黄金竜と行く日帰り温泉ツアー(お色気回じゃないよ)後編

 飛行を続けてどのくらい経過したのかな。時計が無いからいまいちわからないけど、まあ小一時間くらいはレイアの背中に乗っていたと思う。


 わたしたち一行は大きな山脈の一角に着地をした。

 木々は少なくて、山肌が直に見えている、なんとなく痩せた土地、みたいな場所。

 視界に映る範囲、割と少なくない場所で湯気が立っているのがわかる。気温も谷間の黄金竜夫妻の棲み処よりも高い気がする。というかこれは熱気ってやつかな。


 レイアとミゼルの案内に従ってわたしたちは温泉へと向かった。


「ねえ、あなたも入るの?」


 なんとなく気になってわたしはレイルに聞いてみた。

 こっちの世界の人って温泉が好きだったりするのかな。お風呂の習慣はあるけど、レイルはわたしとちがってゼートランド人だし。


「泥風呂だろ? 面白そうだよな」


 レイルの判断基準は面白いかどうかで決まるらしい。

 好奇心旺盛な性格らしい。というか、大きな子供って気がしなくもない。


「あ。なんか失礼なこと考えているって顔している」

「べ、別に」

 わたしはぷいと顔をそらした。


「でも、ちょっと心配よね。わたしたち人間が竜の温泉に入っても大丈夫なのかなって」

「どうだろうな。ミゼルもレイアも気にしていないから大丈夫なんじゃないか?」

「レイルって楽観的よね」

「ここにいる間くらいは楽観的でありたいからね」


 ということは普段は割と重圧がレイルの肩にかかっているってことなのかな。

 わたしは彼の言葉の端々からつい彼のバックグラウンドについて考えてしまう。


「ふうん。わたしの心配性とあなたのその楽観的なところ足して二で割ったらちょうどよさそうよね」

 あまり考えずにはわたしはそんなことを言った。


「さあさ、ついたわよ。リジーはティティが案内するから、支度をしていらっしゃいな」

「リジー様ぁ。こちらですぅ」

「はあい」

 わたしはティティが飛んでいく方へ付いて行く。


「レイル様は私が案内しますよ」

 背後でドルムントの声が聞こえた。


 木が数本群生している横にティティが天幕を張ってくれた。

 用意がよろしくて感心していると、中へ入るよう促されて、ガウンを手渡された。どうやらこれに着替えて温泉を楽しむらしい。


 水着の代わりと考えたらいいのかな。

 わたしは着ている服を脱いでガウンをまとった。


「さすがにこれだと男女混浴は無理ね」


 というくらいの薄さのガウンだった。肌が結構透けているし。水着と同じくらいの厚さの生地を期待していたんだけれど、って別に一人が嫌な訳じゃないし。


 レイア推薦の泥の温泉は、大小さまざまな沼地のようなところからもくもくと湯気が立っている自然のもので、遠くの方に巨体が見えるのはきっとというか絶対に他の黄金竜の湯治客なのだろう。


「これって深くない? 底なし沼って事は無いのよね?」

「たぶん大丈夫ですぅ」


 たぶんって……。


 わたしは沼の淵に座って温泉を覗き込む。

 灰色の泥でできた沼は、当然のことながら底は見えない。


 竜の巨体が入る温泉なんだから人間からしたらかなりの深さがあるのでは、と思い至ってわたしは顔を青ざめた。

 浮き輪的な何かを持ってくればよかった。

 ってこの世界に浮き輪的な何かがあるのかは知らないけれど。


「リジーってば。どうしたのよ。そんなところで固まって」

 湯気の中から現れたのはレイア。

「えっと、どのくらいの深さなのか分からなくて」

「そこまで深くないわよ」

 そういうレイアの体は確かに半分以上温泉から出ている。


「うう~。でも」

 わたしはまだ躊躇してしまう。


「大丈夫よ。ちゃんとわたしが付いているから」

「リジー。一緒に入ろうよぉ」


 竜の姿のファーナも催促をしてくる。


 ええい。ままよ! わたしは恐る恐る泥の中に足を入れた。

 ん、温度はそこまで熱いってこともない。


 けれど、泥に体を浸すのってなにか変な感じ。お湯とも違うし、肌にべっとりとまとわりつくぬるりとした感触。どう表現しようか。うーん……。


「ふわぁぁ……泥のお風呂って初めてだから変な感じがする」


 わたしはゆっくりと泥に体を沈めていく。

 自然の沼だから、お風呂みたいに一気に深くなっているわけでも無くて、浅瀬にわたしは座り込む。そうするとちょうどお腹の半分くらいが泥に浸かるくらいになる。


「泥んこ遊びしてるみたい~」

 ファーナの声が思い切り弾んでいる。


「全身泥パックってことなのよね、これ」

 わたしは手ですくった泥をまじまじと見つめる。前世でもテレビとかで観たことあるし。


「リジー、もっとこっちにおいでよ」

 ファーナはわたしよりも沼の中心にいて、そこに来るように急かしてくる。

「わたしはここでいいわよ」

 深さがどのくらいあるのかもわからないし。


「じゃあわたしがそっちに行くー」

 と言いながらファーナが沼の中を、こちらに移動してくる。

「ぎゃぁっ! 泥が跳ねる! ちょっともっとゆっくり!」

「ええいっ」


 わたしの反応に気をよくしたのかファーナがあろうことか私に向かって泥をかけてくる。

 川遊びじゃないんだから。ちょっとこら。


「こらっ! ちょ、止めなさい。ていうか、竜の姿でとか、卑怯よ!」

 子供とはいえ竜の姿になったファーナはわたしよりも大きいんだから。

「じゃあこれならいい?」

 ファーナが人間の姿に変わる。


「こらぁぁ! そういう問題じゃないっ」


 というか裸で泥遊びをするとか、色々とシュールだから。

 ああもう。温泉でのんびりまったりとか夢のまた夢だったよ。


「はいはい。二人とも。今日は遊びに来たんじゃないでしょう。美容のためよ」

 ようやく助け舟を出してくれたレイアのおかげでわたしは難を逃れたけれど、髪の毛も顔も泥だらけ。


「ああもう。泥でべたべただわ」

「あら、泥を体に塗りつけて、少し乾かすのよ。そうすると鱗がしっとりするのよ」


 だから存分に顔にも肌にも泥を塗りつけなさいとレイアが言ってくる。

 あなたはこっち、とレイアは娘を手招きをする。親子で泥を体に塗り合い、わたしもその間にせっせと顔にパックをする要領で泥を塗りたくる。


 うん、これはもう男性には見せられないね。


 ファーナはひとしきり母娘で泥を塗りたくって満足したのか、あれ以降は大人しく沼の中でじっとしていてくれていて、わたしはようやく人心地ついた。


「慣れてくると気持ちいいかも」

 自然と鼻歌なんて歌ってみるくらいには心地いい。


「あら、珍しい。あなたがここにいるなんて。一体何年ぶりかしら」


 頭上に影がともったのはそんなとき。

 上を見上げると黄金竜が一頭。大きさからして大人だろう。


「久しぶりね」


 レイアが気安い声で応じる。

 どうやら知り合いらしい。


「わたくしも失礼するわね」

 ゆっくりと降り立った竜は、そのまま泥の中に身を沈める。泥が少しだけ波打った。

「こんにちは。あなたがレイアの娘ね。大きくなったわね」

 声の感じからして女性なのだろう、彼女はファーナに向かって挨拶をしたが、当のファーナはぴくりと固まってしまった。


 これまで家族としか接してこなかったというのは本当らしい。すっかり借りてきた猫のようにおとなしくなった。

 いつもの元気はどこへ行ったよ。


「ほらファーナ。ご挨拶は? 彼女はお母様の古い友人よ」

 レイアに促されたファーナはか細い声で「こ、こんにちは」とだけ返した。


「ごめんなさいね。あまり他の竜に慣れていないのよ」

 おばあさまやおじいさまとはちゃんとご挨拶できるのにね、とレイアはファーナに向かって続ける。


「でも安心したわ。ちゃんと育ったのね」

「ええ。最近は随分とやんちゃで手を焼いているところよ」

「魔法を覚えた竜の子供ってみんなそういうものよ。あなたもずいぶんとお転婆だったじゃない」

「もう。わたくしのことはいいのよ」

 なるほど。レイアも昔はかなり元気娘だったのか。


「そちらの、人間のお嬢さんもあなたの連れなのよね」


 と、竜の貴婦人がわたしに顔を向ける。

 わたしは自分の身体が緊張するのを感じた。


「あら、楽にしていて頂戴。せっかくの温泉だもの。のんびりと話しましょう」

「は、はい」

 朗らかな声にわたしは少しだけ肩の力を抜いた。


「彼女はリーゼロッテ。シュタインハルツの出身で、まあ色々とあって今はわたくしと一緒に子供たちの世話をしてもらっているの」

 ものすごいざっくりとしたレイアの説明に竜の貴婦人は鷹揚に頷いた。


「そうなの。あなたらしいわね」


 その説明でいいんだ。


 竜の貴婦人は巨体を前のめりにしてわたしをじぃっと見つめる。

 わたしは体を動かせずに、蛇に睨まれた蛙のように固まったまま。カエルの気分がなんとなく分かった気がする。

 顔に泥を塗りたくったままだから、さぞかし滑稽に映っているだろう。


「もう。あなたったら、リジーが固まっているじゃない」


 レイアの執り成しに、竜の貴婦人が彼女の方に顔を向けて「べつになにもしていないじゃない」とつぶやいた。

 いや、結構な迫力ですよ。うん。


 彼女は再びわたしのほうへ向き直る。

 わたしは再び肩に力を入れた。見つめ合うこと数秒後。彼女が息を吐いた。


「ふふ。竜の子供の相手は大変だろうけれど、頑張ってね」

「は、はい……」


 空気を入れすぎた風船がはち切れたようにわたしはいささか放心して返事をした。

 そのあとレイアたち母娘は鱗に塗りたくった泥を乾かした。


 わたしは泥パックを堪能した後、ティティが魔法で泥を流してくれて(炎の精霊なんだけど、近くの水の精霊と協力してお湯を準備してくれた)さっぱりした。

 腕も足も頬ももっちもちのしっとり感触にわたしはにまにましちゃう。


「ふわぁぁ。しっとりしてる。幸せ」


 顔がにやけてしまうのも仕方がない。


「リジー様、お気に召したのならティティ、これからはここの泥を湯あみの時間に準備しますよぉ」

「そんな手間かけさせられないわよ」

「手間じゃないですよぉ~」


 そ、そんなこと言われるとちょっと迷ってしまう。全身パックは大変だけど、顔のパックくらいなら週に二、三回くらいならお願いしちゃおうかな、とか考えちゃう。


 有能なティティは顔のお手入れ道具一式を持ってきてくれていたのでお風呂上りの保湿も完璧。新しい服に着替えたわたしは完璧に日帰り温泉ツアーを楽しんだのだった。


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