弱点。
どうせ、これで最後なんだ。そう思って、ずっと聞いてみたかったことを訊いた。
「霧島さん、どうして私と結婚してくれようと思ったんですか?」
一瞬、黙考するようなそぶりをしてから、霧島はこう言った。
「北沢さんとずっといっしょに絵画を見たりできたら、僕の人生は一生楽しいだろうな、って思ったんだ」
それを聞いて、なんて素敵な言葉だろうと思った。
でも、この人はその思いを手放したのだ。それが母親のためだというなら、もう何も言うことはない。少なくとも、ほかのオンナに恋愛で負けたのではない。価値観の相違、みたいなものだ。
あんなにキラキラした目で霧島が私を見ることは、もうないんだなと思うと、やっぱり切ないような虚しいような気がした。
恋するトキメキって、伝播するものなんだ。その熱に、私もすっかり浮かされていた。でも今、目の前にいる霧島からは、何も伝わってこない。彼の中でも、もう終わったのだろう。
「傷つけて、ごめん」
最後に霧島が言ったのは、聞いたことがないくらいストレートな言葉だった。
私を傷つけたと思ってるの? つまり、傷つけるとわかっていて、その反対の選択をしなかったということでしょう? そんなの、謝られたらよけい悲しいよ。
「傷ついてなんかないですよ。ほんとの理由を知った時はちょっとショックだったけど、今さらまた傷ついたりしないです」
言ってて、また涙が出そうになる。
それなのに、霧島は安堵するような表情になった。彼には、驚かされることばかりだ。私が傷ついてないと言ったのは、人を傷つけたかもしれないことに自ら傷ついている彼を、ちょっと慰めただけ。でも、そういう気遣いが霧島にはわからないということだ。
きっと、彼とは結婚しないことになってよかったのだ。
「元気で」
「そちらも。いろいろありがとうございました」
そう言って、私たちは別れた。
こんな展開を予想せずにいた私は、そのあとオフィスに戻るつもりでいた。
けれど、止めていた涙が今になってどんどん溢れてきて、とてもじゃないけど戻れない。
店を出ると、そのままビルの化粧室に飛び込んだ。
傷ついてないなんて嘘だ。本当は、一カ月前のあの時からずっと傷ついていた。
好かれて、放下されて傷ついて、揺り戻されてまた傷ついて。同じオトコ相手に、二度も傷つくことになるなんて。
この婚活の荒海で、誰かが私の頭をこれでもかこれでもかと何度も海中に沈めようと踏みつけてくる。
そのことにも絶望していた。
人間性に問題がなくても駄目だと言われた、たった身一つの私。こんなにも頼りない、存在価値がないと否定された体を抱えて、それを自ら救う術もなく、いよいよ死にかけている。
ネガティブな思いに取り巻かれ、化粧室の個室でいつまでも泣いた。
一週間後。
私は、保険のおばさんとまた会った。彼とのことはもう伝えている。
「あんなんじゃぁ、駄目ね。結婚したら苦労する。しなくてよかったわよ。北沢さんにかわいそうな思いをさせちゃって、悪かったと思ってるわ」
おばさんはそう言った。
今日は、おばさんと保険の契約をするのだ。
紹介はこんなことになったけれど、おばさんは本当に親身に世話を焼いてくれた。勧めてくれた保険も、いま入っているものよりも内容がよく、掛け替えるにはちょうどいいと思ったので、お礼も兼ねてそうすることにした。
おばさんは、またいいオトコを紹介すると約束してくれた。
「女親がうるさくなさそうな人がいいわよね」と言うので、「そんなこと、最初からどうやってわかるんですか?」と訊くと、そうねと渋い顔をした。
その日の帰り、自宅の近所で犬の散歩をしてる人に出くわした。このへんでは、けっこうな確率で見かける光景だ。そのたびに私は、こちらに関心を向けてくる犬に笑顔で応え、霧島のなんとかいう小型犬を散歩させてる自分を想像したりしていたものだ。
でも、やっぱり犬じゃない。私はねこの方が好きだ。
心の中でそう叫んで、寄ってくる犬を黙ってよけた。
ちなみに、おばさんは、そのあと一年もせずに保険の外交をやめた。もちろん、もう紹介もなかった。
霧島とのことは、時間が経ってみれば、イヤな目に遭っちゃったな、という災難のような出来事だった。相手の親の反対なんて、冷静に考えればよくある話だ。
一方、ここまでで、子供の件は私にとって致命的にデリケートで、婚活においての弱点なんだということがよくわかった。絶対に作らないと言われたら嫌なのに、ぜひとも作りたい、すぐにでも作ろうと言われても困る。矛盾したような複雑な思いが絡んでいる。
結局また婚活の海に戻された私は、瀕死の状態ながらかろうじて生きながらえていた。あの化粧室で延々と泣いて以来、涙は出なかったけど、しばらくは放心したように波に漂い、ぼぅっとしていた。
季節はいつしか夏になり、私は出会いドットコム内の年代別地域コミュニティに登録した。オフ会という名の合コンのようなものに参加するためだ。
当日は、ハンドルネームを胸に付けて、私の五歳年下から五歳年上までの男女が二十人くらいビアガーデンに集った。
その中で仲良くなったある女性が、私に自分の友だちを紹介したいと言ってきた。後日、会わせてもらったのだが、運送業に携わるやさしそうなそのオトコを、やっぱりこちらから断ってしまった。私は同じような仕事をしてる人と、同じ土俵で戦友のように話して盛り上がるのが好きなんだろうとあらためて確認したことになる。
ただ、かなりのおすすめだという人を断ったことで、その紹介者の女性が怒ってしまった。そんなにおすすめなら、どうしてあなたがつき合わないんですか? と訊いたら、「私にとって彼はLIKEであって、LOVEじゃないの」と言う。私だって、彼はLIKEだ。
LOVEになれないからって責められるなんて……本当に面倒くさい。人からの紹介が不調続きで、しばらくは人を介するのはやめることにした。
そして、活動の隙間を埋めるため、私はまたネット婚活に逃げ込んだ。
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