1. 侵入団員

 あの世界では、キョンと涼宮ハルヒが高校二年生である春、という時間になりそうだ。


 どこかの大都市の衛星県の、これまた小地方都市にあるらしい県立北高等学校、通称北高。私の世界では、累計2000万部以上の売り上げを誇る魅力的な、しかしもはやマンネリ化してしまった世界で、ハルヒが自らとSOS団を守るべく仕掛けた世界の分裂が終わり、どうやら一周年記念サプライズも過ぎ、温暖化が進んだからか、まだ五月なのに夏のような日差しが肌に刺さったある日の、放課後のことである。


 世界線によって文芸部の表示の下に「with SOS団」と添えられていたり、文芸部を上書きする形で「SOS団」の紙が貼ってあったり、そもそも看板標識自体がSOS団で置き換えられていたりする、一応の文芸部室の扉を、私はノックした。


「あら、お客さんかしら?みくるちゃん、出てあげて」

「はい、ただいま」


 よく通る麗しい声と、どっちかというと甘ったれていて私の好みではないが、所謂萌えキャラとしては間違いなく最適であろう声が扉越しに聞こえる。


 まもなく人の近付く気配がし、ちょっとロリっ気のあるメイド服の少女がドアを開けた。


「どうぞ…」

「失礼します。文芸部に入部しに参った者です。部長の長門有希さんはいらっしゃいますか?」

「ふぇっ…?」


 場の空気が奇妙なものに変わった。殆ど営業用に近いスマイル仮面が武器の古泉一樹は、どこかから持ってきたのであろう、マイナーなボードゲームから目を離して心持ちこわばっている。その向かいにいるキョンが、古泉や、例によって洋書を読んでいるらしい長門有希に何やらささやいている。


 大方、彼らに私が何者か知らないか、とでも尋ねているのだろう。


 メイド服の少女、朝比奈みくるは戸惑っている。


 そして、部屋の奥の机で、私の世界からすれば最新鋭ではないがこの世界では最新鋭らしいパソコンの向こう側で腕組みしながら、何やら考えているらしいのが、「団長」の腕章を身に着けた、私の「本当の」お目当ての少女、涼宮ハルヒであった。


 彼女の面にもまた、予想外、あるいは戸惑いとも言える色が浮かんでいたが、やがて私を見ていった。


「あんた、あたしのSOS団入団試験に落ちて、落ちたことを無視してSOS団に入ったことにするために文芸部入部を盾にしようとしている口でしょ?言っとくけど、そんなことはあたしが許さないからね」


 私は、彼女の声を聴いて嬉しくなった。


「半分までは当たりです。

 私は、確かにSOS団にも興味を持っています。『世界を大いに盛り上げる』べく、宇宙人、未来人、超能力者、そして異世界人を探し出して、一緒に遊ぶことを目的として活動する団体。魅力的ですよね。

 そして、私には残念ながら、渡橋ヤスミのような運動神経がないので、確かにあなたが課した入団試験を『受けていれば』、通らなかったであろうことにも間違いはありません。

 しかし、本当に文芸部にも興味はあるのですよ。

 それは長門有希さんや、あなたたちSOS団にとっても決して悪いことではないはずです。文芸部の部員が入る限り、SOS団の団室を、例の悪役生徒会長も奪うことはできなくなるでしょうから。

 …さて、長門有希さん、こちらが私からの入部届です」


 ハルヒの返事が入る前に、カバンから記入済みの入部届を出して長門に渡す。


 やっと本から顔を上げた長門は、私が差し出した入部届を受け取って、言った。


「そう」

「ちょっと有希?半分しかやる気がない新入部員なんか入れていいの?」

「いい」

「有希、部員が欲しいだけなら、あたしたちSOS団から最低でももう一人は出せるわ。どうせいつでも暇なキョンとかね。あるいは、準団員のコンピ研の連中も前の会誌には乗り気だったし、兼部させることだってできるはずよ」


 長門の意思を尊重せよ、と「常識人」のキョンが割り込んで助け舟を出す、という可能性を少しだけ期待してみたのだが、今回はないらしい。恐らく彼も、ついに来るべきものが来たことを知ってしまったからだろう。


 それなら。


「…涼宮ハルヒさん。本人意思を尊重しなくてよろしいのですか?」

「あんたの本当の目的が文芸部じゃなさそうだからよ。あたしはね、有希の文芸部を踏み台にしようとしているだけの人間なんて、SOS団にも文芸部にも入れる気にはなれないわ」

「…私が、ジョン・スミスさんの正体を知っている、と言ってもですか?」


 キョンの顔面が蒼白になる。まあ心配しないでくれたまえ。今はまだばらすつもりはない。私にとっても、切り札だからね。

 だが、ハルヒは吐かせたいらしい。キョン相手によくやっているネクタイ掴みを私にも発動させて、睨みつける。


「どこのジョン・スミスよ」

「今から…あなたたちの時間で四年前、あなたの七夕メッセージを描くのをお手伝いした、居眠り病のお姉さん持ちの北高生、そう、あのジョン・スミスさんですよ」


 ハルヒの目に、明らかな困惑の色が浮かんでいた。私のネクタイを掴む力も少し緩む。


「…なんで、あんたがそれを知ってるのよ。あいつらのことは誰にも話していないはずなのに」

「今はまだ話さないでおきましょう。お楽しみは、少しずつ小出しにしてこそです。ですが、それだけでは私の入部…ついでに入団、ですかね、をお認めになってはくれないと思うので、もう一つマジックを仕掛けて見せましょうか?」

「…やるだけやってみたら」

「それでは」


 私は、指をパチンと鳴らした。空が灰色に変わり、部室の前に、青白い光を纏う神人が立ち現れた。


 キョンは傍から見ても分かるほどの冷や汗をかいている。古泉も、どうやら笑顔を保てなくなったようだ。


 そして、どちらかというと鈍感な朝比奈みくるでさえも、これが異常事態であることを察知してあたふたしている。


 無表情なのは長門有希ぐらいだった。


 神人は部室棟から離れていく。その向こう側に立っているのは、男女一組らしい影である。


「…あなたは恐らく夢の中で見ただけのことだと思っている、あれです。あれは、夢ではなかったんですよ」


 私は微笑む。


「今PCを立ち上げて、その画面をみれば二人が誰なのかはっきりするでしょう。なんなら、決定的瞬間までお見せしましょうか?」

「…もう、いいわ。あんたとは後でじっくりお話しする必要がありそうね。入部と入団は一旦保留。あんたの話次第では考えてあげなくもないわ。有希もそれでいいわね?」

「いい」

「承知しました。流石に、無試験となると一発突破は困難そうですね」


 そう言いながら、もう一度指をパチンと鳴らして、私は世界を元に戻した。


「楽しみにしています。涼宮ハルヒさん」

「ふん」

「しかし、入部や入団とは関係なく、私と別途話したいと思っているのはハルヒさんだけではなさそうです。今日はひとまず、皆さんと連絡先を交換させていただきますね。よろしければ団長さんも」


 そう言って携帯を取り出し、近くにいる順で団員たちと連絡先を交換していると、いつしか団長机に戻っていたハルヒは顔を背けて、


「あたしと話したければ、放課後にこの部室へ来なさい。電話越しなんて回りくどいことは認めないからね」


というので、私は、ちょっと冗談めかして言ってみた。


「…ご自宅ではだめですか?ククク」

「あんた、場所知ってるの?」

「ええ」

「へえ、中々あたしのことに詳しいのね。でも、あそこにはまだ勝手に入ってきたキョンしか上げてないから、ダメよ。他の団員よりも先にまだ団員と認めてもいないあんたを上げるなんて、不公平じゃないの。

 あ、今度勝手に窓から入ってきたら、たとえキョンでも通報するからね!あの時は特別な日だったから許してあげたのよ。みんなも覚えておきなさい」

「そうですか。ハルヒさんは、意外とキョン君を家に招くことには抵抗なさそうですが。

 どこかで鶴屋さんがこう言っているのを聞いたものですし。

 キョン君がハルにゃん…ハルヒさんに『おイタ』しても、ハルヒさんはきっとお許しになる、と。図星なんじゃありませんか?」


 そう言って彼女を見ると、ハルヒは赤面していた。まあ、そのぐらいの「普通さ」なら許容範囲なんだけどね。


「まあ、それはさておき、…まずはキョン君、今日の部活の終わった後にでも、あなたとお二人だけでお話しさせていただくとしましょうか。あなたには私がかなりのことを知っているように思えるでしょうが、実のところ私はあなたの本名も知りませんし、他の方たちも最初はあなたとお話していたようですから」

「そうだな。俺もお前には訊きたいことが山ほどある。だがここでいうことじゃないだろ」

「いいえ、ここでその旨伝えたとしても、『今の』SOS団の団員はプライバシーを侵害してまで私の話を聞きに行こうとはしないでしょう。最も暴れ馬で破天荒だとされている、涼宮ハルヒさんを含め。昔ならいざ知らず、ですが」

「…」

「それに、私は、別に他の方が聞きに来てもそれほど困りませんからね」

「そうなのか」

「ええ」

「分かった」


「団外の個人的な話し合いまでは団長さんと言えども規制対象外のはずです。よろしいですね、ハルヒさん?」


 ハルヒは何やら考え込んだ様子で、


「そうね、好きにすれば」


 と言った。

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