三度目の正直。

「久しぶり。何年になるかな」


 驚きのあまり、私がまだ一言も発してないことに気づかないかのように、達也は続けた。


「元気だった?」


 黒田も転勤し、ようやく元気になりかけてはいたけれど、明るく答える気分でもなかった。

「特別元気ってわけじゃないけど、まあ、何とか生きてるよ」


 私の答えに「なんだよ、それ」と笑ったあと、達也はさらりと言った。


「あのさ、飲みに行かない?」



 その日の夜、オープンして間もないきれいな居酒屋のボックス席で、私と達也は乾杯した。


「で、どうしたの? ずいぶん突然じゃない。ひょっとして、結婚でもするとか?……あ、もうしちゃった!?」


 一口目のビールを切れ目なくのどに流し込みながら、達也はジョッキ越しにチラッと私を見た。そして、やっと区切りを付けると、「まさか」と言いながらジョッキを置いた。


「逆だよ」


「逆? 何それ?」

「北沢さんこそ。あ、まだ名字が変わってない前提で話してるけどさ、さんでいいの?」

「おかげさまで、まだ北沢さんですけど、悪い?」と、私は挑むように言った。


 アハハと笑ってから、達也は「相変わらず、おもしろいね」と言って、おしぼりで口元を拭った。

 それからもう一度ジョッキに手をかけて、泡の具合でも確かめるようにじっと視線を注ぎながら言った。


「こっちも全然。結婚なんてしてないよ。俺、やっぱり北沢さんがいいんだよ」


 ふぅん。


 それが私の感想だった。


 達也が続ける。

「実はね、あれからほかの人とつき合ってみたこともあったんだけどさ、どうしても比べちゃうんだよ、北沢さんと」


 ふぅん。


「どうだろ。もういい歳だし、俺たち、もう一度考えてみない?」


 私は黙ってテーブルの上の梅酒ソーダを見つめ、次々と上っては消える気泡を数えるように目で追っていた。


「ダメか、やっぱり」

 自分に言い聞かせるように呟いて、達也はまたジョッキを持ち上げて飲もうとした。


「いいよ」

 気づくと、私の口がそう言っていた。

 達也はパッと目線を寄越すと、安心したようにニコッと笑ってビールを飲んだ。


 今、好きじゃなくていいと思った。

 かつては好きだったオトコだ。そして、向こうは私を好きらしいのだ。それでいいじゃない?

 どんなヤツかだいたいわかっているし、この先、どういうふうにやっていったらいいかも、何となく想像がつく。楽と言えば楽だ。


 一つだけ、気になることを訊いた。

「子供のことは、いいの?」


 達也は曖昧に頷くようにしてから、枝豆をさやから口に含んで急いで咀嚼し飲み込んで言った。

「基本的に、俺の考えは変わらないよ。でも、まあ、先のことだし」


 以前はあんなに激しく拒絶していたのに、少しトーンが変わったなと思った。


 私は自分が妊娠しづらいだろうと感じていた。だから、不妊治療を覚悟で、それでも子供がほしいと思っていたし、公言もしている。

 だけど、ふつうに考えても一般的に妊娠確率がぐんと下がる歳に、もうなっているのだ。挑戦するなら、かなりの困難を覚悟しなくてはならない。


「じゃあさ、こうしない? どうせ達也くんは不妊治療に協力する気なんてまったくないでしょう? それはそれでいいよ。その代わり、避妊はしないで、自然に授かったら産む。そして、達也くんは、子育てはしなくていい。これでどう?」


 最大限、譲歩したつもりだった。何が何でもほしかった子供を、運に任せるのだ。そして、夫婦二人でという理想の子育てを諦めるのだから。


「うん、まあ……」

 達也の返事は終始歯切れが悪かったけど、前みたいに全力で否定しては来ない。

 どうせ、もう歳だから授からないとでも思ってるのだろう。そうかもしれない。私もわかっている。

 でも、パートナーからはっきりと「子供はほしくない」と拒絶されるのと、運命的に授からなかったという結果に終わるのとでは、気持ち的に雲泥の差があるように思われる。


 達也はさっそく、私のことを親に話すと言う。それを踏まえて、近いうちにまた会って、結婚に向かっての具体的な話をすることになった。


 そこからはふつうに世間話をしてお開きにした。


 一人の帰り道、黒田のことを考えた。

 最近、「東京の女子社員はツンとしてて嫌だね」なんてメールを寄越していた。籍を入れるかどうかは書いてなかったけど、家族ともそれなりに楽しくやってるみたいだ。若いころに得られなかった幸せを得て、黒田の人生も変わるだろう。


 ずいぶん長期にわたった「元さや」だったんだなと思う。

 それに比べたら、私と達也は最初につき合った時から、ほんの五、六年か——。


 そして、卒業以来の再会の日に、頭の中で転がったの音のことを思い出した。

「あれってやっぱり、運命の相手に会った時に鳴るってヤツだったのかなぁ」と。



 その三日後。

 由佳子が近くに来たからと、オフィスに顔を出してくれた。

 言えば軽蔑されそうな気がして、黒田のことは由佳子に話さずにきたが、達也のことは軽く報告した。私たちの間では以前から、達也はお馴染みの話題なのだ。


 よかったじゃない! と喜んでくれたあと、由佳子がしみじみと言った。

「なるほどねぇ。やっぱり、真奈絵には達也くんだったんだねぇ」


 一回目に別れた時、由佳子は彼を「とんでもない自己チュウ野郎だ」とけちょんけちょんに貶し、二回目の温泉の話の時も「全然、成長してないじゃん!」と呆れていたもんだ。


「たぶん、達也くんの自己チュウは変わってないと思うよ?」と私は淡々と言った。


「でもさぁ、こんな長い間、真奈絵のことをずっと好きでいたわけでしょ? これはもう立派な腐れ縁だよ。案外、そういうのがいいのかもよ?」


 由佳子の言うとおりかもしれない。いいところもイヤなところも含めて彼を知り尽くしている分、会っては断ってきた未知の婚活相手のオトコたちよりアドバンテージがあるような気がする。ここまで来たら、そういう関係も貴重なことだと思えた。今度こそ、三度目の正直だ。


 次の週末に達也と会う時は、さらに具体的な話になるだろう。そしたらまた報告するねと言うと、由佳子は「おめでとう!」とハグをして帰って行った。

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