47. キョンの決断

 おでこにキスをした。


「えっ」


 誰ともなく驚きの声が漏れる。少女も、目を見開く。


「俺からできるのはこれが限度だ。お前が何といおうと、俺にはハルヒがいるんだ。たとえあいつがあいつなりに今回のことを割り切ってくれたとしても、あいつを苦しめるようなことはしたくない。だから、これで我慢してくれ」

「嫌よ、お兄ちゃん。こういうのは映画みたいに、しっかり舌まで絡め合わなくちゃダメよ」

「ふざけるな」


 キョンの声が、怒りに変わる。


「無意識だから、閉鎖空間を作れるから、いくらでも甘えていいとでも思ってるのか?こんなのただの脅しじゃねえか。

 お前が本当に俺のことが好きなんだったら、こんな強引な手段じゃなくて、自分自身の人間としての魅力で、ハルヒを追い越して見せろよ。それができたら、その時は考えてやる」

「あっ…」

「キョン…」


 少女と佐々木の目が大きく見開かれる。ハルヒはというと、どんな顔をしたらいいのか分からない様子だったが、


「ジョン、あんたも案外やるじゃないの」


 とハレノヒは何やら感心した様子だった。その姿に、佐々木はうなずき、


「そうだね、キョンからこう言われてしまっては、僕も自分の本音に忠実に、涼宮さん、あるいは涼宮さんたちに堂々と勝負を申し込むしかなさそうだ。

 自分の庭に閉じ込めても靡かないキョンを見ると、涼宮さんはどうやら本当に愛されているらしい。僕に勝ち目があるとは、現時点では考えにくいが、僕は主役の似合うキャラクターではないからね。そのくらいのハンデは、僕のような脇役には、むしろ当然かもしれない。

 いずれにしても、ここにいてもらちが明かない。そろそろ、僕達は元の世界に戻った方が良いと思うね」

「お姉ちゃん…」

「だから、ここはキミは手を引いてくれないか?尤も、キミはある意味僕なんだけど、どうも完全に僕の意思通りになるというほど単純ではないみたいだからね」


 少女は、しばし沈黙していたが、


「…分かったわよ。やるなら、今度はかつてと逆に、涼宮さんから憧れられるところまで輝いて見せなさい」


 と言って微笑むと、輝き出した。


「終わりですね。あなたには驚かされます。この局面で、少女の指示に従わないという賭けに出ることができるとは。たとえ指示に従ったとしても、涼宮さんがお返しで作ったのはせいぜい通常の閉鎖空間で、僕に後処理を任せていただければ大丈夫だと思っていたのですが…。

 どうやら、あなたは、涼宮さんだけでなく、佐々木さんとも理想的な信頼関係にあるように思われます。僕としては、羨ましい限りです」

「何言ってるのよ。あたしは古泉くんのことも信じてるわよ。我がSOS団の副団長なんだから。大学入試や就職試験で面接があったら、堂々と自慢していいわ」

「そう言って頂けると光栄です」

「とにかく、これでひとまずみんな戻れるということね、古泉くん」

「僕はそう考えています」


 ハルヒは、しばしみんなを見回して、


「異論もないし、そうなるとみて良さそうね。問題は、どこに戻るかだけど…」

「校庭、でしょうね。通常の閉鎖空間と同じであれば。涼宮さんの閉鎖空間であれば、そろそろ閉鎖空間解消に伴うスペクタクルが始まるのですが…」


 空を見上げると、クリーム色はフェードアウトするようにして青空へと変わっていった。


「これは何とも佐々木さんらしいですね。涼宮さんの閉鎖空間が解消されるときの動的スペクタクルとは対照的です」

「古泉、お前佐々木のことをそこまでよく知ってるわけじゃないだろう」

「確かに、残念ながら僕は佐々木さんの親友ではありませんからね。とはいえ、橘さんから聞いた話を通じて、それなりには理解しているつもりですよ」

「お前は少しの話から、あっという間に頭の中で理屈を組み立ててしまうからな」

「朝比奈さんの大人版にも同じことを言われましたね。僕としては、長門さんや涼宮さんには及ばないつもりだったのですが」

「あいつらと比較したら大抵の人間は理解力が低いことになっちまうだろうさ」

「そうかもしれません。しかし、僕の考えでは、あなたの方が僕などよりもよほど物事を理解できると思っています。

 僕が涼宮さんを理解できるとしても、それは主に僕の能力のお陰です。そして長門さんや朝比奈さんの話を理解できるのは、僕の能力に基づく涼宮さんへの理解と、『機関』からの情報もあってこその代物でしかない。ところが、あなたは一切特別なところがないにもかかわらず、僕や長門さんや朝比奈さんの話を受け入れ、しかも涼宮さんにとっては第一の理解者の立ち位置となっている。

 こういう言い方をして差し支えなければ、それこそ一種の超能力だと言いたいくらいです。佐々木さんのことも考慮すると、あなたの能力は、神的能力の持ち主やその候補を誰よりも深く理解することのできる能力なのではないか、と」

「そんな能力俺にはねえよ。ハルヒはいつもどこに向かっていくか想像もつかねえし、佐々木は佐々木で、話がお前といい勝負に理屈っぽくて難しい。俺はどっちも理解したとまで言えるほどじゃねえさ」

「なるほど。しかし、まだまだ理解していないという自覚を持てる程度には理解しているとも言えるかもしれません。それは、世界の最前線で働く科学者が世界に抱く印象に似ています。中途半端にニュートン力学を学んだ高校生が、時折勘違いして、実際には三体問題を解けなくても全てを知った気になってしまうことと逆の現象と言えるでしょう。

 もしこのように、誰よりも深く理解しているからこそ誰よりも深く理解していない実感があるのだとすれば、やはりあなたは、涼宮さんにとっても、佐々木さんにとっても、唯一無二の理解者と言って良いでしょう」

「ちょっと古泉くん、あまりこのキョンを褒め殺しにしないで。調子に乗っていつまでも昇進できなくなっちゃうじゃない」

「失礼しました」

「やれやれ。何はともあれ、戻ってきたようだな。現在時刻が気になるが」

「そこは私にお任せ下さい、キョン君」


 こうして、私達は、元の世界に帰ってきたのだった。

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