”好き” になりたい。

 結局、千春はその後すぐに婚約した。

 広島とこっちを行き来しながら、もう新居探しやらの同居の準備を進めている。年末までには完全に生活をあちらに移し、そのタイミングで籍も入れるという。千春の口座にはすでに先方から百万円が結納金の名目で振り込まれ、千春はそれで新居で必要な大小の家財を買う予定とのことだ。


 結婚式は挙げない、と言っている。それも、千春らしい。


 メールこそ彼の方から毎日来ていたらしいけれど、結婚を決めるまでに二人が直接会ったのは、おそらく片手に収まるくらいの回数しかないだろう。


「いくらなんでも、『いいかな』と思った決め手くらいはあったんでしょう?」

 私は婚約報告の電話をもらった時に千春に訊いた。


 その答えは、「そうだねぇ。いま思えば、最初のデートかなぁ。彼ね、行ったお店の悪口を一言も言わなかったの」だった。


 なに!? それはつまり? どういう意味??


 私は馬鹿みたいに食い下がった。


「なんていうか、つまりね、そういうのも含めて……彼のことを思い浮かべた時に、とりあえず『イヤなところがない』ってことかなぁ」

 千春はのんびりとそう言った。


 わかるような、わからないような。

 でもやっぱり、それだけ!? という驚きの気持ちは拭えなかった。


 だとしたら私は、それだけじゃない、何か大層なものを求め過ぎてるのだろうか?


 あの、パンケーキ屋での千春の衝撃発言を聞いた日から、さらに精力的に婚活を続けながら、私もずっと考えていた。


——千春と自分の違い。もっと言うと、すんなりと結婚してるように見える人たちと自分の違い。


 千春の言うように、イヤなところがない、というのも大前提として大事なことかもしれない。

 そして、結婚の、少なくとも入り口の段階でときめきを求めてないのであれば、それで十分なのかもしれない。


 でも、待って。

 ここもあそこも、こういうところもイヤなのに、なぜかトータルでは好き、惹かれてしまうという、理屈じゃない面も恋愛にはあるじゃないか。実際、これまでつき合った人で、イヤなところがない人なんていなかった。


 そうだ、私は好きになりたいんだ。ちゃんと恋愛がしたいんだ。

 そして、そこからの結婚がしたいと思ってきたんだ。


 そう再確認しながら、でも、だから……とまた心は揺れる。

 こんな年になって、まだこんなことを思ってるなんて、もしかしたら、女子高生並みのきれいごと言ってるってことなのだろうか? いや、今どきの女子高生に詳しいわけじゃなくて、実は私なんかより彼女たちの方がもっと達観してるのかもしれないけど……。


 どうせ何年かで愛は冷めると、多くの人が言っている。


 だとしたら、とりあえずイヤなところがない人と、少しでもいい条件で結婚するのだと割り切るのが一番賢いってこと?

 まず、結婚ありき。そこに、恋愛もついてきたらラッキーくらいな気持ちで。


 昔の人たちも、お見合いして結婚することになって、そのあとに恋愛感情を持ち始めたなんて話をしたりしてるではないか。先に恋愛を求めるからダメなのだ。しかも、数年で冷めるものなら、なおさら……。


 そう考えると、今までの私は、結婚相手としての吟味どころか、会うたびに断るポイントを探しているみたいだった、という気もしてくる。

 そんなの、粗探しといっしょじゃん。


 そうよ、いいところを探さなくちゃ。


 ん? でも、いいところって探すものなの?

 探さなくても、自然とわかるものじゃないの?


 意識してなくても自然と少しずつ惹かれていったり、ある日突然「あぁ、いいなぁ」「好きだなぁ」と気づいたりして。

 積極的な「好き」までいかないとしても、いつの間にかお互いがしっくり馴染んでるとか、あぁ、この人といると楽だなぁとか、そんな感じでもいい。


 問題は、いいところに自然と惹かれるには、ある程度の時間が必要ってことだ。

 職場でたびたび世間話をするとか、長い期間をかけて相手の仕事ぶりに接するとか、学校で同じクラスになって、黙っててもいろんな面を見る機会があるとか、そういう環境が必要なのでは?


 じゃあ、婚活で同じような環境を作るためには? ……何度も会えばいいの?


 でも、そもそも私は、未知数の人に時間をかけるほどの余裕がないと思ってしまっているところがある。

 それに、最初にイヤだと思ってしまったらほとんど終わりだ。


 かろうじてイヤだと思わなかったとしても、何かはっきりとした取っ掛かりがないと……。よくわからない人と漠然と会い続けるなんて、とてつもなくエネルギーが要ることだ。そんなの、考えただけで億劫になる。特に冬は、私のエネルギーが減退するのでなおさらダメだ。


 仕事だと思ってがんばればいいの?


 ん〜む。


 グルグルグルグル思考が巡るばかりで、出口が見つからない。


 とにかく、冬までに何とかすべきってこと!?


 ますます焦りを感じて、息が苦しくなる。溺れるどころか、まるで深海の底に沈んでいるみたい。水圧に押しつぶされて、息もできなくて……でも、あたりは意地悪なほど静かなのだ。私の声も、誰にも届かないくらいに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る