夜の花火から一転……

 その日の夜、わたしはちょっとだけそわそわした。

 なにしろいつもは夕方前には帰っちゃうレイルが夕飯時も一緒だから。


 人間用の食堂での食事は基本的にわたし一人で、というか給仕のティティと二人きりだし。だから向かい合ってレイルと食事するのが変な感じだった。


 泊りが嬉しいのか、レイルは始終ご機嫌でご飯が終わると夜の散歩を提案してきた。


「夜の森ってなんもないわよ」

「まあまあ。楽しいこともあるかもしれないだろう」


 レイルに宥められたわたしと、夜の散歩という蠱惑的な響きに魅せられた双子。

 お母さん(レイア)の「あまり遠くにいかないのよ」というお許しの言葉を貰った双子の騒ぎっぷりは半端ない。

 普段とは違う何か、ということが嬉しいのは竜の子供も同じらしい。


「それで、外で何をするのよ。星くらいしかないわよ」


 都会とは違い、暗い森の空を見上げると満点の星空で。それはもうきれいで、わたしは部屋の窓からよく眺めているけど。


「俺がとっておきを見せてやる」


 そう言って、レイルは両腕を高く上げた。

 小さく口の中で呪文を唱える。魔法を使うのだ。


 真っ暗な森の空に光が生まれた。


「わぁ……」


 わたしたちの頭上にちりちりと炎が生まれる。赤や黄色、少し緑っぽい炎の粒が弾ける。

 花火が暗い空を照らす。


「すごいすごい!」

「こんなの初めて見たわ! お母様たちも呼んでくる!」


 ファーナがくるりと踵を返して「おかあーさまー」と大きな声を出しながら駆け出す。

 レイルは炎を操り、繊細な花火をいくつも作り出す。


「まあ確かに、見事ですねぇ。悔しいですけど」


 わたしにぴたりと張り付いていたティティが感心している。

 王都ではお祝いの際に花火があがった。一流の魔法使いたちがその技を競い合い、花火が上手な魔法使いは女性にもてたりもする。


「きれいね」


 そこまで大きなものではないけれど、明るい緑色から黄色を隔ててオレンジへ変化をしていくグラデーションが繊細で美しい。光の滝がすぐ近くから落ちてくるような錯覚。


「人間は私たちの思いもしない魔法の使い方をするね」

「とてもきれいだわ」

 いつのまにかミゼルとレイアも外へと出てきていた。

「お母様も、あれできる?」

「んー、練習が必要ね」


 レイルはとっておき、とばかりに大きな花火を頭上に描いた。

 暗い空に花が咲く。


「すごいわね、レイル。あなたやっぱり魔法すごく得意なのね」


 わたしは素直な賞賛を贈った。それからちょっとだけ悔しくなる。

 わたしもずっと魔法の勉強をしていたから。


 もう捨てたと思っているし、この数か月わたしは魔法を使っていないのに。彼がどれだけ努力をして今の魔法が使えるまでになったのか分かるから、素直にすごいなあと思う反面わたしも追放エンドの無い普通の令嬢としてこの世界に生まれ変わっていたら、学園を卒業した後も魔法使い見習いとして修業する日々だったのかななんて思ってしまう。


「そこまででもないよ。俺よりすごい人間もたくさんいるし」

「でも、すごいわ。とってもきれいだった。花火なんて久しぶりだったもの。楽しかった」

「本当?」

「もちろん」

「じゃあ大成功だな」


 わたしは何度もすごいを連発した。きれい、すごいって何度も。


「こんなにもすごい花火をわたしたちだけで、なんて。贅沢だわ」

「リジーが気に入ったんだったら、今後俺はリジーのためにしかこの魔法は使わないよ」

「!」


 しっとりとした声が聞こえてわたしは思わず固まってしまう。

 い、今ここでそういうこと言う?


「ほらほら、子供たちもう寝る時間よ」


 レイアが双子を急かし始める。

 え、ちょっと待って。レイア、置いていく気?


「えええええ~。僕まだ見たい!」

「レイル~、もう一回」

 双子の駄々が今日は頼もしく聞こえる。

「とは言ってもな。今しがた今後リジーのためにしか花火魔法は使わないって約束したし」

「え、わたしそんな約束」


 したっけ? レイルの一方的な宣言だったような。


「だめですよ、お二人とも。ここはひとつ大人になってレイル様の応援をして差し上げてください」

「ドルムントまで!」


 わたしは恥ずかしくなって叫んだ。

 なんでみんなしてさっさと先回りしちゃうかな!


「ああもう。ここだといまいち決まらないな!」


 レイルが突如わたしの腕をとり、駆け出した。

 え、ちょっとどこへ連れて行く気なのよ! 森の中は真っ暗なんだって。


「レイルったら、ちょっと」

「しっかり捕まっていろよ」


 レイルはわたしの話だと聞かないで、あろうことか背中に手を回してもう一度呪文を唱えた。

 ふわりと体が浮くのを感じる。


「え、ちょっ……」


 あれよという間に地面が遠くなる。

 わたしたちは洞窟のある、切り立った崖の上へとやってきた。


 レイルが魔法で灯りをともす。淡い光の玉がいくつか浮かび上がる。幻想的な光景に思わず見とれてしまう。崖の上は少し開けていて、レイルは持っていた外套を取り外し地面に敷いた。


 座れということらしい。わたしはお言葉に甘えることにする。

 ていうか、このあとどうしたらいいの? 


 わたしは柄にもなく緊張した。


 座ったわたしとレイルはしばらくの間、互いに黙り込んだままだった。

 どうしたものかな。うーん……、などと心の中では適当なことを吐き出しているんだけど、口には出せず終い。


 夜の星座観察ならもうちょっとそれらしい説明くらいしてくれっていいのに、とか心底どうでもいいことを考えていると、レイルが「あのさ!」と大きな声を出した。


「はい!」


 ついわたしもちょっと大きめの声で返事をしてしまう。

 って、どこの青春映画か。


「リジーは、このあとどうするかって具体的にもう決めた?」

「こ、この後?」


 なんだ、そういう話か。

 ちょっと前の発言が意味深すぎたから、深読みし過ぎちゃったよ。

 はぁぁぁ、とわたしは胸の中で盛大に息を吐いた。


「そう。前にも言っていただろう。ミゼル夫妻のところにいるのは一時的なことだって」

「ええ、まあそうね」

「それで、リジーさえよかったらなんだけど、行くところが無いなら俺のところに来ないか?」

「へっ?」


 俺のところってどういうところでしょうか。


 色々な深読みができる台詞にわたしの心臓がどきどきする。今が夜で心底よかった。顔、絶対に赤くなっているから。

 わたしのまぬけな声に、彼は言い方がまずかったと悟ったらしい。


「だから、ほら。俺の勤め先。ゼートランドの王宮なら多少のコネくらいあるし、リジーくらい頼もしかったらすぐに向こうでの暮らしにも慣れると思うし」

「頼もしいって、それって褒め言葉?」

 女の子に頼もしいってちょっと引っかかるけど。


「もちろん。俺的に最大級の賛辞だ」

「それはどうもありがとう」

「あ、信じてないな。俺は、年中澄ました顔した人より、良く笑って元気が良くて、物怖じしないリジーの方が断然いいと思う」

「そ……それはどうも、ありがとう」


 さっきから同じ言葉しか返せてない。


「でも、せっかく褒めてくれたのにゼートランドには……ううん。王宮では働けない。身元の分からない人間を置いてくれるほど王宮って人にやさしくはないわよ」

「俺が身元保証人になる」

「あなた、下手すると自分の立場が危うくなるわよ」


 だってわたしはシュタインハルツで婚約破棄されて幽閉エンドな悪役令嬢だし。そもそもが死んだことになっているし。他国の王宮でうっかり就職しちゃってもしも万が一シュタインハルツの人間が外交とかでやってきて鉢合わせしちゃったら。


……ものすごく面倒な未来しか想像できない。


「俺の立場はそのくらいじゃ揺らがないよ」


 レイルはなんてことないように笑う。

 その絶対的な自信。わたしより少し年上なだけなのに、こうも揺るがないのはきっと彼の出自が高いからなんだろうな。育ちがいいのは仕草の端々から見てとれるもん。


 だからこそ、わたしは彼のそばにはいられない。


「でも、わたしは目立ちたくないの。正直ゼートランドで暮らせることは魅力的。でもね、それってもっと普通の生活で十分なの。例えばどこかの町の食堂で給仕をするとか、お菓子作り職人でもいいわね。あ、砂糖って高いんだっけ。じゃあここでの経験を生かして家庭教師とか。普通に働いて暮らしていければ十分」


「普通って言うけど、絶対リジー目立つと思う」

「どうしてよ」

「だって、きれいだし」


 さらりと言われてわたしは固まった。

 すぐに「そんなことないわよ!」って言えばよかったんだけど、ゲームの中のリーゼロッテが美人なのは登場人物紹介見ても分かることで。


 え、うぬぼれじゃなくて客観的事実。ただし、きつい顔立ちの美人だけど。


「またあなたそんなこと言って。わたし、今までお高くとまっているとか、偉そうとか、近寄りがたいとかしか言われたことないんですけど」

「それはそいつらの見る目が無いんじゃないか」

「レイルは口が上手いわね」


「そこまででもないけど……ってそういう話じゃない。俺が言いたいのは、リジーが不安に思っていることも分かっている。けど、そういう面倒な話からも俺なら守ってやれるし、そもそもリジーに非が無いだろう? 婚約破棄されたのだって」


「あなた……わたしの身元……知っていたの」


 わたしの顔から表情が消えた。


 なんとなく、お互いに感じていることはあるんだろうな、ということは分かっていた。仕草とか会話の内容とかでどのくらいの身分に属しているのか、この世界ではわかってしまうから。


 だけどこの場所に、ミゼルたちのところにいる限りその話題は持ち出さないと決めつけていた。

 ううん。そう思っていたのはわたしだけだったみたい。


「……悪い。気になって、調べた。といっても、俺じゃない。俺の……部下が」

「人を使えるくらいに、高い身分だものね」


 つい皮肉が口に出てしまう。


「いや、積極的にってわけじゃない。けれど、調査結果を見たのは俺だ。だから、俺の責任でもある」

「べつに、どうでもいいわよ」


 わたしは冷めた声を出す。部下が先走ったのか、レイルが部下に命じたのか。

 それはどうでもいい。だって、レイルはわたしの身元を知っているのだから。


「勝手に調べて悪かった」


 わたしの言いたいことをしっかりと理解しているレイルは謝った。

 しかし、わたしの心はとげを逆立てたハリネズミのようになっていた。


「それで。わたしを今更オモテに引っ張り出してどうしたいの? 王太子に婚約破棄されて、幽閉されかけたのを逃げ出した悪役令嬢ですってゼートランドの人たちに見せびらかしたいの?」

「別にリジーが悪い話でもないだろう! あきらかにトカゲのしっぽきりじゃないか」

「さあね。わたし、本当に性格悪くて陰でいろんな人をいじめていたかもしれないわよ」

「俺はリジーの人となりを知っている。リジーは明るくて優しくて、頼もしくて。いい人だ」


 レイルはどこまでもまっすぐだった。


「わたしは逃げだしたの。みんな、信じてくれなかった。わたしは何もしていないのに、わたしが学園で生活をしているだけで悪いことは全部わたしのせいってことになっていって。でもそれは仕方のないことだった。だってわたしが悪役令嬢だから。だから、しょうがないって、婚約破棄される運命も受け入れた。だけど、さすがに何もしていないのに幽閉だけはされたくなかった。だから、仮死状態になる薬を王都で探して、こっそり忍ばせて飲んだの。リーゼロッテ・ベルヘウムは死んだことにして、わたしは普通の魔法の使えない人間として第二の人生を歩む予定だった。それがちょっと色々あって今こんなことになっているけれど。だから、もう放っておいてほしい」


 わたしは一気に言ってから立ち上がった。

 崖の淵へと進んで息を大きく吸った。


「リジー?」


 レイルが声を掛けてくる。慎重に。

 わたしは少しだけ振り返る。


「ご存じなら、隠す必要もないものね。久しぶりに使うけれど、一応わたしもずっと魔法を習っていたもの」


 わたしは久しぶりに魔法を使った。

 ふわりと体が宙に浮かび上がる。


「おやすみなさい」


 わたしはそれだけ言って、そのあとは振り返らずに自分の部屋へと直行した。

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