33. 涼宮ハルヒの感触

「なあ、お前…」

「あんた…」


 同時に言いたいことが被るところなどは、何とも恋人同士らしい。


「ククク。レディーファーストですから、ハルヒさんからどうぞ」

「あたし、マジで財布忘れちゃったんだけど、どうしようかしら」


 申し訳なさそうな顔をしているハルヒは、どうやら本当におごる側になることを想定していなかったらしい。そもそも本当はキョンと分けるための弁当も作ってきている気がする。

 いや、正解は分かっているが、正解と予感は必ずしも一致するとは限らないことにご注意。それ以上言うのは野暮というものだ。

 いずれにせよ、これは無視するべきではない案件だった。


「呼び寄せればいいじゃないですか」

「嫌よ…あれは、みんなの前で見せる見世物じゃないわ」

「それでは」


 私は指をパチンと鳴らして、ハルヒの部屋から財布を中身ごと呼び寄せて、


「お忘れ物や落とし物などのないようご注意ください」


 と言って渡した。


「あっ…。ありがと。あんた、やっぱりすごいのね」

「あなたにもできるはずですよ。本当に見せたくなければ、目撃者の記憶なんていくらでも操作すればいいだけのことですし」

「それは知ってるけど、あたしあまり人の心をいじりたくないのよね。大規模な改変となればつじつまを合わせる必要はあるけど、日常的にそんなことやってたらキリがないもの」

「そうですか」


 …と、ハルヒが私に耳を寄せて、言った。


「ところで、あたしの太ももの感想、後でこっそりあたしに教えなさい」

「谷口対策ですか?」

「キョ、キョン対策に決まってるでしょ?」

「了解です。後でメールでもしますよ」

「ハルヒ、顔近いぞ。お前古泉じゃないんだからそんなに人の顔に近付くなよ」

「はあ?あんた何妄想してるの?た、確かに古泉くんにはそっちの気もあるのかもしれないけど、あたしの場合はそれとは訳が違うのよ。それともなに、妬いてるのかしら?」

「ねえよ。団長閣下がその気でない相手にもそれなりに大胆になれることは、さっきのお姫様抱っこで実証済みだからな」

「なっ…」


 キョンに茶化されて赤面しながら席に戻ったハルヒを見て、私はキョンに話しかけた。


「で、キョン君のご用件は?」

「あ、何でもないんだけどな…」

「そうですか」


 既にメモが手渡しされていた。メモ内容は、ハルヒが耳打ちしたのと同じく、ハルヒの太ももに触れた感想についてだった。


 これ、わざとCCメールにして送信先を明かして、どっちかをからかってやろうか、などと考えているうちに、チャイムが鳴った。


 授業風景に特筆事項はない。


 二人にメールした内容は…禁則事項としておこう。


 隣のハルヒが画面を何度も読み返して青くなったり赤くなったりしているのがよく見えた。キョンの表情はよく見えなかった。


 そうこうしているうちに、次の休み時間になった。


「ちょっとあんた」

「おや、やはり文句がおありですか」

「大ありよ。何よこれ?

 『私が二枚舌ではないことを証明するために、お二人に同時に送信します。ハルヒさんの太ももは、そうですね、キョン君が実際に触れたら、きっといいスキンシップだと感じる類のものだと思いますよ』って。

 まあ、キョンも同じこと訊くのは見越してたからCCでシェアするのはまだ仕方ないとしても、あたしはもっと変態的でも何でもいいから、感覚的にあんたがどう感じたかが欲しかったのよ。

 紳士面して抽象論並べるんじゃなくて、もっと具体的な感想をよこしなさいよ」

「しかし、本当に欲しいのはキョン君の感想でしょ?

 それなら、今実際にキョン君に抱えてもらえばいいじゃないですか。普段のハルヒさんの行動力をもってすれば、できるはずですよ」

「そうじゃないわ。あたしは、異世界人のあんたがどう感じるか知りたかったのよ。異世界の価値観と変態観よ。これじゃ、いたずらにバカキョンに妄想の要素を与えるだけで、肝心な内容が一切盛り込まれていないじゃない。やり直しよやり直し」

「それでは言いますね。あなたの太ももは…」


 私は、ハルヒに生々しい感想を囁いた。


「これでご満足ですか?」

「……」

「腕は指先に比べると末梢神経が密ではないので、どうしても感覚的な印象は薄くなりがちです。更に踏み込んだ感想が欲しければ、やはりキョン君にお尋ねになるべきでしょう」

「……」

「これではまるで長門有希ですね。ただ一つの違いは、彼女は今のハルヒさんみたいに梅干しだかトマトだか分からないほど真っ赤になることなどない、ということでして」

「もう、いいわ。あんたの感想は常軌を逸している。何も細胞レベルがどうとかまで言わなくてもいいじゃない。そこまで踏み込んで言われると流石のあたしも困ってしまうわよ。この内容はキョンには絶対に吹き込まないこと。いいわね?」

「了解しました」

「あと今度から、たとえあたしとキョンが同じ用件を尋ねたとしても、団長用と雑用向けとで別の答えを用意しなさい。2+2=4のような世界の摂理についてはわざわざ2+2=5と思い込ませる真似は別にしなくてもいいけど、絶対的な正解のない問題については必ず二通りの答えを用意すること。ましてやCCは絶対に使わないこと。

 こんな風に思わぬ形でキョンに考えが漏れちゃ、やりづらいったらありゃしないわ」

「ハルヒ、お前なあ、それじゃサイクス・ピコ協定とフサイン・マクマホン協定とバルフォア宣言を使い分けたどこかの国みたいじゃないか」

「偉いわキョン。あんたもやっとあたしが教えた世界史の知識が少しは定着してきたじゃないの。それで、その国はどこ?」

「確か…イギリスだったよな」

「正解。いい?イギリス連邦はもちろん、連合王国単体でも、イギリスは現在も海外領土や飛び地を含めると、24時間必ずどこかで日中になっている状態を維持しているのよ。未だに日が沈むことがない帝国なの。そんな、今でも世界で重みをもっている老大国にあたしも見習ったの。必要なら二枚舌なんて当たり前、マキャベリズムよマキャベリズム」

「そのマキャベリはイタリア人だけどな」

「キョンの癖に、やるじゃないの。

 という訳で、雑用のあんたと団長のあたしとでは、当然回される情報の質も違うって訳。分かった?」

「どっちにしろお前はミーティングの情報とかを目の前の俺には教えない割に他の団員にはいつのまにかしっかり先回りして教えてるじゃねえか。要は、今まで通りってことなんだろ」

「分かってるじゃない。今日のキョンはやけに物分かりがいいわね」

「…やれやれ」

「それじゃあ約束通り、今からあんたたちのジュース買ってくるから、ちょっとそこで待っていなさい」

「仰せのままに、Your Highness」

「…そのお姫様扱いはやめなさい。英語使ってもバレバレよ」

「流石はハルヒさんです。それでは私はここで待っていますので、団員の期待以上のものを持ってきてくださいね」

「当然でしょ。キョンの期待値にも達さないほどつまらない結果なんて、あたしが用意するわけないじゃない」


 言いながら去っていくハルヒを見て、私は、彼女に能力を自覚させてもこのまま行くとどうも普通の日常にしかならないのではないか、という漠然とした不安を覚えた。


 尤も、その不安はそう遠くないうちに覆されたのであるが…。

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