第三十一幕 凶刃

 今夜は久々の、月の綺麗な夜だ。

 月明かりを頼りに、全は静まり返った裏通りを歩く。表通りの賑わいが、全の耳に遠く聞こえた。

 涼一の姿は、歩けども歩けども見当たらない。元より宛てなどない捜索だ、偶然涼一を見つけられる可能性など薄かった。

 それでも、全は行かずにはいられなかったのだ。涼一の事を、深く想うが故に。


(吉原を出たってェ、可能性もあるが……)


 考えて、いや、と全は思い直す。何故なら一昨日に死んだ娘は、遊女でこそなかったが、この吉原の住人であった。だからこそ涼一は、夜に見回りに出る事にしたのだ。

 実際にどうなのかは解らない。だが涼一は、殺人犯の今の狩り場はこの吉原だと考えている筈だ。

 全にはそう信じ、歩き続ける事しか出来なかった。


 やがて賑わいは更に遠く。全の耳に届くものは、己の息遣いと、草履が砂を踏む音だけになっていた。

 天から下界を眺める月の白さが何だか妙に冷淡に感じて、全は空から目を逸らした。雨上がりの湿気を孕んだぬるい風が、全の頬をぬらりと撫でる。


「……?」


 不意にその風に、臭いが混ざった気がして全は立ち止まる。決していものではない。寧ろ嫌悪感をこそ、強く感じるものだ。


「――そこな娘御」


 声がして気が付くと、全の前方にいつの間にか、一人の男が立っていた。体格は涼一に近いが、声、何より身に纏うその雰囲気が、涼一とは決定的に異なっていた。


「年若の娘御が、夜中に、このような所を彷徨うろつくものでない。どれ、俺が表通りまで送っていってやろう」


 男はそう言って、全に手を差し出す。しかし、全は見てしまった。


 影の中に置かれた右手に、抜き身の刀が握られているのを。


「――!」


 反射的に、全が一歩後ずさる。それを追うように一歩を踏み出した男は、既に刀を隠す事をしなかった。


「どうした? 何を怯えている? 怖がらずとも良い、すぐ終わる・・・・・


 月明かりの元に露わになった双眸そうぼうは、狂気に満ちて。男がまともではない事は、一目で見て取れた。

 完全に予想外だった。まさか自分の方が、殺人犯と先に出くわすとは。

 全の胸に、焦りと恐怖が満ちていく。それでもどうやってこの場を切り抜けるべきか、全は必死で考えた。


「お前は姿は夕には似ていないが、匂いがとても良く似ている。きっと夕も喜ぶだろう」


 しかしそうしている間にも、男はじりじりと距離を詰めてくる。そうして遂に、全の背が背後の壁へとぶつかった。


「しまっ……」

「さぁ、夕。今日の女の血だ。たっぷりと吸うがいい」


 振りかざされた刀が、月明かりを反射し妖しく煌めく。そして。


 その無慈悲な刃が、全に向けて勢い良く振り下ろされた。

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