武器がない。
おばさんの言ったとおり、翌日にはもう霧島から電話が来た。そして、その週の金曜日に、三人で会うことに。場所は、またあの喫茶店だ。おばさんと霧島の会社のちょうど中間くらいに、私の間借りしているオフィスがある。
私が店内に入ると、すでにおばさんがいてコーヒーを飲んでいた。手招きして私を自分の向かいに座らせると、ほどなくして霧島も現れ、おばさんが自分の隣に彼を座らせた。
「わかってると思うけど、よく二人で話し合ってね。絶対に、二人の間には何の問題もないと思うから」
おばさんはそれだけ言うと、もう帰り支度をし始めた。
そして、「あなたねぇ、しっかりしなさいよ! いい歳なんだから。こういうのは、急がなくてもこそいいけど、オトコの方がドッシリとしてなくちゃ。ねっ!」と霧島の肩をバシンと叩いて笑った。
霧島は苦笑いしながら「はい」と答えて、お金を出そうとするおばさんを制した。
「じゃっ、遠慮なく。いい報告、待ってるわよ」
そう言い残して、おばさんは去って行った。
ちょうどよく、私たちのコーヒーが運ばれてきた。
店員が行ってしまうと、「いろいろすみませんでした」と霧島が切り出した。
「あ、いえ」と言って、私はさりげなく霧島を見た。確かに、はっきりとわかるほど痩せて、頬が削げている。顔色が青白いかどうかは、薄暗い店内ではよくわからなかった。もともと色の白いオトコだ。
「結論から言うと、実はまだ母とはちゃんと話はできてないんだ。けど、なるべく早く、北沢さんともう一度会いたいと思って」
私は拍子抜けした。ということは、今日はわざわざおばさんも交えて、単なる決意表明だったの?
「僕もね、そういうことにまったく疎くてね。その、子宮の手術っていうのも、今まで聞いたこともなかったから、母から『そんなのができる女性は、遊んでるってことだ』って言われて、ちょっとビックリしちゃってね」
遊んでる!? いろんなオトコと寝てるって意味? それとも回数の話?
今回の件では、何度も驚くような展開や言葉が飛び出してくるけど、そんなことまで?——散々な言われようだなと思った。
確かに、私は複数のオトコを知ってはいる。でも、いい歳まで未婚でいれば、つき合う相手が入れ替わることだってあるし、つき合うごとに回数もそれなりに加算されていくのだから、必然的にそうなるじゃないか。
それに、オトコは父一人しか知らないはずのうちの母だって、子宮筋腫の切除をしてる。こういうのは遺伝することもあるのだ。
でも、そんな誤解を受けて、驚きはするけど腹が立ったわけではない。
「筋腫ができるとか、昔はあまりオープンにしなかったみたいだけど、今は珍しいことじゃないし、友だちでも二人、同じ手術受けた人いますよ」と言っておいた。
「わかってる。おばさんにも言われたから。そのことでは、すごく怒られちゃったよ」と霧島は笑って、続けた。
「母にもう一度どう話すか、まだ考え中なんだけど、こうなったらこの先のことも少しでも急ぎたいと思ってる。結局、すぐにでも孫の顔が見られるとなれば、丸くおさまるんじゃないかって気がするんだ」
「すぐにでも?」
思わず、訊き返してしまった。
「いやいや、そんなプレッシャーに感じなくていいけれど」と、霧島は穏やかな笑顔を向けてきた。
「そうそう、この話もしておかなくちゃね。僕はね、以前は子供を二人くらいほしいと思ってたんだ。だけど、北沢さんの年齢のこともあるし、僕も人のこと言えない歳だし、今は一人でも十分だと思ってる。それでいいよね?」
困ったことになった。これじゃあ、一人だって自然に授かる自信がないなんて口が裂けても言えない。それに、失礼ながら、霧島もあまりそっちが強そうに見えない。こんな私たちが、やっぱりなかなか授からないとなった時に、先の保証もない不妊治療にお金や手間をかけるなんてこと、霧島の母親が受け入れられるだろうか。その前に離婚しろとか言い出すのではないか。
霧島の方にだって問題がないとは限らない。でも、これまでの様子だと、この世に当たり前にある男性不妊なんぞも彼女は知らないだろう。きっと、もっと若いオンナを妻合わせさえすれば、息子はすぐに子を持てるはずだと思って、何のためらいもなく私を切り捨てそうだ。
「私、そんなにすぐに妊娠できる自信ないです」
気づくと、もうそう言ってしまっていた。言ってから、早まったかと思って霧島を見ると、あからさまに表情を曇らせている。やっぱりまずかったようだ。
「それは? どういうこと? 大丈夫、産めるからって言ってたよね?」
怒っているわけではない。単に理解ができないというような戸惑い方だ。
「あの、変な話ですけど」と、私は声を潜めた。
「受精して着床して妊娠成立となることと、妊娠を継続して胎児を育てることと、出産することと、それぞれ別なんです」
霧島はキョトンとしている。
「私が大丈夫だとお医者さんから言われてるのは、後ろの二段階の話で、最初の段階の……つまり、すんなりできるかどうかは何の保証もないってことです」
何とか理解しようとしてくれてるのか、霧島は眉根を寄せながら喫茶店のシートの背もたれにドスンと身を預けると、腕組みをしたまましばし黙り込んだ。
私は、説明したことが霧島のインテリジェンスにしみ込んでくれることを祈りながら、レスポンスを待った。
「母がなんて言うかな」
やっと返ってきた言葉は、それだった。
お母さん? そうじゃなくて、霧島さん自身はどう思うの?
それでも私のことを好いてくれるなら、いっしょにいろいろ乗り越えていこうって思ってくれるんじゃないの?
霧島とのこれまでのことで、私は初めて涙が出そうになった。
この人は、母親と私を天秤にかけている。そんなことする時点で、この人が母親を説得するなんて、無理なんじゃないかと思えた。
かろうじて涙を堪えていると、案の定、裁断が下された。
「うん、やっぱり、やり直すのはやめた方がいいかな……」
妙にあっさりと割り切った言い方だった。
それを聞いて、私の頭に浮かんだのは私には何もないという言葉だった。
そもそも私は、特別な美貌とか、財産とか、唯一無二の才能とか、あるいは若さとか、泣く子も黙るような絶対的な武器は持ってない。私は、私の人間性を好きになってもらうしかないのだ。
だけど、私という人間をあんなに好いてくれた目の前のオトコが、結婚は駄目だと言っている。だったら、私はこれから何を武器に闘えばいいの? 人間性で勝負させてもらえないなら、私にはもう何もない。
もちろん、彼は私の人間性を否定したわけではない。でも、それよりもっとひどい、「私の存在そのものが、価値のないものとして否定された」ような気分だった。
そして、はっきりと自分が傷ついたのを感じた。
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