第十五幕 雪の香り

「小鈴……何でこんな事に……」


 夜が明け、一番鶏が声を上げる頃、小雪は漸く小鈴との面会を許された。元々雪のようだった小雪の顔色は更に白く、色を無くしている。


「姐さん、ごめんなさい……ご心配をおかけして」

「アンタが何で謝るのサ。悪いのは皆通り魔じゃないか」


 既に目覚めた小鈴は弱々しい声で謝るが、小雪は首を横に振る。黒い瞳には涙が溜まり、今にも零れ落ちてしまいそうだ。


「申し訳ありません、小雪様。私がもっと強く、小鈴様をお引き留めしていれば」

「違います……涼一様は悪くありません……私が我を通したせいで……」

「止めろ、手前テメェら」


 泥沼になりかけた会話を、ぴしゃりと諫めたのは全だった。今は怒りも落ち着いたのか、昨夜と比べ冷静さを取り戻しているようだ。


「ごちゃごちゃ責任を取り合ったって、何にも前に進みゃしねえ。今考えるべきは、通り魔の野郎をどうやってお前の前に炙り出すかだ」

「……はい。その通りです。失礼致しました」


 無駄を嫌う全の言い分に、涼一は素直に謝罪を口にする。確かにここで事の責任の所在を明らかにしたところで、何か事態が解決する訳ではなかった。


「野郎が何らかの方法を使って、うちの人間や客とそうじゃねえ奴を区別してんのは確かだ。そしてそれは、店の前で張ってるとかそういう方法じゃねえ」

「何故ですか?」

「小鈴達は帰り道、行く手に立ちはだかれる形で野郎に襲われた。この辺りに先回りに適した小道はねえ」

「確かに……」


 冷静になれば、全の頭は冴える。それは太田屋番頭としての、とても頼もしい姿だった。


「となりゃあ、最も可能性が高いのは……香りだ」

「香り?」

「ああ」


 そう言って、全が鼻をふん、と鳴らす。全のその推理にいち早く反応したのは、小雪だった。


「そうか……成る程。涼一サン、アタシらが仕事の時、香を使うのは知ってるね」

「ええ。……ああ、解りました。そういう事ですか」


 小雪の言葉に、涼一もまた合点がいった。

 遊女は仕事の際、部屋に香を焚く。理由は客の精力を高める為であったり、疲労を癒やす為であったり、遊廓によって様々だ。

 この香は調香師と呼ばれる職人の元で買い求めるものだが、太田屋のそれは、旦が直々に選んだ専属の調香師に一任されている。それ故他の遊廓よりも香りの高い遊びが楽しめると、界隈では評判になっているのだ。

 他とは違う香りの者を、襲っているのであれば。成る程、推理としては成り立つだろう。


「という事は、通り魔は、太田屋ウチに客として出入りした事のある人物……?」

「推理が正しけりゃな。……小鈴、お前、犯人を見たんだろう」


 全の問いに、小鈴の肩がびくり、と震えた。あれほどの怪我を負わされたのだ、怯えて当然だ、と涼一は思う。


「覚えてる限りで構わねえ。野郎の特徴を教えろ」

「……それ、は……」

「思い出すのも辛いでしょうが……お願いします」

「……」


 涼一も一緒に促すが、小鈴はなかなか口を開こうとしない。それを涼一が不審に思っていると、小鈴が、妙にチラチラと小雪の方を気にしているのに気が付いた。


「……小雪。お前は席を外せ」


 同じ事に、全も気付いたのだろう。涼一が口を開くより前に、全がそう言った。


「どうしてだい! アタシも……!」

「お前は遊女だ。遊女の仕事は客の相手をする事。通り魔を追う事じゃねえ」

「でも……!」

下がれ・・・。命令だ」

「……!」


 有無を言わせぬ口調で、全はそう言い放つ。その姿は彼女が最も忌む兄に、酷く良く似ていた。

 小雪は暫く何かを言いたげに全を見ていたが、やがて観念したように席を立ち、部屋を出て行った。


「……ありがとうございます、全様」


 小雪が部屋を出たのを確認し。漸く小鈴が、重い口を開いた。


「構わねえさ。それより、小雪を遠ざけたってこたぁ……」

「はい。……あの者の狙いは、小雪姐さんです」


 ――やはり。涼一と全の間に、重い沈黙が流れる。


「あの者が言う『せつ』とは、姐さんの昔の名です。私だけに、姐さんがそっと教えて下さいました」

「……つまり、通り魔は、小雪様の幼い頃の関係者?」

「あの者は狂っております。姐さんの香りを強く匂わせる私を姐さんだと思い込み、違うと解ると逆上して暴力を……。お願いです、涼一様! 私に解る事は総てお答え致します! ですからどうか、小雪姐さんを助けて下さいまし……!」


 涙ながらの、小鈴のその訴えに。涼一は深く、深く頷き返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る