オトコの部屋へ踏み入れる。
「なんでそんなに、ご招待してくれようとするんですか?」
半ば呆れながらも、だいぶ打ち解けた気分になっていた私は冗談っぽく訊いた。
すると、彼は言ったのだ。
「よそ行きの服着て、よそでかしこまって会って、この人と結婚できるかどうかって、わかると思う?」
ガーンと頭を殴られたような気がした。
一理ある。最低でも一年、もしくは数年かけてつき合いながら見極めるというなら、徐々に段階を踏むのが普通だろう。が、年齢的にそんなに悠長に構えてられないという空気は、何となくお互いに感じていた。
もちろん、だからと言って、デート初回や二回目からすぐに部屋に行くというふうにはならないまでも、彼のその言葉はストレートに私に刺さった。私たちに時間の余裕はないのだ。
なにも、すぐに寝ようと言ってるわけじゃない。その気になったらそうなってもいいし、ならなかったら断ればいいのだ。この人は、そんなに強引な人じゃなさそうだ、という確信もあった。
「わかりました。あまり時間かけたくないってことですよね」
私も腹を決めた。言い方が多少ドライになってしまったが、これまで会った中では、一歩踏み込めた貴重な相手だ。運を天に任せよう。
こうして、次回のデートは彼の部屋で、ということになった。
運良く、次の土曜日にお互いの都合が合った。
午後遅めの時間、私は彼の指定した駅へ降り立った。迎えに来てくれた彼について行くと、古いアパートの一階に彼の部屋があった。
「汚いところだけど」と言って通してくれる。
まず狭い台所のついたダイニング、そして磨りガラスのはまった引き戸の向こうに狭い畳敷きの部屋があった。正直、鉄道の運転士はもう少しいいところに住めるものと勝手に思っていた。
失礼ながら部屋を見回していると、そんな私の戸惑いを見透かしたように「古くて狭いでしょう」と彼が言った。
「俺ね、お金貯めてんの。もうちょっと貯まったら、家を建てようと思ってるんだよね」
アピールだろうか。でも、それまでここに住むの?
この人をすごく好きになっていたのなら、どうでもいいことだった。でも、私はそれが気になってしまった。
勝手がわからなかったし、私は人前で腕を振るうほど料理に自信があるわけでもなかったので、とりあえず今日食べる物は、彼にお任せしてあった。すでに、出来合いの総菜やお酒、つまむ物などいろいろ買い込んでいるようだ。私はおみやげに持ってきた赤ワインを差し出した。
小さな座卓に向かい合って座ると、適当に食べ物をつつきながら夕方からお酒を飲んだ。私は少しで酔ってしまうので、なるべく度を過ぎないように気をつけた。ここは、まだよく知らない人の部屋なのだ。窓の下には、布団がたたんで置いてある。
No.3くんは、一番最近つき合っていた女性の話をしてくれた。本当は結婚しようと思っていたこと、そして、どうして駄目になったのか。別れたのは二年前だと言う。
「結局、三年もつき合って、最後は向こうの浮気。結婚しようって言ってたのに、なんか待てなかったみたいなんだよね」と彼はまた煙草の煙を吐き出しながら言った。
「いつするって、具体的に言ってなかったんですか?」と私は訊いた。
「何となくは言ってたつもりなんだけどね。俺ね、するまでにお金を貯めたかったんだよ」
のんびりしてそうに見えて、意外に経済的にきっちりしたい質なのだろうか。今日はお金の話がちょいちょい出るなと思っていた。
「結婚してからだって、お金は貯められますよね?」
「だって、いつ何があるかわからないじゃん? 何があっても困らないようにしてからの方が安心じゃない?」
いや、何があるかわからないなら、何があってもいっしょに乗り越えるられると思える人と結婚したい。とっさにそう思った。けど、口にはしなかった。
「それはそれぞれの考え方ですよね。ちなみに、いくらあれば安心と思ってるんですか?」
「本当は二千万くらいかな」
私はのけ反った。「そんなに? もしかして、あとちょっとで到達するとか?」と、思わず訊いてしまった。
「それは秘密。結婚するって決まったら、教えてあげる」
不思議なことに、お金を貯めてそうな人とわかっても、それでグッと惹かれるというわけでもなかった。それよりやっぱり気になるのは、この話で自分をアピールしてるのだろうかということだ。彼は、お金のことをきっちり考えることを何よりの美徳と思っているのだろうか。
私があまりはっきりとしたリアクションを取ってなかったせいか、それ以上のことは言ってこなかった。その代わり、缶チューハイをグビッと飲んでから、呟くように言った。
「顔はすごくきれいな人だったなぁ」
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