第十四幕 番犬の役割

「た、大変だァ、大変だァ!」


 叫び声を上げながら店内に駆け込んで来た男に、太田屋は俄かに騒然となる。それは今し方店を出たばかりの小雪の客、正造だった。


「お、お客さん、どうなすったんです?」


 店子が恐る恐るといった風に、正造に声をかける。すると正造は必死の形相で、店子にこう訴えた。


「と、通り魔だ! お宅の、お宅の小鈴が通り魔に襲われてっ」

「何ですって!?」


 正造の訴えに、場に緊張が走る。無理もない。噂に聞いていた通り魔が、遂に、この近辺に現れたというのだから。


「お客様、それはどちらですか!?」


 真っ先にそう聞いたのは、涼一だった。正造は縋るような目で、涼一を振り返る。


「案内、案内するっ! 早くしないと小鈴がっ」

「はい。急ぎましょう!」


 正造と共に、涼一は店の外に出る。数拍遅れて、他の店子も慌ててその後を追った。



 涼一が現場に駆けつけると、通り魔らしき影はもうどこにも無かった。

 小鈴は気を失い、その場に倒れていた。顔や腕など見える部分は出血や鬱血だらけで、綺麗な着物もすっかり土に塗れていた。

 涼一はすぐに小鈴を抱き上げると、急ぎ太田屋へ取って返したのだった。



「……それで? どうなんだい、小鈴は」


 怪我の治療を終え、布団に横たわる小鈴を前に、無表情に旦は言った。


「ヘェ、鬱血は酷いですが、はらわたは破れちゃいません。ちょいと頭を強く打ってるようなので、目覚めるにゃまだ時間がかかるかと……」

「そんな回りくどい話はいいんだよ」


 医者の報告を、しかし旦は無情に遮る。そして冷徹な声色で、再度こう告げた。


遊女として・・・・・使い物になるか・・・・・・・。私が聞きたいのはそれだけだよ」

「も……申し訳ありません。ヘェ、顔にも体にも痕は残らないかと」

「そうかい。ならいいんだ」


 そこでやっといつもの笑顔を浮かべた旦に、医者はホッと胸を撫で下ろす。太田屋の若旦那は、怒らせたら何をされるか解らない。その噂は、この医者の耳にも届いていたのだった。

「畜生が……野郎、とうとう太田屋ウチの大事な商品遊女に手ェ出しやがって……!」


 そう吐き捨て拳を握ったのは、旦同様に騒ぎを聞いて駆けつけた全だ。遊女達を只の商品として以上に想う全にとって、此度の出来事は激怒するに十分な事柄であった。


「一体どこのどいつだ! こうなりゃ俺が直々に……!」

「落ち着いて、全」

「これが落ち着けるかってんだ、馬鹿兄貴! 太田屋ウチが、完全に舐められてンだぞ!」

「解っているよ。……だから、こういう時の為に、うちは番犬・・を飼っているんだろう?」


 全をよしよしと宥めながら、旦の視線が涼一に向く。その視線に涼一は、小さく唾を飲み込んだ。


「涼一」


 いつも通りの笑みを浮かべながら、旦が涼一の名を呼ぶ。けれどそのは、ただの少しも笑ってはいなかった。


「はい、旦様」

「僕が何故、お前のような図々しい駄犬が全の側に居る事を許しているか……理解はしているね?」

「……はい。十分に」


 こうべを垂れ、肯定を返す涼一。そう。涼一という存在は、今、この時の為に太田屋に居場所を与えられていたと言っても過言ではなかった。

 それは涼一と全、二人の絆とは全く無関係に。旦によって与えられた、本来の役割・・・・・


「お前の役目を果たす時が来たよ、涼一。邪魔者を消せ・・・・・・。どんな手を使ってでもね」

「……御意に」


 涼一の返答に、旦は満足そうに笑みを深めた。

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