知らない世界の人。

 離島の診療所のドクターと似たイメージの目の前のNo.3くんが、そんな似つかわしくないことを言う裏に、どういう意図があるのか。

 私はまじまじと彼を見てみるのだが、よくわからなかった。


 外で会うのが苦手という人は、これまでもいた。だとしたら、自分のテリトリーに引き入れて、リラックスして話したいということなのか。それとも、見た目に似合わず下心があるのか。

 でも、真剣に結婚をしたくて活動していると言っていた。嘘には思えなかった。だとしたら、人によってはドン引きしそうな「初回から部屋に誘う」なんてことを、一気に嫌われるリスクを承知でするだろうか。

 もしかすると女性とのつきあいに疎くて、常識が通じないだけかもしれない。


「いやいや、まだ会ったばかりだし、私は飲みに行くとか、そういうのがいいな」と、一応言ってみる。するとあっさりと、「あぁ、そう? じゃあ、そうしようか」と答えた。

 終始同じ、穏やかでやさしい表情の向こうでは、あまり深く物事を考えてないのかもしれない。いずれにしても、掴みどころがない人という気がしてきた。


 お酒はそれなりに楽しかった。運転士の仕事について、詳しく教えてくれる。


「休みは、シフト制だから不規則なんだよね。今日はたまたま週末に休みが取れてたからよかったけど、そうじゃなきゃ、なかなか会えなかったかもね」

「そうなんだ。私の仕事も締め切りがあったりするとほんとに遅くなるので、そういう時の平日デートは難しいですかねぇ。週末も仕事してることもあるし」


 一瞬、話が途切れると、No.3くんはすぅっと息を吸ってから言った。

「あのね、滅多にないし、あってもうれしくないんだけど、特別の休みってのがあってね」

 意味ありげな前置きをしながら、彼は煙草に火をつけた。立ち上る煙を避けるようにしながら、「特別の? 有給ですか?」と私は訊いた。

「もちろん。あのね、ほら、事故があるでしょ、時々」


 煙を吐き出しながら、私が自分で答えに辿り着くまで何も言わずに待っている。

「事故って……故障とか、踏み切りに侵入とか、いろいろありますよね」

「まあね。その中でも、すごくショックなのがあるんだけど」

「ん? もしかして、人身事故ですか?」

「そうそう、それ」と、彼は大きく煙を吐き出した。


「俺もね、一度あったの。飛び込み自殺だったんだけど……やっぱりね、とっさには避けられないの」

「うわ。それは……」と言いながら、背中がゾクゾクした。


「意外にね、感触ってあるんだよね。それが体にこびりついてて、落ち着こうと思って煙草を吸うんだけど、手がこんなふうになるんだ」

 彼は煙草を持った手を小刻みに震わせて見せた。

「それだけじゃないけど、でも、だから、煙草はやめたくないんだよね」

 言い訳するようにそう言ってから、続ける。


「で、そういうことがあると、いろいろ調べられたあと、休みがもらえるんだよね。一日だけなんだけど」

 たった一日で、その感触を拭えるのだろうか。

「一日休んでも、運転席に座ればまた感触もよみがえるし、その場面が目に浮かぶわけ。だけど、ずっと休むと、もう復帰できないかもしれないからね。そこはちょっとスパルタなんだろうね」

「はぁ、なるほど」と、私は想像もしなかった世界に軽く畏れを抱きながら、どう言っていいかわからず、なんだか気の抜けたような返事になってしまった。

「いや、スパルタってのは、俺の想像だけど」と、彼は少し笑いながら煙を吐き出した。


 この日、No.3くんが煙草を吸うことを初めて知った私は、ちょっとイヤだなと思ったのだ。だけど、そんな話を聞くと、あまりそのへんに容易に口出しはできないという気がした。煙草を吸い始める理由がいろいろなら、やめない理由もいろいろあるのだ。


 世の中にはまだまだ知らない世界があるもんだなぁと、私はしみじみと思った。

 おそらく、通常の交通事故とは違った感覚なのだろう。生身の人間が、向こうから飛び込んでくるのだから。そんなリスクと隣り合わせの仕事を、この穏やかに見えるオトコは日々やっているのだ。

 私は父親もサラリーマン、自分もどちらかと言うとオフィス勤務のサラリーマン的な人たちと仕事をしてきた。精神的、肉体的どっちにしても、何らかの危険を伴う緊張感のある仕事をしてる人とサシで話したのは初めてだった。


 そんな話を挟みつつ、他愛のない話題から真剣な話題まで、終始なごやかに会話は進んだ。そろそろいい時間になったころ、No.3くんが言った。


「で? 次回は、うちに来てくれる?」

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