幕間 五

 雨の中、傘も刺さずに一人の娘が走っていた。

 身なりはみすぼらしく、傘を買う金もなかったのだろうと一目で解る。せめてもの抵抗と腕を頭の上に掲げるも、それは顔の露を払う役にも立っていなかった。


「もし、そこな娘御よ」


 不意に声をかけられ、娘は立ち止まる。するとそこにはいつの間にか、小綺麗な身なりの侍が傘を差し立っていた。


「何だい、お侍さん。あたしゃ今急いでるんだけどね!」


 その姿にどことなく苛立ち、思わず娘は悪態を吐く。普段なら侍相手に悪態を吐くなど出来る筈もないのだが、この時の娘は酷く気が立っていた。


「いや、何。そなたが美しい故、つい声をかけてしまった。許せ」

「えっ……」


 それは唐突な言葉ではあったが、娘はつい声を上擦らせた。これまで下卑た男達に厭らしい言葉を投げかけられた事はあっても、このような清潔な殿方に美貌を褒められるなど娘には初めての経験だった。


「ふ……ふん。お侍さんにしちゃあ、見る目があるじゃないか」

「こんな往来では何だ、どこか雨風が凌げるところでそなたとゆっくりと話がしたい。……ああ、だが急いでいるのであったな」

「い、いや、アタシは家に帰ろうとしてただけさ。話がしたいってンなら、一杯奢ってくれれば付き合ってやっても構わないよ!」


 先程までの苛立ちはどこへやら。すっかり気を良くした女が居丈高にそう言うと、侍は薄く唇を開き、笑みを浮かべた。


「それは僥倖ぎょうこう。ならば良い場所を知っている、さぁ私の傘に」


 言われるまま、娘が傘の中にずぶ濡れの身を入れる。侍はその肩を嫌な顔一つせずに抱き、どこかに向けて歩き出した。


 その瞳に輝く異様な光を、誰にも悟られる事がないまま。

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