第三十三幕 ただ、誰かの為に

 一合、二合。剣戟の音が、辺りに響き渡る。

 両者はどちらも一歩も譲る事無く、打ち合いを繰り広げていた。


「ハッ、どうした! 随分太刀筋が鈍っているようだな!」


 嘲るような笑みを浮かべながら、辰之進が刀を振り下ろす。涼一はそれを、苦しげな表情で受け止めた。

 一見して互角に見えるこの戦い。違いは、二人の表情にあった。

 辰之進は、余裕さえ窺わせる表情。一方の涼一の顔には、明らかに余裕がない。

 それを見れば、この戦いの均衡が水際の部分で保たれている事は歴然であった。


(ヤベェ……このままじゃ涼一が)


 背後の全も、涼一の不利を感じ取っていた。その不利が、純粋な腕前のみによってもたらされているのではない事も。


(俺の、せいだ)


 背後に自分を庇っているせいで涼一が全力を出し切れない事を、全は解っていた。そしてこの場を離れる期を、己が逸してしまった事も。

 今から自分が逃げおおせるには、戦う二人の横をすり抜けていくしかない。自分の血を狙う辰之進は、黙ってそれを許したりはしないだろう。

 更には涼一も、間違いなく自分を逃がす事を最優先にして動くだろう。そこで、この均衡が崩れてしまえば……。


(畜生……俺は、涼一の足手纏いにしかならねえってのかよ……!)


 湧き上がる悔しさに、全は思わず唇を噛み締める。あまりにも無力な自分自身が、許せないほど恨めしかった。


「俺は! ずっと憎かった! どんなに努力しても、いつも俺の上を行くお前が!」


 辰之進が吼える。刃を、剣戟を、総て己の叫びに変えて。


「だから奪った! 夕を! お前から! いずれ惨めに捨てる為だけに!」

「辰之進……やはり、貴様は……!」

「だが夕は、夕は……あああああああああ!!」


 絶叫し、辰之進が刀を振り抜く。その瞬間――涼一の刀が、ぺきりと音を立ててへし折れた。


「しまっ……!」

「死ねえええええっ! 涼一いいいいいっ!!」


 狂ったように叫び、刀を大きく振りかざす辰之進。それを見た瞬間、全は弾かれるように動き出していた。


「……っ、俺のモンに、好き勝手言ってんじゃねえええええっ!」

「!?」


 全が辰之進のがら空きになった胴体に、肩からの体当たりを見舞う。予想外の全の行動に完全に不意を突かれた辰之進は、そのまま体勢を崩し、仰向けに倒れた。

 この絶好の好機を見逃すほど、涼一も愚かではない。涼一は素早く辰之進に馬乗りになると、辰之進の手から刀を奪った。


「このっ……夕を返せ! 返せえっ!」

「姉上はもうどこにもいない! 貴様が! 貴様が殺したんだ!」

「違う! 夕はいる! 夕は蘇る! 女達の血を吸い、俺の元へ還ってくる! なあ、そうだろう、夕! その為にお前は、俺の元に来たのだろう!!」

「……辰之進……?」


 しつこく刀を夕と呼び、取り返そうとする辰之進の様子に、涼一が戸惑いの声を上げる。身を起こした全も、獣のように喚き散らす辰之進に不気味なものを覚え始めた。


「辰之進……お前は一体、何をしようとしていたんだ……?」


 暫しの沈黙の後。涼一は、やっとそれだけを口にした。

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