夕紅とレモン味
@chauchau
ペットボトルで罠を仕掛けよう
日が暮れる。
西の空が夕紅へと染まる頃。古ぼけたスピーカーが、子どもはおうちに帰れと調子はずれの音楽を奏で始める。
そこに居るのが誰なのか。それとも本当にそこに居るのだろうか。薄暗い世界ではその世界そのものの輪郭がぼやけつつあった。
おはやくお帰り
さもなくば
こちらの世界へ
連れて行ってあげようか
明るい光を畏れ身を隠していたモノたちが、ついぞ待ってましたと躍り出る。その時間の名は、
――逢う魔ヶ時。
ヒトではないモノたちの世界が開幕した。
※※※
氾濫しないように土手の斜面がコンクリート舗装されてしまっている程度には都会であり、川そのものは舗装されていないほどには都会ではないどこかの街で、川のすぐ傍の草むらに一人の女性がしゃがみ込んでいる。
買い物帰りの親子や、とぼとぼ覇気なく歩くサラリーマンが土手の上を歩いているが、誰も女性のことを気付く素振りをみせていない。
生い茂った草むらは、彼女を隠してしまうには十分なほどであった。
それはつまり、彼女がどうなろうと誰も気づかないということであり。彼にとってもまたその姿を大多数に見られないというまたとないチャンスであった。
――ぴた。ぴた。ぴた。
ゆっくりと彼女の背後から近づいていく。
あえて時間をかけて近づくのは、それが人間にとってより純粋な恐怖となるのを知っているから。
その場から動こうとしない彼女に、彼を口元を歪ませる。彼女から洩れるただならぬ雰囲気は、彼らが大好きな緊張をこれでもかと含んでいた。
――ぴた。 ぴた。 ぴた。
真後ろに。
たどり着いた。
声を掛けることはない。
彼女自身が振り向くその時を待ち続けるだけで良い。
背後に居る何者かの存在に恐怖している人間が、それでも我慢できずに振り向くときの表情が、なにより自分たちを認識した際の恐怖がなによりの御馳走なのだから。
だからこそ、彼は待つ。
「…………」
彼は待つ。
「…………」
待つ。
「…………」
待つ。
「…………」
待……。いや、時間かかりすぎではなかろうか。
すぐ後ろに何者かの気配があるというのに、女性は一向に振り向こうとしない。座禅をしている小僧だってもう少し周囲に気を配るぞと言いたいほどに彼女は彼の存在を無視して、よく見ればごそごそとなにかをしているようである。
「……アノ」
ポリシーには反するが、このままでは埒があかないと彼は意を決して声を掛ける。
「うん?」
「少シハ反応シテ頂カナイト僕ノ立場ぁぁああ!?」
「ほう……、今のを避けるか」
振り向いた彼女が見せたのは、恐怖の感情ではなく、出刃包丁。頬すれすれを掠めた刃が己の皮膚の表面を切裂いた感覚に、むしろ彼のほうが恐怖する。
「今日はツいているようだ。これだけの大物であればしばらくは肉に困らない」
「待ッ! エ、待ッテ!? 違ウ! コレ、絶対ニ違ウ!」
「待たんッ! 大人しく肉となれ! 巨大亀ッッ!」
「河童デスケドォォ!?」
「見え透いた嘘をつくなッ!」
躊躇なく心臓を突き刺そうと迫る包丁をなんとか回避するも、女性の瞳に燃える意志という名の炎が悲しいくらいに燃えている。
「皿! 頭ノ皿ヲ見テクダサイ!」
「鱗が高質化して皿のようになった亀ぐらい探せばどこかに居る!」
「背中ノ甲羅ヲ!」
「それこそ亀だという何よりの証拠!」
「会話シテマスゥゥ!」
「インコだってしゃべるわッ!」
「二本足デッ!」
「猿だって人間だって歩くときは歩くだろうが!」
「ジャ、ジャア! エト、ソノ!」
絶え間なく続く攻撃の嵐を必死に回避するも空しく、思わず足元の草に足を取られた彼はその場に転んでしまう。
好機を逃すはずのない彼女が、包丁を高く振り上げ、勢いよく
「胡瓜ガ好キデス!!」
自分でも意味の分からない叫びをあげ、ああ、死んだ。と覚悟した。
――ドス
「河童だぁぁああああ!!」
「ソコォォオ!?」
すぐ足元の地面に包丁が突き刺さっている。思いっきり後ずさりながら悲鳴をあげた女性以上の河童の絶叫が、夕日に染まる河原に響き渡った。
※※※
「すまんすまん。まさか本当に河童が居るとは思ってもみなくてな。さあ、これでも飲んで落ち着きなさい」
「ハァ……」
差し出された湯呑の中の水を、一気に飲み干していく。さきほどの命のやり取りで彼の喉はカラカラであった。
「飲みなさいと自分で言っておいてなんだが、頭にかけるのではなく普通に飲むんだな」
「掛ケルコトモ飲ムコトモドチラモ重要デスシ、……ト言ウカ、コノ水ドコカラ」
「そこの川の水」
「ぶぅぅぅうう!!」
「え、駄目か?」
「濾過シテイナイ生水ハ危険デスヨ!?」
「見るからに水辺の生物が言う台詞かね、それは」
咳き込んだ彼の背中を何とも言えない表情で女性は撫でる。手に触れる甲羅の感触は、まさしく亀のソレと同じであった。
「シカシ、貴女ハコンナトコロデ一体何ヲシテイタンデスカ」
「うん? ああ、これを捕っていたんだ」
「……コレハ」
彼の質問に、彼女が笑顔で見せてくれた袋のなかには、
「こおろぎデスネ」
無数のコオロギがこれでもかと捕まえられていた。
「その通りだ」
「ドウシテ、こおろぎヲ?」
「そうだな……。簡単に説明出来るか分からないのだが……」
とても悲しそうな表情で、彼女は空を見上げてしまう。
「ア、言イ難イコトデアレバ無理ニ言ウコトハ」
「ウチが貧乏で、捕ればタダだからだな」
「実ニしんぷる!?」
「むしろ君のほうこそ一体何がしたかったんだ」
「ソ、……ソレハ」
「言い難いことか」
「…………実ハ」
「昨今の妖怪離れで人間が恐怖を感じることが少なくなり、それを栄養としている君たち妖怪にとっては死活問題。そんな時にここぞとばかしに一人でいる私に目を付けて少しでも恐怖を回収しようと試みた。なんて子ども向け番組のような理由ではあるまい?」
「…………」
「さあ、話してみるといい。案外他人に話すことで悩みとはあっさり解決することも、どうしたそんなに汗をかいて」
「イッソノコト殺シテクダサイ」
「一体どうした!?」
手で顔を覆い泣き出した河童をなだめるのには、しばしの時間が必要となるのであった。
※※※
「なるほどな。最近はあまり誰も怖がってくれないと」
「ハイ……。ソレドコロカ、珍シイ生物ダト怪シイ学者ニ追イ回サレ故郷ヲ捨テテ山奥ニ逃ゲル者モ多ク……」
「私自身今まさに恐怖していないからどうにもフォローしにくいところはあるな」
「アノ……」
「うん?」
「一体何ヲシテイルノデスカ?」
「見て分からないか? 料理だよ」
「ナゼ、今ココデ……」
「腹が減ってはなんとやら。あとはまあ、ガスも電気も止まっているから家に帰ってもどうせこのカセットコンロで料理するし」
周囲の草をむしり、地面を水平にならした彼女はあっという間にカセットコンロを設置して、お湯を沸かしていく。
さきほど捕まえていたコオロギはリュックサックに入れたあと、コオロギが入った別の袋を取り出した。
「コオロギはすぐに食べるとエグ味があってな。だいたい一日くらい置いて糞を出させるほうが良いんだよ」
「ハァ……」
誰も聞いていないのに楽しそうに解説しながら彼女は工程を進めていく。沸騰したお湯のなかに一日絶食させたコオロギを放り込んで下茹でし、今度はフライパンをセットして茹でたコオロギを乾煎りしていく。
水分が飛んだら、油を引いて火を中火に。香ばしい香りが漂いだせば、砂糖と醤油で絡めていく。
日本人なら誰でも好きなあの香りが河原に漂いだすけれど、誰がこの正体がコオロギであると予想しよう。
照りが出てきた後、酒とみりんを入れて再度煮詰めていけば……。
「コオロギの佃煮の完成」
「見タ目ガ本当ニ現代人ッポクナイ料理デスネ」
「味は良いし、栄養価も高い。なにより調味料とガス代しかかかってないんだぞ」
「世知辛イ……」
バリ、ボリ、バリ、むしゃぁぁ
完成したコオロギの佃煮を美味しそうに喰い散らかしていく女性の姿は、ある意味で妖怪より恐ろしいものがあるのではなかろうか。
「足のカリカリ感がなんともいえない」
「ソウデスカ……」
「続いて第二弾」
「続クノデスカ!?」
彼女のリュックサックからは第三のコオロギが出現する。再度お湯で下茹でしたあと、水気を切る。
フライパンに少し多めの油を引いて、コオロギを躊躇なく投入すれば……。
「コオロギの素揚げの完成」
「コレモマタ素材ノ見タ目ガコレデモカト残ッテイマスネ」
これもまたバリボリと貪っている女性に、どこか彼は遠い目で優しく見守っていることにした。関わってはいけない部類であることは間違いなさそうではある。
「揚げ物といえば、やはりここはレモンが欲しくなるところ」
「ソウデスカ」
「近頃は飲み会でレモンを勝手にかけることがマナー違反がどうの……、そうだァァ!!」
「ナ、ナンデスカ!?」
「君が恐怖を集める素晴らしい方法を思いついたぞ!!」
※※※
商店街に店を構える老舗のから揚げ屋。三代目になる店主がつくるから揚げは外はカリカリ中はジューシー。冷めても美味しいと評判で、夕食時ともなれば毎日たくさんの人が押し寄せていた。
一口食べれば誰もが笑顔になる。いつもは幸せいっぱいなその空間で、今日だけは多くの人間が悲鳴をあげ逃げまどっている。
「きゃぁぁぁ!」
「助、助けてッ!」
「それだけは! それだけはいやぁああああ!」
「くッ! ここは俺に任せてお前たちでも逃げぐわぁああ!」
「パパぁぁああ!」
悲鳴の中心にいるのは、まさに奇妙奇天烈。お話の中でしかその姿を見せることがなかった妖怪河童の姿。
から揚げ屋さんの前に居た人間たちは皆、恐怖しパニックに陥り逃げまどう。腕に抱えた大事なものを守ろうと必死でもがき、だが、河童から逃げきることが出来ずに多くの者が襲われ無残な姿に変えられていた。
「てめェ!! 一体全体何の恨みがあってこんなことをしやがる!」
「から揚げ屋さん! 駄目! 危険よ、下がって!」
「馬鹿野郎! 三代目の看板背負ったこの俺が、たかが河童如きにお客様の笑顔を曇らせるわけにはいかねえんだよ!」
「逃げて、から揚げ屋さぁぁあ!」
「くたばれ、河童野ろ、ぐわぁああ!」
「から揚げ屋さぁあああああ!」
「目がッ! 目がぁああ!!」
ここ数十年ほどでは考えもしなかった恐怖という感情が河童のもとへ集まっていく。乾ききっていた身体に栄養が染み込む。それだけで身体に力が宿る。
もはや、河童を止められる者など居ようはずがなかった。
――ふぁんふぁんふぁんふぁんふぁん
「はい。君、名前は」
「ア、アノ……、河童デス」
「そういうの良いから。ちゃんと名前言いなさい」
「デスノデ、河童デスカラ。アノ名前ハ、ナイ、デス……」
「ああ、そうなの。じゃあ、河童くんさ。君さ、どうしてあんなことしたの」
「エエト……」
「何歳か知らないけど、いい歳した男性が河童のコスプレしてから揚げ屋さんの前でから揚げにレモン掛け続けるとかさ。恥ずかしいと思わないの」
河童は、普通に呼ばれた警察に普通に捕まって普通に取調室で普通に怒られていた。
「から揚げ屋さんの目にレモン汁までかけて。あれって結構痛いんだよ? 分かる?」
「ハイ……」
「駄目でしょ、他人に迷惑かけちゃ。ていうかこんなしょうもない迷惑かけちゃ。いやね? 大きいことをしろってわけじゃないんだよ? 分かるかな? 分かるよね?」
「ハイ、スイマセン……」
「三代目さんも反省してくれたら許すって言ってくれてるから、良かったね。優しい人で。もうこんなことしちゃ駄目だからね」
「ハイ……」
「それじゃあ、初犯だしこれで釈放してあげるけど次はないからね」
「ゴ迷惑ヲオ掛ケシマシタ」
とぼとぼと土手の上を歩いていく。
夕紅に染まった世界は、薄暗い。他人に関心が薄くなった昨今で、横に河童が歩いていても悲鳴をあげるでなく怪しいコスプレ野郎だと皆がさげすんだ瞳で離れていく。
烏の鳴き声が阿呆だと言ったのは誰だろうか。まさしく馬鹿にされ続けている気分にますます落ち込む河童の視界が更に暗くなる。
影が落ちた。
ゆっくりと顔をあげれば、昨日の女性がそこに居る。
「駄目か」
「駄目ニ決マッテイルジャナイデスカ!? ナンデスカ、アノ作戦ハ!」
「イケルと思ったんだがな……」
「ドコニソノ要素ガアリマシタカ!?」
「実行している時点で君にも問題はあると思うんだが」
夕日に照らされ伸びる二人の影が仲良く並ぶ。買い物帰りの親子連れ、その息子があそこに河童が居るよと指させば、見てはいけませんと母親に叱られる。
「安心したまえ。次の作戦がある」
「絶対ニ嫌デス」
「なぜ!?」
「ナゼト言エル貴女ノ根性ハ図太過ギデハアリマセンカ」
「そんなに褒めなくても」
「褒メテイマセン」
「次は商店街にあるてんぷら屋を狙ってレモンをだな」
「れもんカラ一度離レマショウヨ!?」
「だが、河童の怖さなんてレモンに比べれば」
「嘘デスヨネ!? れもん以下トカ嘘デスヨネ!?」
「待てよ、酢橘という手も……」
「れもんガ嫌ダトカソウイウコトデハナイデスカラネ!」
結局のところ、こうしてまた一匹の河童が故郷の川を捨てて山奥へ逃げることになるのだが、山には山で食材が豊富だな。と一人の女性が追いかけてきたとかきてないとかで。
逢う魔ヶ時。
それは、未知なる存在へと出会うかもしれない時間帯。
「これもなにかの縁! 必ず君を助けてみせようじゃないか!!」
「オ願イデスカラ諦メテクダサイ!!」
どうしたって何よりも、人間が怖いというそれだけのお話。
夕紅とレモン味 @chauchau
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