勝手にギアを上げられる。

「残念でしたね。本当はその人といっしょになれればよかったのに」


 私は心底そう思って言った。事情は違えど、私とて結婚しそうになっていた人がいた。アラフォーにもなれば、それくらいの経験は誰にでも、いや、独身アラフォーがそういう傷の一つや二つ、抱えているのではないか。


 その後も、どういうタイプが好きかなど恋愛の話から趣味の話まで、いろいろ話した。彼は、あまり趣味と呼べるものはないらしい。そんな中、唐突な質問をぶつけてきた。


「イチャイチャするのは、好き?」


 だいぶお酒が回ったらしいNo.3くんは、少し上気した顔でさらっと言った。

「イチャイチャ? イチャイチャの種類にもよるけど。それは歩く時に手をつなぐとかそういうこと? それとも、家でくつろいでる時にくっついていたいかってこと?」

 半分ごまかす意味でも、私はもったいぶった訊き方をした。


「どっちも! 俺はくっついてるのが好き!」

 そう言うと、No.3くんは突然、這うように移動して、私の女座りをしたひざの上に倒れ掛かってきた。


「ちょっと、なに!?」と、私は手にしたジュースの缶を慌ててテーブルに置いて除けようとしたのだが間に合わず、彼の頭が私の崩した脚の谷間におさまってしまった。


「こういうふうにしたりするのが、好き!」


 完全に酔っている。私は呆れ果てて、目をつぶって気持ちよさそうに微笑んでいる彼を見下ろしていた。


 しばらく沈黙が続いた。

 この状況をどうしようか、考えながら私はまたジュースの缶を手に取って静かに飲んだ。頭をどけてもらうのに触るというのは、はばかられた。そのまま手をつかまれたりしたらどうする? できれば、自分から起きてほしかった。意を決して「起きて」と言おうとすると、すぅーっと深い寝息が聞こえてきた。


「もぉ〜、カンベンして〜」

 私は小声で呟いた。


「おーぃ。起きて〜! もしもーし」と大きな声で言って、彼の肩を叩いた。

 すると、うーん? と言いながら寝返りを打とうとしたので、そのタイミングで脚をずらす。彼は床にガクンと頭がついた衝撃で、「んん?」とあたりを見回した。私と目が合うとふにゃっとした表情になって「あれ、寝てたぁ? 気持ちよかったぁ」と言った。そして、ダラダラと起き上がった。


 こっちは全然気持ちよくない。勝手に先走られて、私は少し白けていた。No.3くんは気を許してくれて、それでどんどん突き進んでいるのかもしれないけれど、私の中ではまだ何も始まっていない。


 私は立ち上がると、台所のカゴの中に伏せてあったコップに水を汲んできて渡した。


「かなり酔っちゃったみたいだね」

「あぁ? うん、楽しくなっちゃって」

 そう言うと、ゴクゴクと水を飲んだ。


「これ以上、お話できそうもないみたいだから、帰るね」と私は言った。

「えぇ!? 帰っちゃうの?」

「だって、もう正体ないでしょ?」

「えぇ? うーん」と、No.3くんはガクリとうなだれた。


「また今度、ね!」と言いながら、私はテーブルを軽く片付けてゴミを袋に入れると、荷物を持って立ち上がった。


「また、来てくれるの?」

「都合が合えば、ね」

「これ、とっておくね!」と、酔って子供のようになっているNo.3くんは、三分の一くらい残った赤ワインのボトルを持ち上げて言った。


「飲んじゃってくれてもいいし、好きにしていいよ」と私は言って、部屋を出てきた。


 やっと抜け出せた、という気持ちだった。

 こんなことは言いたくないが、ちょっと息が詰まるような部屋だった。狭いから悪いとは言わない。でも、No.3くんのお金の話とあの部屋の情景が重なると、息苦しい感じがする。


 節約家? ケチ? 堅実過ぎ?


 何だろう、二千万貯めるとか、家を建てるとか、すごいことを言っているのだけど、さっきまでの部屋での情景を思い出すと、まったく夢が描けない。


 まず人物を好きになること。

 そこができていないために、いろいろな周辺情報がガヤガヤと騒がしい音を立てながら押し寄せてくるのだった。

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