第二十五幕 ただ、この想いだけを糧に

 そこから先はあっという間だった。

 父の切腹は子の不義を認めての事。そう主張した加山家によって、涼一の家はお取り潰しとなる事が決まった。

 御役目も、住処も、財産も――総てを奪われ、涼一は一人彷徨さまようしかなくなったのである。



 しとしとと、秋の長雨が降り続く。

 涼一は唯一己に遺された持ち物である父の形見の刀を抱きながら、ずぶ濡れになって道端にうずくまっていた。


(――何故、このような事になってしまったのだろう)


 総てを失ってから、その事を幾度も幾度も考えた。自分はただ、普通に生きてきただけだったのに。

 辰之進。気の置けない友だとずっと思っていたのに。まさか自分と夕の仲を、そんな風に思っていたなどと。


(……そうだ。辰之進が、あのような下卑た勘ぐりなどしなければ……)


 そう思い、考える。辰之進が一体いつから、自分達の仲を疑っていたのかを。

 思えば夕が懐妊してからの辰之進は、少し様子がおかしかった。待望の懐妊だった筈なのに、あまり喜ぶ様子を見せなかった。

 あの時既に、自分達の仲を疑っていたとするならば。腹の中の子が、己の子ではないと疑っていたとするならば。

 夕の死産は、あまりにも、あまりにも都合の良すぎる出来事ではないか。


(もし――もしも。姉上の死が、死産によるものでないとしたら)


 そもそも涼一は、姉と甥の葬儀に出席すらしていない。夕の死産を知らされたのは、葬儀も何もかも済んでからの事であった。

 もし、死産というのが加山家による嘘で。本当は腹の子ごと、ありもしない不貞で殺されたとするならば。


(……辰之進……お前は……下らぬ勘ぐりで姉上を殺したと言うのか……!)


 怒りが、憎しみが、一気に涼一の中に押し寄せてきた。臓腑の一つ一つが、沸々と沸き立つのを涼一は感じた。

 誰かの事を許せぬと、ここまでに思ったのは初めての事であった。姉の無念を晴らしたい。涼一の胸に、その想いが満ちていった。


(――しかし)


 刀以外何一つ持たぬ身で、一体、どのようにそれを果たせばいいというのか。既に何日も水以外腹には入れておらず、体力も限界に近付いてきている。


「何も出来ず死ぬのか……私は」


 口から漏れた言葉は惨めで、しかし事実であった。今更辰之進の企みに気付いたところで、もう、何もかもが遅すぎた。

 自分は、この煮えたぎる怒りを胸に、むざむざ死んでいくしかないのだ。


「申し訳ありません……姉上」


 涙は出なかった。姉の死を聞かされたあの日から、涼一の目からは涙が枯れてしまったようであった。だが、それでいいとも思った。

 涙を流せば、恨みが薄れる。何故だか涼一には、そんな気がした。


 この恨みだけが、今や、何もかも失った涼一にとっての総てだった。


「――しけた面してやがんな、お前」


 その時、少年とも少女ともつかぬ若い声がした。涼一は、濡れて重くなった頭をゆっくりと上げた――。

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