2. キョンと彼

 とりあえず、キョン曰く「変わり者のメッカ」である例の公園のベンチを集合場所にする旨をメールで伝えた私は、一人でキョンを待っていた。


「…お前も来るのは早いんだな」

「罰金は払いたくないですからね」

「…それで、お前は俺に何を言うつもりだ?」

「ククク、そうですね。長門有希と古泉一樹からはとっくに彼らの知っていることを明かされているはずであり、目星はついていると思いましたが?」

「異世界人、か」

「ご明察です。やっと一式揃う訳です。ハルヒさんは、私の入団をきっとお認めになると思いますよ?」

「それは分からんな。ああ見えてもあいつ、今のメンバーで結構物足りているようだし」

「まあ、それについては、いざ彼女が私を拒んだら、その時おいおい考えるとしましょう。

 古泉一樹と『機関』は、私の正体を調べてデッドエンドに突き当たったはずです。生物学的には人間ではあるが、過去がない。しかも、渡橋ヤスミさんと違い、ハルヒさんのアナグラムにもなっていない。

 長門有希もまた、私が本質的に違う存在であることを見抜いているはずです。彼女からすれば、私はこの世界では『無から発生した』情報フレアですし、しかも発信源は他でもない私自身なのですから」

「渡橋ヤスミ並みに経歴不明で、しかもハルヒ並みの力があるということか。しかもそれを意識的に使える、と」

「ほう、キョン君も、いざお話しすると予想よりも物分かりが良いのですね。慣れとは恐ろしいものです」

「悪かったな」

「いえ、あなたは別に悪くはありません。恐らく私の世界でのあなたの伝わり方に問題があったのです。あなたは赤点スレスレの成績で、…っと、学業成績は必ずしも人の知能水準を示すものではありませんので」


 心持ち表情が固まったキョンを見て、私は赤点云々について色々言うことをやめた。


「そうかい」

「ええ。ところで、当然あなたは私の目的、SOS団の既存メンバーとの利害などに興味はあるのでしょう?

 そして、私の涼宮ハルヒさんに対する考え方についても」

「…まあな」

「結論から言うと、私は元の世界が退屈だったから、涼宮ハルヒさんというとてもエネルギッシュで面白い方のいる世界へ遊びに来たんですよ。遊びに来ただけなので、SOS団とは敵対はしません。

 各メンバーのバックの組織の利害とは、…そうですね、微妙なところかもしれませんが。

 何故なら、私は、涼宮ハルヒさんが、自覚的であれ無自覚的であれ、もっとその潜在能力を発揮して、世界をもっと面白くしてくれたらうれしいと考えているからです。少なくとも、『機関』が仕掛けた出来レースの娯楽で満足してしまう涼宮ハルヒさんは、昔の輝きを失っていると言えるでしょう」

「俺はああいう風に落ち着いていったハルヒの方が受け入れられるけどな。お前は朝倉涼子のような過激派か?俺を殺しに来たのか?」


 ちょっと脅かしてみようか、と思った私は、意味深な笑いを挟んで言ってみた。


「ククク。その為のナイフを持ってきていたら、ある意味では『面白い』のかもしれませんね」

「おい、まさか…」

「冗談です。そんなことはしませんよ。私としては、ハルヒさんを悲しませてまで新世界を作ろうとは思いません。

 むしろ、ハルヒさんがポジティブな状態のまま、この世界全体をもっと面白くしてくれることに期待しているのです。

 ところで、あなたはこの二つの疑問は考えたことがありますよね?

 第一に、宇宙人でも未来人でも超能力者でもない、ましてや異世界人でもないあなたが、何故ハルヒに選ばれたのか?

 第二に、今の今まで何故異世界人は来なかったのか?

 お答えしましょう」

「そこまでお見通しなら、何故俺の本名を知らねえんだ?」

「それも含めてお答えします。

 しかし、説明の手間を考えて、まず私からお尋ねします。この世界に、映画マトリックスは実在しますか?」

「…するかもしれないが、よく分からん」

「そうですか。ではその喩えは封印します。

 早い話が、私達から見ると、ハルヒの世界は情報でできている仮想世界なのですよ」

「かそう…?」

「一種のフィクションだということですね。

 この世界の内部の存在が思っているように、あるいは私の世界で私達が思っているように、この世界は素粒子できている訳ではいない。外部の手によって情報として『創造された』世界だということです。尤も、私の世界もそれは同じことで、別の世界外の誰かに『創造された』のかもしれませんけどね」

「はあ?」


 キョンは、呆然としているようだ。しかし、僅かに浮かんだ怒りの色を見ると、大雑把なところは掴んでいるらしい。そこで私は続ける。


「私達から見ると、ハルヒ世界は、私達の世界に住むある人物によって作られた世界なんですよ。涼宮ハルヒさんは、その世界内部において部分的に作者の持つ能力を与えられているに過ぎない」

「作者?」

「モノをお見せした方が早いでしょうね。早い話が、私達の世界ではハルヒさんとSOS団の物語は、全て娯楽なのですよ」


 そう言って、私はカバンから本、漫画、そしてアニメの各バージョンの「涼宮ハルヒの憂鬱」を取り出した。


 漫画版をぱらぱらとめくりながらどんどん青ざめていくキョンを見つつ、私は続ける。


「尤も、この世界線はこれらの作品群の世界線とも微妙に異なるはずです。

 分かりやすく言うと、大筋では朝比奈みくるが未来を守ろうとしている点などは変わらずとも、では具体的に朝比奈みくるたちの未来がどんなものか、という点などは、それぞれの『涼宮ハルヒの憂鬱』で微妙に異なるということです。

 そして、人々の記憶の中に残るハルヒ世界や、公式・非公式を含めた二次創作の世界線なども含めると、ハルヒ世界は恐らく数百万から数億パターン程度は存在します。

 その上各ハルヒ世界は内部で分裂したりループしたりしている訳ですから、実際の数はもっと多いことでしょう」

「俺たちはその一つに過ぎない、と言いたいのか?」

「いえ、そのことはそれほど重要ではありません。ハルヒ世界には、原作者を中心にその紡ぎ手の数だけ作者がいるということ自体は事実ですが、問題はそこではありません。

 私達からすると、ハルヒ世界は私達によって作られたものである。そして、作られた内容としてアウトプットされた部分しか、私達の世界の作者以外の人物には伝わってこない。キョン君の本名が分からない理由は、単純に、作中どこでも本名が明かされていないからなんです」

「…そこまで俺の仇名が独り歩きしていたとはな。本当は博士なのに自らが作ったモンスターだと勘違いされているフランケンシュタインのような気分だぜ」

「恐らくは原作者がわざと伏せたからです。ゆめゆめ妹さんを責めないでくださいね。彼女の本名も、こちらには伝わっていないのですから」

「…考えとく」

「いずれにせよ、ハルヒ世界が私達によって作られたものであるということは、ハルヒが異世界人を呼びたくても呼べなかった理由でもあるんですよ。

 彼女の力は、分裂や融合を考慮したとしても、ハルヒ世界、あるいはハルヒ世界の集合体の外には及ばない。無から何かを作って異世界人という設定にすることもできはしない。それでは異世界人ではなく、新人類になってしまうからです。

 だから、私が自分の意志で、ハルヒさんの力ではなく、自分の力でこの世界に入るまでは、彼女の周りに異世界人は現れなかったんですよ」

「つまり、ハルヒの力は万能ではない、と」

「そういうことになりますね。長門有希にしても、この世界の内部の存在ですから万能ではありません。むしろ、一番万能なのは私達異世界人です。

 渡橋ヤスミさん、つまりもう一人の涼宮ハルヒさんの入団試験解答を覚えていますか?」

「…一番、なんだっけ」

「一番何でもアリなのが異世界人、です。私達は、その気になればハルヒさんを超える力を発揮できる。でも、自らの力でこの世界を私達が作り変えても、そんなに面白くないんですよ」

「何故?」

「ハルヒさんがやる場合と違って、その世界は作り手にとっては予測可能だからです」

「つまり、わざと予測不可能なハルヒに世界の変化を引き起こしてもらいたい、と?」

「そういうことになりますね」

「バックはどこなんだ」

「個人です。組織プレイヤーではないんです。もちろん、漫画やアニメを制作した企業でもない。それでも必要とあらば、私はSOS団の側近3名とも渡り合って見せましょう。

 しかし、その前に、もう一つお答えするべきことがありましたね。

 なぜ、ハルヒさんは普通の人であるあなたを選んだのか、です」

「それは俺も気になるな。古泉や長門ですら十分には理解できていないようだが、お前は答えを持っているのか?」


 しばしの間を開けて、私は答えた。


「簡単です。涼宮ハルヒさんは、あなたを愛しているからです。つまり、涼宮ハルヒさんの主観世界においては、あなたは紛れもなく特別な人間だからです。ちなみに相思相愛だと睨んでいますが?」

「…それだけはないな」

「どちらの意味で、でしょう?あなたが愛していないのか、それとも彼女が?」


 キョンは考え込んでいた。谷口のからかいや古泉の仄めかしは別として、真正面からそれを問われたことがなかったからだろう。

 そして、キョン自身も恐らくは避けてきた問いのはずだ。


「少なくとも、ハルヒはないと思う。恋愛感情は精神病の一種だって言っていたしな」

「そうですね、ある意味ではハルヒさんの本命はあなたではなく、あなたはその代わりでしかない可能性も無きにしも非ずです。

 しかし…結局は彼女はあなたが好きなんですよ。彼女にとっての本命候補は、仮にあなたでないとしたも、あなたもよくご存じのジョン・スミスさんぐらいですから」

「…」

「恐らく、彼女があなたに惹かれた理由は、あなたが彼女にとって人生で初めての理解者だと映ったからです。

 まあ、あなたが彼女にとってジョン・スミスを彷彿とさせる人だったことも、多少は影響したかもしれませんけどね。

 並外れた才能を持つがゆえに凡庸な周囲では満足できなかったからこそ、彼女は宇宙人などを求めるようになった。ところが、あなたは、彼女の髪型が『宇宙人対策』だと看破した。ジョン・スミスにしても、彼女の発したかった宇宙へのメッセージを作る手伝いをしていた。全部でなくとも、少なくとも部分的にはハルヒさんの価値観が共有された。彼女にとっては、それがとても…それこそ、それだけで十分あなたを愛する理由となるぐらい嬉しかったんだと思いますよ」

「そんなに単純かな」

「彼女は能力的にはギフテッドに分類されるでしょう。無から情報を生み出す能力や次元断層を作り出す能力などとされる世界創造の才能を無視しても、です。そしてギフテッド、つまり並外れた才能の持ち主は、その理解者に出会えない限り孤独を覚えることとなる。

 そんなギフテッドにとって、自分たちの仲間になるギフテッドや、仮にギフテッドでなかったとしても最初に手を差し伸べてくれた人などは、後から見返すととても思い出深い、それだけで好感を覚えていい気分になれるだけの人になるんですよ」

「まるで実体験のような口ぶりだな」

「ククク、私はハルヒさんほど才能には恵まれていませんよ。

 しかし、私のことはそんなに重要ではありません。問題はあなたとハルヒさんのことです。

 あなたはあの空間に二人閉じ込められたとき、接吻によって脱出した。ハルヒさんが本当にあなたをそういう対象としてみていないのだとしたら、彼女は接吻などというベタな行動を起こされた瞬間に、あなたをも置いてけぼりにして、『次の』新世界を創り始めていたことでしょう。

 しかもその件の翌日にはあなたの発言につられてポニーテールにしている。これは、嫌っているどころかむしろ明らかな好感のサインでしょう」

「…そこまで深くは考えてなかったな」

「更に、彼女は映画撮影中にあなたと喧嘩した日の翌日にも、あなたからはあわてて隠そうとしていながらも、やはりポニーテールにしている。ああやって、仲直りしたいシグナルを出していたのも、キョン君にだけは見捨てられたくないというサインの現れでしょう」

「そうだったのか」

「それだけではありません。そもそもハルヒがあなたと朝比奈みくるが仲良くしているのを見て嫌悪感を示したり、あなたの過去の恋愛体験にやたらと興味を持ったりしてきたのも、やはり嫉妬心があったからなんですよ。

 ハルヒさんがあなたと二人だけの世界を作り出そうとした理由さえも、直接的には嫉妬だと思います。朝比奈みくるが、キョン君と仲良くし過ぎることができないと伝えてきた理由は、決して彼女がやがて未来に帰るからだけではないんです」

「…それが本当なら、案外かわいいところもあるじゃないか」

「まあ、あなたのような、どこかMっ気があるぐらいの方は、実際あの子の相手にはふさわしいでしょうしね。

 キョン君を雑用係にし続ける理由も、好きの裏返しなんですよ。彼女は、本当に嫌いな相手なら見向きもしないでしょうし、適度に付き合えばいい相手だったら適度な礼儀で付き合う術も知っている。にもかかわらずあなたを、他の団員と比べても度外れなほどに酷使するのは、いたずらっ子の照れ隠しに近いところがあると思いますよ。

 恋愛感情を精神病だといった手前、あるいは他の団員もいる手前、認めたくはないし、表向きは認められないんでしょうけどね」


 キョンは苦笑していた。まんざらでもないようだ。


「それはさておき、もう少しだけ追加証拠を出しておきましょう。

 鶴屋さんの、ハルヒさんが相手ならあなたのおイタを許してくれるだろうという勘だってそうです。彼女の勘がよく当たるのはご存知の通りです。

 またハルヒさんは、渡橋ヤスミとして、あなたが落ち行く意識不明のハルヒさんを抱きしめるのも見ていますが、その件についてもハルヒさんは多分嬉しかったんじゃないでしょうか。少なくとも渡橋ヤスミとしては、見ていて嬉しそうだったはずですよ。

 とまあ、これだけ揃えば十分でしょう」

「…やれやれ」


 話せるだけのことは話したと考えた私は、ベンチから立ち上がって言った。


「さて、私はこれから長門有希のところに行かなければなりません。彼女にも呼ばれているので。また明日、学内のどこかでお会いしましょう」

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