第二十六幕 止まない雨

「今日も雨ですね」


 部屋の中から外を見遣り、涼一がぽつりと呟いた。それに全は、小さな溜息を返す。


「ああ。こう雨が続くと嫌にならァ」

「雨はお嫌いですか?」

「客の入りが悪くなるからな」


 店の経営を第一に考える、全らしい理由だ。そんな全に、涼一は外を見つめたままこう言った。


「私は、好きです。いえ……好きになりました」

「……」

「全様に拾って頂いた……あの日も、雨でしたから」


 全は、すぐには言葉を返さなかった。湯呑みの中の冷めかけた茶を一口飲んで、それから、口を開いた。


「――今も、憎いか」

「はい」


 即答。迷いの無い返事に、全の眉間に皺が寄る。

 涼一の事情は、既に伝え聞いていた。全が涼一に、自身が女である事を明かしたその時に。

 始めは全も、それが涼一の生きる糧となるならそれでいいと考えていた。だが時が経つに連れ、ある不安が全の胸に押し寄せてきた。


 もしも姉の仇を討つ事が叶ったなら。涼一は、自分の元からいなくなるのではないかと。


 全にとって涼一は、今やなくてはならない存在だ。涼一の前でだけは、全は、女に生まれてきた自分を肯定する事が出来る。

 だが涼一の心には、未だ亡き姉の影がある。あの雨の夜の出会いから、一年経った今でもずっと。

 以前涼一は、自分が生きろと言うのならば死ねないと言った。だがそれが、姉の仇を討つまでの話だとしたら。


(――嗚呼、そうさ。こえェんだ、俺ァ)


 涼一が、自分を置いていってしまう事。それが何より、全は怖かった。

 所詮は出会って一年の自分が、家族である姉に勝てる訳がない。それでも全は、こう願ってしまう。


 復讐の為ではなく、自分の為に生きて欲しい――と。


(弱く、なったな。俺は)


 涼一の優しい温もりを、知りさえしなければ。自分は、どこまでも一人で生きていけたのに。


「……雨は、やっぱり嫌いだ」


 誰に言うでもなく。全は、小さくそう呟いた。

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