第三十幕 恐怖を乗り越えて

「それでは、行ってきます」


 腰に刀を差し、涼一が夜の通りに出て行く。その様子を全は、離れた所から見守っていた。

 あれから涼一は、昼だけでなく夜も、見回りと称して外を出歩くようになった。涼一を出来るだけ全から遠ざけたい旦は、呆気無くそれを許可した。

 連続殺人は、未だ治まる気配はない。つい一昨日にも、女の斬殺体が発見されたばかりだ。

 奉行所も見回りを強化しているようだが、犯人は一向に尻尾を掴ませない。奉行所と涼一、どちらが先に犯人に辿り着くだろう。

 奉行所ならばいい。だが奉行所は涼一と違い、犯人の目処すら立っていないと聞く。

 ならば、涼一より先に犯人を捕らえる可能性は低い。まず涼一の方が先に犯人に――辰之進に辿り着くだろう。

 涼一は強い。だが日常的に刀を振るう事がなくなって、既に久しい者だ。

 果たして勝てるのだろうか? もし、もしも――。


 ――涼一が返り討ちに遭い、死んでしまったら。


 それを、全は何よりも恐れた。生きて自分の元を去るなら、いつかまた会える日も来るかもしれない。だが死ねば、その望みすらもなくなってしまうのだ。

 涼一を、絶対に死なせたくない。その為に――全は、決意した。


 店の入口では、今まさに客が店を出ようとしているところだった。その後を、禿かむろの着物とかつらを身に付けた全が、まるで見送りのようについていく。

 そして、そのまま共に外へと出ると、全は即座に身を隠した。


(……フゥ、何とかここまでは上手くいったな)


 冷や汗を流し、手の震えを握り込んで抑えながら、全は安堵の息を吐く。五月蠅く鳴り響く心臓の音を鎮めるのに、暫しの時間を有した。


 全は、兄の言いつけを破る事を決めた。


 幼い頃より兄への恐怖を刷り込まれてきた全にとっては、まさに死ぬ思いでの事だ。今も体が、恐怖に震えて仕方が無い。

 それでも。ただ黙って知らぬ振りを通すなど、全には出来なかったのだ。


(まずは、アイツが何処に行ったか探さねえと……)


 漸く震えが少し治まってきたのを見計らい、全は、夜の街を歩き出した。

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