14. 涼宮ハルヒと閉鎖空間

 その閉鎖空間は、新宿に発生していた。


 第一都庁ビルの半分の高さもなく、高層ビル群に比べると皮肉にも小柄に見えてしまう青き巨人は、第二都庁ビルに殴りかかっていた。その周りを、赤い球が飛び回る。


「あの球が超能力者なのね。確かに古泉くんもここにいるような感じがするわ…。それにしても、あたしはあの巨人を知っているわ。ほら、キョンも知っているでしょ?あの時、二人だけの学校で見たあの巨人と同じだわ」

「そうかもな」


 ハルヒは、最初こそ見知った巨人を見つけて目を輝かせていたが、やがて表情を曇らせた。


「赤い球が巨人を攻撃しているように見えるわね」

「彼らに言わせれば、そうして巨人を止めないと世界が壊れるのだそうです」

「…そんなことないわ。あたしには分かるの。キョン、彼らを止めて」

「無茶言うな。巨人に近付くだけで殺されかねないぞ」

「しょうがないわね」


 ハルヒは、ため息を吐くと、目をつぶって、言った。


「なら、あたしが命令するわ。みんな、止まりなさい」


 すると、赤い球はふわりと巨人から離れて地面に降りたところで人に戻り、巨人は巨人で、動きを止めた。


 人型の中には、古泉の他に、新川や森園生、多丸兄弟の姿も見えた。


「やっぱりここにいたのね、古泉くん。それに、新川さんたちも」

「涼宮さん、これは必要なことなのですよ。この巨人、神人を倒さない限り、僕たちのいたあの世界は消えてしまうのです」

「分かっているわ。でもね、あたしにはもう一つ分かったことがあるの。あの巨人は、あたしの別の姿なのよ。だから、これはあたし自身の問題なの。あとはあたしに任せなさい」


 古泉は脇にいる森や新川と何やら話していたが、やがてハルヒの方に向き直り、例のスマイルを浮かべたまま、言った。


「涼宮さんがそうおっしゃるのなら、まずはお任せします。ですが、あなたの身に危険が迫った場合は、こちらで勝手に動きますからね。あなたは、僕達にとっては、何に代えても守るべき存在ですから」

「ダメよ。SOS団は人以外にも広く門戸を開放しているのよ。特に青鬼には親切にしないといけないの。副団長の古泉くんなら、そこのキョンよりもずっとよく分かっていると思っていたわ。

 それに、あたしなら大丈夫。何のためにこの二人を連れてきたと思っているのよ?」


 彼女を連れてきたのは私なのだが、どうやら満面の笑みを浮かべてこう言ったハルヒは、私をSOS団の一員として認めつつあるらしい。嬉しい限りである。


「…分かりました。今日は涼宮さんと彼らに任せることとします」


 古泉は、そう言って、赤い球になったかと思うと、巨人を挟んで反対側にある、パークタワー方面へ飛んで行った。森や新川などもそれに続いて、どこかへ飛び去った。


「さて、…」


 ハルヒは、言いながら、巨人の足元に近付いていった。


「どうしたの?何か、嫌なことでもあったの?」


 巨人を見上げながら、ハルヒがそう言ったところ、巨人はシュッとすぼみ、一人の女の子の姿を取った。


 ニコちゃんマークのヘアピンを挿した少女は、渡橋ヤスミにも似た面持ちだったがそれよりも更に幼く、髪は長く伸ばしていた。


「…あんた、やっぱりあたしなのね」

「そうよ」

「どうしたの?」


 仏頂面をしていた少女は、目に微かに涙を浮かべた。


「あたしね、悲しいのよ。

 キョンが、あたしに本当のことを話してくれないから。あたしはこんなにキョンのこと信じてるのに、キョンはあたしに何も教えてくれないの。あたしにとって大事な思い出の人であるジョンのことすら否定しようとしたのよ。

 あたしは、そんなにあたしのことを信じてもらえないのが、悔しくて、だったら、キョンなんかいない世界でやり直してやろうと思ったのよ」

「そうなのね」

「他のみんなもひどいのよ。みんな、あたしの知らないところで、すごく面白いことをやってるのに、あたしには一切知らせてくれないの。古泉くんも、みくるちゃんも、有希も。あたしはみんなが何か隠しているのに何となく気づいてはいたわ。だってあたしだもの。

 そりゃあ、あたしだって、前からキョンとのあの夢が夢じゃないこととか、雪山の出来事が集団催眠なんかじゃないこととか、有希がやったJ・Jへのまじないがただの呪術的アロマセラピーではないこととか、みんな分かっていたのよ。なのに、みんなは揃ってあたしを『常識』の檻に閉じ込めて、そんな不思議自体なかったことにしようとした。

 SOS団は不思議を探し出して、宇宙人や未来人や超能力者と遊ぶことが目的の場なのに、みんな揃ってあたしが本当の目的が達せられていないかのように見せかけ続けた。あたしは、なんだかわからないけど、それに逆らうと、みんなから完全に見放されそうな気がして、怖くて本当は違うんだと気付いていることを言えなかった。

 あたしに初めて誠実に本当のことを話してくれたのは、異世界人の彼だった。SOS団のメンバーでもないのに、色々知っていて、色々話してくれて、嬉しかった。でも、みんな、特にキョンが、これまでずっとあたしから本当のことを隠していたことが悲しかった。もちろんキョンの話を信じてあげられなかった、あの時の自分にも腹が立ったわ。

 それでもね、あたしはみんなとちゃんと話せば、本当のことを教えてくれると思っていた。実際、彼の話があったからだとはいえ、有希はある程度までは本当のことを教えてくれたし。そういえば有希は、少なくともあたしに嘘を吐くことは殆どなかったわね。まあ、映画で突然しゃべり出したシャミセンの話は、あれは腹話術じゃなかった気がするけど。その証拠にキョンがめっちゃ動揺していたし。

 それなのに、キョンはひどいのよ。あたしがちゃんと腹を割って話せば、本当のことを教えてくれると思ったのに、有希はそうしてくれたのに、キョンは…」


 少女は、こぶしを握り締めたまま俯いた。肩が震えているのが見えた。


 ハルヒは、彼女を抱きしめた。ハルヒの胸に顔をうずめた少女の泣き声が響く。


「辛かったわね。でも、大丈夫。あたしは、あたしが今いる世界を大いに盛り上げたいと思っているのよ。キョンがごまかすなら、締めあげてでも本当のことを言わせて見せる。だから、あんたはあたしのところに帰りなさい」

「嫌よ」


 少女の明確な拒絶に、ハルヒは戸惑いの色を浮かべる。


「どうして?」

「だって、あたしは、いつでも強くなくちゃいけないから。SOS団のみんながいても、あたしは、やっぱり独りだから。誰も本当にはあたしのことをわかってくれはしない。本当のことを教えてくれないのも、みんなあたしがみんなを信頼するほどには、あたしを信じてくれていないからなのよ。だから、あたしは、弱っている姿なんか誰にも見せられない。弱ったあたしの居場所はここしかないのよ。あたしは、どんなに辛くても、団員を引っ張らなくちゃいけないの。いつものように、明るく元気なあたしのままで」

「そっか、あたしったら、あたしのことをそういうふうに思っているのね。でも、大丈夫よ」

「何がよ?」


 抱きしめられたまま、少女は拒絶するように身震いする。そんな少女を抱いたまま、ハルヒは穏やかな笑みを浮かべて、優しく語り掛ける。


「古泉くんもキョンも、みくるちゃんも有希も、そして異世界からの彼も、あたしが弱っていても見放したりなんかしないわ。そりゃあ、今はまだあたしに話せないこともあるのかもしれない。古泉くんなんて、あたしがここにいるのを見ただけで、去年キョンが階段から落ちた時以来の表情に様変わりしていたしね。

 みんなはね、あたしが全てを知ることが、あたしが今の世界を壊すきっかけになるんじゃないかと不安に思っているのよ。でも、それはあたしという人を信じていないからじゃない。あんたとしてあたしがやっていることのように、あたしの、普通に考えれば人間のキャパシティーを超えたこの力を、あたしがめちゃくちゃな使い方するんじゃないかと恐れているだけ。

 でもね、それはあたしに信用がないからじゃなくて、どんな人間が力を持ったとしても同じだと思う。みんなが不安なのは、あたしが神ならぬ一個の人間だからに他ならないの。逆に言えば、その不安や恐れこそ、あたしを一人の人間だと認めているという証拠になるのよ。

 この、あたし自身怖くなりそうなほどの途方もない能力の使い手としてのあたしを全面的に信じますなんて言うやつがいたら、それは余程楽観的で能天気なやつか、あたしも一人の人間であるという事実を無視して、あたしを女神か何かと勘違いしているアホのやることね。

 だから、みんなはあたしを信じていない訳じゃない。だって、そうでしょ?SOS団は、何があっても立派に続いているじゃないの」

「…」

「だから、一緒に帰りましょ」


 少女がこくんと頷くと、彼女からは淡い光が発せられた。彼女は、抱きしめられたままハルヒに吸い込まれるようにして消えていった。


 いつしか目をつぶっていたハルヒから一筋の涙がこぼれる。が、それは続かず、彼女は目を開けると、静かに言った。


「…終わったわ」


 キョンはきょとんとしていた。その間に、ハルヒはいつもの、超新星爆発もかくやというまぶしい笑顔を取り戻していた。

 最初に声をかけたのは、いつものスマイルに戻った古泉だった。


「さすがは涼宮さんですね」

「当然よ。あたしは団長だからね。副団長の古泉くんにできることなら、あたしにできない訳がないじゃないの」

「それもそうですね」


 そんなことを言っている合間に、空から光が差してきた。神人が倒されたときの割れるような開け方ではなく、閉鎖空間の壁が光の球に代わって、その球が霧散していくような、穏やかな消え方だった。


「古泉くん」

「何でしょうか」

「あんたたちの超能力は暴力的過ぎるわ。だから、ちょっと能力を変えさせてもらうわね」

「涼宮さん…」

「言ったでしょ?SOS団の門戸は人以外にも広く開かれているのよ。だから、もっと優しい能力に変えてあげる。あんたたちは、あの形のあたしと、思いの丈を話し合えるようになるの。そして、納得したあのあたしは、どこも壊さずに穏やかに消えていくのよ。

 あ、あとついでにこの外でもスプーン曲げぐらいはできるようにしてあげる」

「あなたは、本当に自らの能力を制御するだけの力を身に着けたのですね」

「当然でしょ?そうじゃなければ、有希の超人的な能力に太刀打ちできないじゃない。あたしは団長で、団長は常にSOS団で一番じゃなければだめなのよ」

「なるほど。流石は涼宮さんですね」


 あんまりのイエスマンぶりにうんざりしたからだろうか、いつの間にか我に返っていたキョンが割って入ってくる。


「おい古泉。本当にハルヒがこのまま神の如き存在になっちまったら、現状維持なんてできなくなるんじゃないか?」

「しかし、現状がよりよくなる分には、それもありかもしれない。そう思いませんか?何しろ、涼宮さんはこんなに楽しそうなのですから、今はそれでいいじゃないですか」

「そうよ。古泉くんはやっぱり分かってるのね。ところで、キョン」

「何だ?」

「あんた、今度こそちゃんと教えなさいよね。あんたはジョン・スミスなんでしょ?」


 キョンを見つめるハルヒの澄んだ眼差しに、遂にキョンも観念したのか、ため息をついてから、言った。


「ああ」


 ハルヒの顔が、これまでのどんな笑みをも上回る光量を放つ。感動にやや震えた声で、彼女は言った。


「やっと会えたのね。ジョン、…キョン、どっちがいいかしら?」

「光陽園に通っていた別のハルヒには、ジョンの方が良いって言われたな」

「じゃあ、あんたはやっぱりキョンね」

「何でそうなる?」

「だって、ジョンって呼んでほしかったらそっちのあたしに会いに行けばいいってことでしょ?そのあたしも、あたしなんだから、会いたいと思ったときにはあんたと会えるはずだしね。やっぱり誰かがちゃんとキョンって呼んであげないと可哀想じゃないの」

「それなら本名で呼べよ」


 それもそうねと言いかけたハルヒの口は声にはならず、しばし考え込んだ彼女は、言った。


「えーっと、あんた、キョンが本名じゃなかったの?」

「違うわい」

「ふふ、冗談よ。でも、誰も覚えてないしキョンでいいじゃない。妹ちゃんからもキョンって呼ばれてるんだし。それに…」

「それに?」

「キョンって、なんかあんたらしい響きでいいじゃない。あんたがそんなに好いてないのは知ってるけど、あたしはキョンって仇名、嫌いじゃないわ」

「そ、そうか…」


 最後の方を、赤面しながら早口に言うハルヒに、満更でもなさそうなキョン。うん、やはりこの二人の関係は安定した絆だな、と思いつつ。


「お二人とも、仲のいいところすみませんが、用も片付きましたし、教室に戻りましょうか」

「今更戻ってもどうせ遅刻でしょ?ここまで来ちゃったし、今日は部活に顔出しするだけで、後はずっと休みでもいいんじゃないかしら」

「遅刻は回避できます。何故なら、私は当然時間旅行もできて、ちょうど消えた直後ぐらいの時間に戻れば、学校側からすると私達が不在だった時間など恰もなかったかのように思わせることが可能だからです」

「そう…なら、やってみなさい。ついでに古泉くんも学校に戻してあげられる?」

「かしこまりました」

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