10. 階段の影

「…見たいような、見たくないような気分だわ。たとえ必要なことだったとしても、SOS団の仲間がそんなことをしたというのを直に確認するのは、あたしは気が進まないわ。

 でも、キョンのためには真相を知った方が良いのよね。…良いのよね?」


 ハルヒが重ねて言ったのは、迷いを振り切るためだろうか。私は、彼女を後押しすることとした。ハルヒにとっての良し悪しはさておき、私自身はその現場を自ら確認したかったからだ。


「そうですね。では、参りましょうか?」


 再改変が始まる前に二人の長門がやり取りを続けているのをよそに、問題のキョンが滑り落ちたという階段へ向かった。


「ここですね。何となく昼まで待つ必要はない気がします。昼までの、ハルヒさんたちの記憶の中にありながら、まだ『意識があった』はずのキョン君の記憶にはない時間は、恐らく再改変の都合上スキップされたように思われるからです」

「その間については、有希があたしたちにでたらめの記憶を植え付けた、ということ?」

「そうなりますね」

「へえ。そうねえ、何かとんでもないことをされた気分になるわ。有希も大概ね」

「しかし、この件絡みで長門有希が行使した能力の多くについて、元々の持ち主は別にいるんですよ…っと、やはり時間が飛ばされていますね。もう空が明るくなっている」

「本当ね、ってことは…あっ!」


 ハルヒが口元を抑えている。階段を下りるキョンに高速で走り寄った長い影は、長門よりも長い髪の毛の持ち主だった。

 キョンにぶつかった影は、その後走り去りながら霧散した。


 落ちていくキョン。頭を打ったその姿を見て、半ば呆然としながら、「キョン、大丈夫?」「生きてる?」「冗談なら許さないわよ。起きなさい!」「起きろってば!」などと弾丸のように次々と声をかけて、何とかキョンを目覚めさせようとしているこの時間帯のハルヒ。彼女は冷や汗を浮かべ、その瞳は心持ち潤んでいるように見えた。


 あたふたしている朝比奈みくる。笑顔の消えた古泉。そして、おもむろに携帯電話を取り出し、救急車を呼ぼうとしている長門。


 しかし、今のハルヒの興味はそちらではなく、影の方にあったらしい。階段下にいるもう一人の自分自身の動揺を見られたくないというのもあったのだろう。彼女は、私に話しかけてきた。


「…あんた、今の見た?」

「ええ。長門有希ではなさそうですね」

「うん、間違いなく朝倉涼子だったわ。そうでしょ、有希?」

「…」

「しかし、突き飛ばされる前から、キョン君はまるで眠っていたかのように見えましたね。一瞬のことでしたが。

 結論は恐らくこうです。

 お話ししそびれていたのですが、朝倉涼子は元々長門有希のバックアップだったんですよ。ところが、独断専行の結果、長門に消滅させられたんです。それが、彼女の『転校』の真相です。

 ところが、この局面は、本来は長門が調整すべき場面でありながらも、ハルヒさんが万一決定的シーンを目撃した場合を想定すると、それはSOS団の団結に亀裂を生じることとなり、あまり望ましくないと思われた。

 悪役でいることが許されるのは、仮にハルヒさんが直に見た場合、この朝倉しかいなかった。それ故に、一時的・限定的な能力を付与されて、朝倉涼子は一瞬だけ復活させられ、するべきことを果たした、というところでしょう」

「…そうなの、有希?」

「……そう。但しすべては私の責任。私の誤作動が原因だから」

「まあ、それでも長門有希は、キョン君が死なないように絶妙な計算を行って落下させたのでしょう。結果として、手ひどく落下しながらも、無傷でいられた。

 SOS団のメンバーとしては、団員想いのハルヒさんの姿も見られ、何というのか、団の団結が一層固まったので結果オーライだったのではありませんか?」

「そうね。でも、有希もキョンも、やっぱりあたしには本当の話を知らせてほしかったわ。理由があったのなら、それに結果まで調整済みだったのなら、…あたしは怒らなかったわ。

 そりゃあ、仮に必要なことだとしても、キョンがあんな風になったら、多分は心配したと思うわよ。団長の仕事だからね。それでも、いくらあたしはキョンが目を覚まさない訳がないと分かっていたとしても、確実に目を覚ますという保証があった方が、私だって少しは心構えができたもの」

「なるほど。しかし、あなたはキョン君からそんな話を聞かされても信じなかったのではありませんか?」

「…有希からも聞かされていれば、多分信じたわ」

「で、その長門有希の正体、そろそろ気になりませんか?」

「みくるちゃんがどうやら本当に未来人らしいことはさっき見ていて分かったわ。キョンもこういう風に直接見せてくれれば、少しは信じられたのに。

 で、有希の正体は、やっぱり宇宙人なの?それとも超能力者?」

「厳密にはどちらとも違います。長門有希の正体は、情報統合思念体がこの地球に送り込んだ、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース、つまり本来であれば人間とは接触できない、高度な情報で構成されている存在が、人間と接触するために作り出したロボット端末なんですよ」

「そうなのね。情報統合思念体、何やらスーパーコンピューターを更にスーパーにしたような存在みたいな響きね。有希は、その存在からこの星に派遣されたという訳ね?」

「そう」

「なるほどね。でも、有希はただのロボットじゃないと思う。あたしには分かるわ。有希ってば、普段から無口で無表情だけど、ちゃんと感情も持っているのよ。あたしには、微妙な表情の変化もちゃんと分かるんだから」

「実は、その『感情』こそが、さっき見た誤作動の原因でもあるのです。彼女にとっては、それはエラーだった」

「それでも、有希は、有希のままでいいのよ…。その、情報統合思念体とやらがどんなに頭が良くても、あたしは有希のことを思い通りになんかさせないわ。いざとなったら、有希は情報統合思念体の操り人形ではない、って分からせてやるだけのこと。

 有希、あなたにはあなたのやりたいことが、ちゃんとあってこのSOS団にいるんでしょ?」

「…今はそう」

「あたしはちゃんと知っているわ。有希は、最初にあたしと出会った時から、ずっとそうだったのよ。異論は認めないわ。いいわね?」

「いい」

「もう、有希ったら、あんたもみくるちゃんと同じくらいかわいいところがあったのね」


 そんなことを言いながら長門を抱きしめ、その頭を撫で回すハルヒを見ながら、私は言った。


「さて、そろそろ戻りましょうか。元いた時間の部室に」

「いいわ」

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