リベンジマッチ

腐れ縁。

 達也は大学の同級生で、二回つき合って二回別れたオトコだ。


 学生時代は顔見知り程度で、私はむしろ、彼がつるんでいた男子——吉田と仲が良かった。吉田とはどうこうなることもなかったけれど、好意を持ってくれてることは知っていた。誕生日に大きな花束をくれたこともある。


 私と吉田は、卒業してからも年に何度か連絡を取っていた。たいていは電話で近況を話すだけだったけれど、たまには飲みに行ったり、縁結びのつもりで私が友だちを紹介したりしたこともあった。


 そして、三十四歳くらいの時だったか。

 吉田の方から飲みに行こうと誘ってきたことがあった。彼の職場の近くのダイニングバーで食べて飲んで盛り上がって、一時間近くが経ったころ、吉田が突然、私の肩越しに「おぉ」と片手を上げ、誰かを手招きした。


 振り返って視線をやると、客席の間をすり抜けて向かってくるオトコの姿が目に飛び込んできた。それを達也だと認識したとたん、頭の中で大きな教会の鐘がようなガランという音が響き、私はその衝撃で、一瞬グラリとめまいを感じた。


「いや〜、久しぶり」と達也が笑顔でこっちを見る。

 私は我に返り、思いがけない人物の登場に「なんで!?」とひたすら驚いていた。


「この前、街中で偶然会ってさ。お前も来いよって言っといたんだよ。真奈絵ちゃんには、ビックリさせようと思って黙ってた」と吉田が言った。


 達也に会ったのは卒業以来だった。


 思い出話に花を咲かせ、最高に楽しい時間を過ごしたあと、当たり前のようにまた会おうという話になった。今度は学生時代に吉田と達也とつるんでいたもう一人の男子も誘うことにした。吉田が彼と連絡を取って都合を聞き、店を決めて、それを私に伝え、私が達也に伝えるということになった。


 そして後日、その件で電話をした際に、達也が言ったのだ。

「あのさ、その前に二人きりで会わない?」と。


 同じ週の週末に私たちは二人で会い、数週間後に四人の飲み会をやった時には、もう深い関係になっていた。何も知らない吉田たちを向こうに回して、二人で秘密を共有していることで、私たちのテンションは妙に高かった。


 達也は、高校時代に弱小の野球部で甲子園を目指し、大学では準硬式野球同好会に入っていた。文武両道で頭もものすごくいいが、基本的には明るく屈託のない性格で、お茶目で面白いところがある。話題も豊富で、私たちはいつも飽きることなくしゃべっては笑い合っていた。

 本人によると、仕事好きで時間も気持ちも余裕がなかったせいで、それまで女性経験は一人しかなかったらしいが、私とつき合い出すと持ち前の探究心を総動員して見る見るセックスもうまくなった。


 もっと若いころの盲滅法な恋愛は別にして、私が自然と結婚を意識した相手は達也が初めてだった。


 にもかかわらず、ほぼ一年で私たちは別れた。

 資格試験を控えていた彼が、試験が近づくにつれて私を疎んじるようになり、耐え切れなくなった私が「今後のこと」をどう考えているのか問い質したせいだ。


「今それを訊かれたら、白紙としか言えない。試験で頭がいっぱいだし」

 達也の答えを聞いて、失敗したと思った。まだ、それを問い質す時ではなかったのだ。

 そして、それ以上に、彼の次の言葉で私は完全に打ち砕かれた。

「北沢さんと俺って、合わないよね。この先のことを考えたとしても、北沢さんは子供がほしいみたいだけど、俺、子供作りたくないし。そこは絶対に変わらないから、もう今から別々に進んだ方がいいのかもね」


 子供嫌いなのは聞いていた。だけど、いつか変わってくれるとも思っていた。


 その問いかけのせいでいきなり別れることになるなんて、不意打ちを食らったようなもので、受けたダメージもかなり大きかったけれど、追いすがって彼の邪魔をするのは嫌だった。せめて、いいオンナという印象だけでも残そうと見栄を張って、私は黙って引き下がることにした。


 そう決めたら、あとはこっちの問題。自分の気持ちと闘うだけだ。

 私は、彼を忘れ、痛みを和らげるために、以前、彼が何度か言っていた子供が嫌いな理由を思い出しながら、それを根拠に彼の人間性を否定しようと試みた。


 そして、月日を経てようやく「そんな人とは別れてよかったんだ」と思い始めたころ、突然、達也から会いたいと連絡があった。


——会いに行ったのは、単純に彼がどんな顔をして来て、何を言うのかに興味があったからだ。


 食事をしながら、別れてからの近況を聞いた。試験に受かり、そのおかげで昇格のチャンスができたこと。でも、落ち着いてみたらさびしくて、私のことばかり考えていたこと。


 私が必死で彼を忘れようとしていた時、彼は私のことを考えていたのだ。

 一年近くの間に、私たちのベクトルはお互いに逆向きになっていた。


 その日の帰り道、ふつうに世間話をしながら歩いていると、話の切れ目に達也がふと「俺、馬鹿だよな」と言って立ち止まった。

 私は何も言わず、そのまま歩き続けた。すると、達也は後ろから抱きついてきてこう言った。

「どうしてあの時、もっと北沢さんを大事にしなかったんだろうって後悔してるんだよ」

 私は、彼が体を離すまでなすがままで黙っていた。


「俺たち、お互いに嫌いになって別れたわけじゃなかったもんな」

 その言葉に、私は苦笑した。人の気も知らないで、ずいぶん勝手だこと、と。


 別れしなに「またよかったら、飲みに行こうよ」と言われて頷いたものの、私の気持ちは冷めたままだった。けれど、彼が本気で撚りを戻したいのなら、そして、もう一度、いいとも思った。


 自分からは積極的に動かないけれど、彼つき合いながら様子を見る。と決めたのだ。


 それからほどなくしてまた飲みに行き、私とすぐにも寝たがっている彼を去なして、「今度、温泉でも行こう」という誘いにも、そのうちねと曖昧な返事をしたさらに数日後。

 達也から電話がかかってきた。


「今週末、空けておいて。前に行きたがっていた温泉、予約したから」


 私は唖然とした。

 私の都合は? いや、私の気持ちは?


「そんな急に言われても、ほいほい行けるわけないでしょ」

「だって、前から行きたがってたところだよ?」

「どうして、先に都合を訊いてくれないの?」

「サプライズしたかったんだもん」


 気持ちはわからないでもないけど、先走るにもほどがある。居酒屋の予約じゃないんだから。


「とにかくごめん、もう予約しちゃったから何とかしてよね」

「悪いけど、ほんとに無理だよ。私、この週末は生理だから」

「え、そうなの? ……じゃあ、いいよ。キャンセルしとくから」


 ふてくされたような余韻を残して、ブツッと電話が切れた。

 

 お泊まりすれば、自動的にまた寝れると思ったのだろう。寝てしまえばもうこっちのもので、私の気持ちと二人の関係が簡単に元に戻るとでも思ったのだろう。

 達也の考えが透けて見えて、腹が立った。


 もう一度ていねいに時間を重ねて、一から好きにならせてくれるのでなければ無理だ。それからでないと、寝ることなんてできない。彼の強引さのせいで、気持ちは一からプラスしていくどころか、思いっ切りマイナス方向へ引いてしまった。


 その後、当然リベンジしてくるのだろうと思ったけれど、それきり連絡は来ず。いかにもアッサリしたものだった。

 その程度のものだったの? と、面白くない気持ちも残った。



——それから、さらに三年以上が経っている。


 黒田と会わなくなってからの半年、ほとんど惰性で婚活サイト上のやり取りは続けていたものの、実際に会うところまで行った人はいない。

 そんなんで相変わらず先は見えず、私の毎日は気持ちも何もかもが停滞しているような状態だった。


 そんなある日の夕方、オフィスで資料を読んでいると、知らない番号から着信があった。仕事関係かもしれないので、こういう場合も一応出ることにしている私は、ボタンを押して「もしもし」と事務的に言った。


「おっ、北沢さん? 番号変わってなくてよかったよ」


 電話の主は達也だった。

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