあ、敬語の使い方も教養のうちだから、
身につけた努力は認めるけどね(笑)。
結局、女性は共感がほしいのですね。
今はストレス社会だから、くだまきたい気持ちもわかるし、
僕だって愚痴を言いたい時もあります。
共感は、単純かつ最も崇高な人間の感情なんですよ。
共感があるところには、常に『受容』という居場所が用意されている。
貴女は母親でもカウンセラーでもないのだから、
常に聞き役でいることもないのですよ。
貴女にも受容される権利があるのです。
思ってることを、何でも僕にぶつけてみてください。
貴女の心の奥には、まだ僕に見せていない秘密の部屋がありますね。
メールは行き違いのあるツールです。
疑問があってもその場で訊き返せないし、タイムラグもあるし、
齟齬が生まれやすい。
僕は、これからはできればメールよりも、電話で話したり、
もっといいのは、また直接会って話したいと思っています。
約束してなくても、僕と話したいと思ったら、
いつでもこの番号に電話をください。
貴女は番号を教えたくないようだったけど、
もう会ったから、いいのではないですか。
090—○○○○—○○○○
住まいは●●駅の近くって言ってましたね。
呼んでくれたら、すぐに車で駆けつける用意もありますよ。
僕に会いたいと思ったら、遠慮しないで連絡くださいね」
——長い。とにかく長い!
私に関係ありそうなところだけでもこれだけのボリュームで、さらに、自分が子供のころの母親との関係や、最近は男性もだんだん女々しくなってきているといった、彼独自の見解などが延々と書いてある。
支離滅裂なうえに、元のメールは誤字脱字だらけで、ますますわかりにくい。
それに、メールは齟齬が生まれると言うけど、だからって面と向かってこの話をされても、何をどう訊き返せばいいのかすら見当がつかない。彼自身が本当に自分の論旨を理解できてるのか疑ってしまう。
会いたいと思ったら連絡ください?
ということは、会いたいと思わないから連絡しなくていいってことだ。
そう判断して、とりあえず、返事をせずに放っておくことにした。
どうかこのまま、何ごともなく時間だけが過ぎますように。そして、今度こそ私を忘れてくれますように。
そう思いながら何とか仕事を終えて帰宅すると、またメールが来ていた。
『柔軟剤を入れ忘れました』
「ゆうべのメール
(さすがに書くのに時間がかかったので、
届いたのは朝方だと思いますけど)
少し難しいことばかり書き過ぎましたか?
だったら、謝ります。
会ってみてわかったと思いますけど、
僕は実際はフランクで、とても単純な人間です。
書き言葉は、気をつけなければ硬くなってしまうものですね。
だから遅ればせながら、今こうやって柔軟剤を入れました(笑)。
メールでわからないところがあったら、電話してくださいね」
川崎が、単純に理解不能なオトコであることは、もうよくわかったつもりだ。メールをもらえばもらうほど、それは明らかになっていく。
そして、齟齬を生じさせてるのは、もっぱら川崎の方だ。私からどうこうする必要はない。
だから、もちろん電話はしない。
その日は、柔軟剤のあとは音沙汰なく過ぎた。
翌日も、何もなかった。
これでやっと終わったと思っていいのだろうか。
が、さらに次の日、オフィスに着いてパソコンを開くと、夜中にメールが入っていた。
『南の島』
「北沢さん、体調悪くしてるんじゃないですよね?
貴女は仕事のし過ぎなので、少し心配しています。
あれから、居住地について考えてみました。
この歳になって、まったく土地勘もなく、知り合いもいない土地へ行くのは、
男だって勇気が要ります。
だけど、仕事さえあればいいんですよ。
貴女はコンビニの店員をする覚悟はありますか?
移住するということは、
そういうところから考えなければならないのですよ。
貴女にその覚悟があると言うなら、僕も考えないではないです。
土地は売ればいいのですから。
今後も、貴女の不安を一つずつ解決していきましょう。
どんないばらの道でも、道がある限りは歩いて行けるものです。
つらいことも、大切な人とともに乗り越えることができれば、
将来、こんなこともあったと笑って話せる時がきっと来ます。
電話でもメールでも、いつでも待ってますけど、
よかったら、また会いましょうね。
都合がよい日があったら、連絡くださいね」
土地を売る!?
私は戦慄した。体がしびれて、血が凍りついたように手が冷たくなっていくのを感じた。
まさかとは思ったけれど、こんなにも誤解と思い込みが激しく、想像を超えた言動をするオトコだ。万一、本当に先走って土地を売って、「貴女のためにここまでしましたよ」とアピールされたら大変だ。
そんなことになってから揉めるよりも、今、多少の嫌な思いをしてでも、完全に切れておくことが大事に思われた。
しかたなく、私はまたメールを送ることにした。本当にこれで最後だ。
「川崎さん、私は元気ですよ。
メールをしてなかったのは、申し訳ないですけど、
私はもう川崎さんをお断りしたつもりだったからです。
いろいろ考えてくださったところに、本当にすみませんけど、
私は川崎さんに恋愛感情を持つことができないと思うのです。
それが上手く伝わらなかったみたいで、長いメールを書かせてしまって、
申し訳なかったと思います。
お互いに、これ以上、時間をロスすることになるのもよくないですよね。
だからもう、これでやめにしませんか。
川崎さんには、きっと、年下のもっと素敵な女性がたくさんいると思います。
今日まで、本当にありがとうございました。
さようなら」
これで本当にサヨナラだ。
祈るような気持ちでメールを送信した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます